女領主とその女中

あべかわきなこ

序章

プレリュード ボルドウの女領主1

 夜の都は闇が深い。

 そんなことは分かり切っていたはずなのに、つい旧友とのおしゃべりに夢中になって時計を見過ごしたことを彼女は叱咤した。


(はやく帰らなきゃ。お父様に叱られるわ)


 少しでも早く郊外の家に辿りつきたくて、通りで馬車を調達しようとしたものの、なぜかこんなときに限って馬車は一台も通らない。

 それどころか、人の通りすらまばらだ。

 それには理由があるのだが、田舎暮らしの彼女には存ぜぬこと。


 近道をしようと、彼女は裏道に入った。

 今日の昼間、友人に教えてもらったばかりの道だ。

 道順はきちんと覚えている。覚えているというのに、歩を進めてもなぜか一向に目標物に辿りつかない。


 焦燥感だけが増していく中、ふと彼女が顔を上げると、前方には人影が。

 心細さに耐えかねていた彼女は、その人物に声を掛ける。


「もし。東の門への道はこちらでよろしかったかしら」


 人物はゆっくりと振り返る。

 その瞬間に、彼女は息を呑んだ。


 蠟のように白い肌に、赤い髪のその人の、現実離れしたその美しい顔に、ただただ見惚れるしかなかったのだ。

 その人物が徐々に彼女に近づいて、ついには目と鼻の先までやってくるまでの間、彼女はひとつも動けなかった。


 黒い外套のその人は、月の光を集めたかのような瞳で彼女の顔を覗き込む。

 そこで初めて我に返り、彼女は恥じらいと警戒心で後ずさる。

 しかしその乙女の細腕を、いとも簡単にその人は絡めとり、外套の中へと抱き込んだ。


「!」


 悲鳴など上げる隙もない。

 まるで闇に抱かれるような感覚と安堵、そして陶酔。

 夢でも見ているのではないかと、彼女は錯覚した。


 そうして一瞬。

 首筋に熱い痛みだけを残して、彼女の身体は冷たくなった。





 * * *

 都から離れた山間部に位置する小さな街ボルドウ。

 人口一万人程度の小さな里である。

 この街の名産品――実に美味な葡萄酒がなければ、今頃この街の名前など誰も覚えていないだろう。


 この街を治めるのはクロワ家というどん詰まりの下級貴族だ。

 クロワ家は短命なことで有名で、一族は現当主を残して皆絶えている。

 現当主は女性でまだ年若いということだが、街の者も滅多に顔を見かけないという引きこもりっぷりだそうだ。

 どんな人物なのか、果たして本当に会ってもらえるのか。

 半信半疑でアポイントをとってみたら、案外すんなりと都合をつけてもらえたのだ。


 ――というわけで、私は今こうして、ボルドウ領主の館の門前に佇んでいる。

 ちなみに何を隠そう私の職業は雑誌記者!

 今は駆け出しで、各地のソウルフードをめぐるグルメ雑誌記者だけど、いつかは都のおどろおどろしい怪事件の真相をスクープする敏腕記者になる! ……予定。


「お待ちしておりました、ハンベル様」


 館の扉が開いたかと思うと、そう声を掛けてきたのはまだ随分と若い女中だった。

 歳の頃は――十五を過ぎていればよい頃だろう。あどけなさと女性らしさの中間……まさに成長期の女性らしい瑞々しさを感じさせる。女中らしくひとつに結い上げた髪型と、整った顔立ちのせいか随分と落ち着いた印象を受けるが、髪色と同じ栗色の丸い眼が、歳相応に可愛らしい。

 服はといえば、黒の丈の長いワンピースに、無駄のない白いエプロン。今の都の流行とは真逆のレトロでオーソドックスな女中スタイルだ。

 今都の貴族の間で女中に着せる服として流行っているのは、丈の短い派手な色合いの給仕服で、その上猫耳などをイメージしたカチューシャなどをつけるエセメイドスタイルだ。「コンパニオンかよ」と市民からの視線は冷たいが、当の貴族はまったく気に留めていないよう。


「私は俄然こっちのほうが落ち着くわね。でも貴女の年頃ならスカートは少し短いほうが可愛らしいような気も……いえ、過度な露出は品位を下げるか……」

「?」


 職業病か、思わず見たものの感想を口走ってしまい、少女に首を傾げられてしまった。


「失礼、ひとりごとです」

「お部屋にご案内しますね」


 私は客間に通された。

 この間、不思議なことに、この少女以外の女中の姿をひとりも見かけない。

 確かに小さな街ではあるが、ボルドウ領主の館の召使が、この年若い女中のみということはないだろう。


 それにしても、客間にすでに待っているものと思っていた領主の姿すらない。


「お掛けになって、しばらくお待ちくださいね」


 こちらの思いを察してか、少女はお辞儀をして部屋を抜けていった。

 ……引きこもりの領主と聞くし、あまり歓迎はされていないのかもしれない。

 今回の訪問の目的は、ボルドウのソウルフード「豚肉の葡萄ソース煮」を取材させてもらう挨拶だけだ。わざわざそれだけのために顔を出してもらうのも悪い気はする。

 少し気が重くなりながら、ソファーに腰かける。

 良い椅子だ。

 都の貴族の館に比べれば規模は小さいし、美術品、装飾品の数も少ないが、置いてある家具についてはどれも主のこだわりが感じられる、味のあるものばかり。

 先ほどの女中の服といい、領主と趣味は合いそうだ。


 待つこと数分。ようやく客間の扉が開き、私は反射的に立ち上がった。


「待たせてすまない、ミス・ハンベル」


 少しだけ気だるさを感じさせる声とともに部屋に入って来たのは、領主――もとい貴族らしからぬ寝間着のナイトガウンを羽織った女性だった。

 今まで何人かこういう身分の人と面会したことはあるが、流石に寝間着で出てくる人はいなかった。

 それも女性。貴族の女性ならなおさら、一介の記者に会うときも無駄に着飾ったりするものだ。

 呆気に取られていると、接客用のお茶を持って来たらしい先ほどの女中が顔を真っ青にしてわなわなと震えていた。


「ロア様ッ! またそんなお召し物のままでお客様の前に! 私がご用意したお召し物はどうされたのですか!」


 悲鳴にも近い叫び声だ。


「だってあの服着るのに時間かかるから。これ以上客人をお待たせするほうが失礼かなって」


 領主、ロア・ロジェ・クロワは耳が痛そうにそう口を尖らせた。


「寝間着でお客様と対面される領主がどこにいますかッ! お着替えになってください!!」

「ミス・ハンベル。私は出直したほうがよいだろうか」

「え!? 私!? いえ、私はその、構いませんが!」


 突然振られて慌ててそう答えてしまった。


「客人もこうおっしゃっている。マリア、お茶を」


 大変不服そうに、マリアというらしいその女中は領主と私の分のお茶をテーブルに置いた。

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