領主と放浪家庭教師 1

 アポイントなしにやって来た銀髪のその女性は、ライア・ロビンソンというらしい。

 その口調と容姿は非常に軽快だが、一方でどこか貫禄があり、その所作には無駄がなく、まるで手練れの軍人のようだった。

 さも仕方なしげに彼女を客間に通したロアは、手短に彼女のことをマリアに紹介する。


「もう随分前だけど、一時私の家庭教師をしていた人でね。昔からこんな感じの変な人だよ」


 その話を聞く限り、彼女の年齢はロアより相当上だと思うのだが、見た目だけではロアと同年代と言われても不思議に思わないほどだ。


「で、何をしに来たんですか」


 来客時は穏和かつ堂々とした「領主」を演じるロアだが、今回ばかりはふてぶてしい表情をあらわにしていた。


「久しぶりの再会だっていうのに愛想悪いなあ!

 あーあ、幼少の頃の君は可愛いもんだったんだけどネー。歳月っていうのは惨いものだヨ」

「そういう貴女は本当に老けないですね。今お幾つでしたっけ?」


 ちくちくと針を刺し合うように会話する2人に、マリアは頭痛を感じながらもお茶を出した。

 ライアはマリアににこりと微笑みを返す。


「ありがとう子猫ちゃん。そういえば名前を聞いてなかったネ! お名前は?」


 マリアが答える前にロアがすかさず口をはさんだ。


「先生。いい歳こいて子猫ちゃんとか言うのやめてくれませんか、気持ち悪いので」

「あぁん? だから聞いてるんじゃないか! どんだけ過保護なんだよそっちのほうがキモイわ!」

「主人が! 使用人を大事にして何が悪いんですか!?

 大体1か月で屋敷を去った人が何大きな顔してるんですか!」

「君ってば先生への敬意がほんと全然足りないネー!」

「だったらもう少し敬意を払える先生らしいところを見せていただけますかね!?」

「んだとー!? 喜んで課外授業に付いてきてたくせに生意気言うんじゃネー!」

「貴女だって楽しんでたでしょうがー!」

「このでかおっぱい!」

「まな板!」


 子供のような言い合いに発展しだす大の大人2人にマリアは胸中で盛大にため息を零す。


「ミス・ロビンソン、私はマリア・マグナスと申します。冷めないうちにお茶をどうぞ。

 ロア様も少し落ち着いてください、下品です」

「でもでかおっぱいって向こうから言っ」

「最初に失礼なことを言ったのはロア様です」


 マリアに諫められてふてくされたように頬を膨らませるロアを尻目に、ライアは上機嫌そうにティーカップを口に運ぶ。


「うん美味しい。ここのところコーヒーしか飲んでなかったから紅茶がしみるね~。

 ところで私がここに来た用件なんだけどね、ちょっとばかしここに身を隠させてほしいんだよネー」

「却下」


 ロアは即答した。


「ちょお!? 恩師に向かって領主サマがそんなに冷たくあしらっていいのかヨー!?」

「領主だからですよ。何に追われてるのか知らないけどボルドウを面倒くさいことに巻き込まないでくれますか。

 あと自分で恩師とか言うな」

「冷たいナ! マリアちゃん、ちょっとなんとか言ってあげてよー!」


 しかしマリアも即答する。


「私もロア様の意見に賛成です。仮にロア様の恩師といえど過去のことですし」


 今度はロアが勝ち誇ったように微笑む。


「可愛い顔して結構ハッキリものを言う子だね!? 

