領主と放浪家庭教師 2

 * * *

「だからにゃ、私は言ってやったんにゃ、『テメエにくれてやる銭はねえ』ってにゃ!」

「ははッ、万年金欠の貴女に言われたら世話ないですねアハハ! もらったお給金その日のうちに博打で摩ってましたもんね!」

「うるへー! 金に困らにゃいお前に言われたくねーにゃ! 良いもん食ってらそりゃあこんだけ大きくなるわにゃ!」

「昔から小さかったくせにひがまないでくださいよぉ」

「もっと酒飲ませろォ! 今夜は飲み明かすにゃあ‼」

「マリアぁ、もう1本新しいの出してきてぇー」

「あちょっと待って気持ち悪くなってきた、トイレどこだっけぇ」


(……地獄です)


 笑い上戸でろれつも怪しい2人を前に、マリアはただただそう思った。


 夕食時、ボルドウの最高の葡萄酒が飲みたいとせがんだライアに、ロアが仕方なく秘蔵の一本を開けたのがそもそもの間違いだった。

 銘酒の産地の領主らしく普段から嗜んでいるロアは勿論、ライアも相当飲める口らしく、最初は普通に談笑しながら飲んでいたのだが、段々と開ける瓶の数が増えていき、今に至っては空のボトルが海賊船上のパーティーかと思われるほどテーブルの上に転がっている始末だ。


 よろよろと席を立ったライアの背中を心配げに見送ってから、マリアはロアに耳打ちする。


「ロア様、いい加減お開きにしてください。飲みすぎです」

「んー。そだね。そろそろ、寝ないと……」


 テーブルにつっぷしてむにゃむにゃと言い出したロアを見てマリアはため息を吐く。


「就寝は部屋に戻ってからにしてください。行きますよ」


 マリアはロアの腕を引っ張って立ち上がらせた。

 そのまま半ば引きずるようにして2階の彼女の寝室に連れていく。


「――ふう」


 ロアをベッドに放り込んで、とりあえずマリアは一息つく。

 既に半分眠りに入っているようなロアの顔を見て、マリアは思わずこぼす。


「大人ってお酒がないと心を開いて喋れないんでしょうか。面倒くさいですね」


 今日1日、傍でずっと見ていて気付いたのだ。

 憎まれ口をたたき合いこそすれ、ロアとライアの仲は決して険悪なものではなく、むしろ良好に見えた。

 それこそ子弟というよりは歳の近い親戚のように。

 だというのに酒が無ければどうにもお互い、態度がぎこちないのだ。


「……ごめんね、めんどうくさくて」


 まだ意識があったのか、ロアは半分枕に顔を埋めながらそうつぶやいた。


「…………ちょっと後ろめたかったんだ。先生がいた頃とこの屋敷は随分変わってしまったし。

 ……先生といると、どうしてもアリシアのこと、思い出すし……」


 後悔が滲む声だった。

 アリシアとはこの屋敷にいたかつての女中の名だ。

 母親の顔を知らないロアにとって、ずっと母親のような存在だった憧れの女性。嫉妬に身を焦がし悪鬼と化してしまった女性。


 ロアが最初に手をかけた悪魔だ。

 マリアが初めて救えなかった女性でもある。


 マリアは目を伏せた。


「あの方はあまり詮索されませんでしたよ」

「……察しの良い人だから……わかってるのかも……」


 マリアはそっとロアの髪をなでた。


「今夜はもうおやすみなさい。

 どうか、良い夢を」






 マリアが食堂に降りると、先刻までへべれけだったとは思えないほどけろりとしたライアが「やあ」と片手を挙げた。


「ロアは眠っちまったかナ?」

「ええ。ミス・ロビンソンは随分お元気そうですが」

「すぐ酔いが醒める体質なんだよネ。不幸な体質ダヨ」


 そう言ってテーブルに残ったチーズを口に入れる。


「ミス・ロビンソン。少し質問をよろしいですか?」

「なんでも聞いてヨ~カワイ子ちゃんからの質問はなんでも答えるヨ~」

「貴女は一体何者なんですか。

 貴女は間違いなく人間ですが、それ以外の匂いもするのです。

 ……あの人と同じような」


 マリアの直球な質問に、ライアは驚かずにこりと笑う。


「さすがはマグナスの愛弟子だネ。良い目を持ってる」

「師をご存知だったんですか?」

「マグナスの名前をこの業界で知らない奴はいないヨ。

 君も外で名乗るときは偽名を使ったほうがいいかも知れないね。君のためにも、ロアのためにも」

「……以後そうします」


 マリアは素直に反省した。

 事実、マリアはマグナス神父の養子になっている。

 無論彼を「父」と呼んだことはないが、名乗るときは便宜上マグナス姓を使っていた。


「貴女はクロワ家の呪いを知ってこの屋敷に入ったのですか?」

「まあそうなるネー」

「……ということは貴女は悪魔祓い?」

「うんにゃ、似たようなことをしたこともあるけど違うかなー。少なくとも私は教会とはそりが全く合わないのでネ。

 信じてもらえないかもしれないけど、私は元悪魔なんだヨ」

「……!?」


 予想外の答えにマリアは固まる。


「驚くのも無理はないネ。確かに私は今、間違いなく『人間』だからネー」

「どういうことなのかご説明いただけますか」


 マリアは思わずライアの向かいの席に座った。


「簡単な話だヨ。悪魔として生まれた命が中途半端に徳を積んじまってネ、魔的要素がほとんど抜けてしまったんだ。

 今の私はちょっとばかし普通の人間より歳をとるのが遅い程度。よく『魔女』って言われるんだけどネ」

「ちょっと待ってください、徳を積んだら悪魔は人間に成るんですか!? 一体何をなされたんですか!?」


 再度腰を浮かせ、迫る勢いで尋ねるマリアに圧倒されながらもライアは答える。


「絶対とかじゃナイヨ? 私以外に同じ境遇の奴とか見たことないし、そもそも私は最初から純度100パーセントの悪魔だからネ? 悪魔憑きとはわけがちがうヨ? 特にロアは……」


 それを聞いたマリアははっと我に返り、落ち着いて席に座りなおす。


「……そうですね。その通りだと思います」


 マリアは息を吐いた。

 そしてささやかな希望に縋りそうになった自身を恥じる。

 独白するように言葉を紡いだ。


「クロワ家に憑いている悪魔は外的には決して祓えません。

 子を成せば子に移っていく。成さなければ永遠に被憑依者の身体を蝕んでいく。祓いきるなら被憑依者ごと殺すしかない」

「悪魔憑きが悪魔になる前に、だネ。完全に悪魔と適合する人間は少ないけど、例がないこともない」


 飄々としているライアの表情に少し影が差したのをマリアは見逃さなかった。

 彼女はやはり知っているのだろう。

 かつてこの屋敷にいた女中がその末路を辿ったことを。


 そして、その悲劇を目の当たりにしたからこそ。


「私はロア様に『正しい死』を約束しました。完全な悪鬼になる前に、人間ひととして終わりを迎えられるように」

「あいつは幸せものだねェ。そんな約束をしてもらえるなんて」

「ロア様もそう言いました。当時の私もそれが最善だと思っていました。ですが今の私は、この解決策に疑問を感じているのです」

「それは……君がロアを殺す覚悟が鈍ったということ?」


 マリアはその問いに首を振る。


「私は出来ない約束はしません。

 あの人の身を悪魔にられるくらいなら、私が手をくだします」


 ほう、と感心したようにライアは目を丸くした。

 同時に、ふふ、と笑みをこぼす。


「何か?」

「いや失礼。どうして疑問を感じてるんだい?」


 そう問われて、マリアはじっとテーブルの上を見つめた。


「……私は、」


 その時、突然にライアが席を立った。

 驚くマリアに向かって、ライアは人差し指を唇に当てる。

 静かに、と言っているようだ。


「魔女だから、耳が良いんだ。少し野暮用を片づけてくるから、話はまた後でゆっくりネ」


 そう言ってライアは速やかに屋敷の出口へ消えていった。




 * * *

 クロワ家の屋敷の庭はそう広くはないが、今は庭師がいないせいか、特に高い樹は剪定がなされておらず見通しが悪い。

 しかし彼女は耳を澄ますだけで相手の位置を掴むことが出来た。


「可愛いメイドちゃんとの語らいの時間を邪魔してくれるんじゃないヨ。いい加減諦めたらどうだい」


 前方の樹の陰に向かって語り掛けると、そこから黒い影が飛び出してきた。

 黒づくめの、傭兵のような装備の男である。

 男は無言のまま、殺傷力の高そうな鋭利な短刀でライアに切りつけた。


「愛想のない男だネ」


 彼女は男の太刀筋を読み切り、まるで猫のように体をひねってその斬撃をかわした。

 間髪入れず、男に蹴りを入れる。

 男の身体は近くの樹まで吹き飛ばされた。


「雇い主に伝えるといい。私の首を取りたきゃ美人の暗殺者でも持ってきナ。そしたらちょっとは油断するかもネって」

「…………」


 男はなお無言を貫いた。

 むしろ、その唇は笑みを湛えている。


「……?」


 不審に思ったライアは、屋敷のほうを振り返る。


「……お前らまさか」

「主が欲しがってるのはお前の首じゃねえ。お前が隠し持ってる秘薬だ。お前からそれを奪うなら、お前を殺すより人質を取ったほうが早いんだよ」


 どうやら男には仲間がいたらしい。

 それも、彼女に気配を悟られず屋敷に忍び込める手練れだ。

 ライアは囮を掴まされたことになる。


「やってくれたネ……と言いたいところなんだけど」


 ライアが浮かべる複雑な笑みに、今度は男が眉をひそめる。


「ご愁傷様、とだけ言っておくヨ」


 ライアは再度男の腹部を蹴り飛ばし、昏倒させた。

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