 でもちょっとときめいたヨ!」

「ときめくな」


 いよいよ低い声で威嚇するロアに、ライアはボリボリと頭を掻いた。


「んー、じゃあせめて今夜一晩だけ! な!? このソファーを借りるだけで構わないからサー! 春先とはいえ野宿は嫌だヨー」


 この通り、と言わんばかりに両手を合わせて懇願するライアに、ロアとマリアは顔を見合わせる。

 いまいち気の乗らない顔をするロアに、マリアは呆れた顔で小さく首を振る。

 今度はロアが頭を掻く番だった。


「……宿ぐらい紹介するんですけどね。

 一晩だけですよ先生。延泊しようとしたら容赦なく追い出しますから」

「さっすがー! やっぱりお前は私の教え子だなあ!」


 感激したらしいライアは身を乗り出してロアの頭をくしゃくしゃと撫でる。


「さっきまで罵ってたくせにどの口が、ていうか髪乱れるからやめてくださいよ!」

「寝ぐせも直してないくせに一丁前なこと言うなヨ~」


 ロアの跳ねた毛先をライアはからかうようにピンとはじいた。

 ちなみにその跳ねたひと房は非常に時間をかけないと直らない強力なくせ毛で、ロアが昔からわりと気にしている部分でもある。


「マリアっ、やっぱり前言撤回して帰らせようこの人!」

「ロア様。大人げないのでそういうことはやめましょう」

「そーだそーだ、でかおっぱいのくせに大人げないぞロア~」

「おっぱい関係ない!!」




 へそを曲げたまま、ロアは使用できそうな客室を選びに2階へと上がっていった。

 彼女が領主になってから、客をこの屋敷に泊める機会など一度もなかったからだ。


 客間に残されたマリアは、仕方なく間を持たせようとする。


「ミス・ロビンソン。お茶のお代わりはいかがですか」

「十分だよありがとう。

 ところで、今この屋敷には使用人は君ひとりだけ?」

「はい。私がここにやって来たときは前領主様の喪中で、他に誰も」

「そうか。私がこの屋敷にいたときも確かに使用人の数は少なかったけどね。執事が口うるさいおっさんでさー、私がロアをロンディヌスの射撃場に連れてったって知ったらものすごい剣幕で怒ったんだヨ」

「それは当然怒ると思います」

「でもよく考えてよマリアちゃん。貴族が護身用に銃を持ってたって使えなきゃ意味がないんダヨ? 標的の心臓撃ち抜くくらいの腕を持ってないとただの鉄くずだヨ」


 その意見にはマリアも賛同だ。

 はるか昔、ある町で年若い町娘を対象に暴漢被害を防ぐための本格的な護身術教室が開かれたそうだ。主催したのはその町の治安の悪さを憂いた風来坊の女性戦士だったという。

 それまで男性の言いなりで、虐げられることの多かった女性たちが、それを機に一気に意識を変えたという。

 その後その町には女性用の訓練場が出来、屈強な女性が外部からも集い、性犯罪とは無縁の治安最良都市になったという。

 その都市の名は『アマゾネス』。今なおその名誉を守り続ける先進都市だ。

 アマゾネスの成り立ちを修道院で初めて聞いたとき、マリアは心底素晴らしいと思ったものだ。


「……もしや貴女がロア様に体術などもご教授されたんですか?」

「おっ、よく分かったネ! 私実は勉強より体育のほうが教えるの得意でサー。あれも飲み込みが早かったからつい力が入ってネ~」


 立場的には令嬢であるロアが妙に武器の扱いや戦闘に慣れていたのはどうやらこの人の影響らしい。

 ここにきてロアの謎だった部分が解明できたことにマリアは少しだけ頬を緩める。


「嬉しそうだネ。ロアの昔話もっと聞きたい?」


 マリアははっとして、きゅっと顔を引き締める。


「いえ、勝手にうかがうのは失礼なので」

「真面目だネー! でも気になってるでしょ?

 顔の火照りは隠せてるけど、耳がかなり紅潮してるからネ!」


 ばっと手で両耳を隠すマリア。

 同時に顔面も急激に火照りだす。

 その様子を見てライアは可笑しそうに笑った。


「ほんと可愛いねマリアちゃんは! 昔からロアとは推しが被るんだけど、これほどとはね~!

 今夜私の部屋に来てくれたら思い出話も全部聞かせるヨぎょッ!?」

「うちのメイドを口説くのもいい加減にしてくれませんか先生。

 私の堪忍袋の緒がいい加減切れそうです」


 いつの間に戻って来たのか、ライアの背後からきゅっとその首を絞めるロア。


「ジョークだよジョーク、この屋敷の輩は皆冗談が通じないんだから困るヨ、離してェ~~」


 ロアはライアの首からぱっと両手を離し、マリアの腰に手を回してそっと彼女から遠ざけた。


「マリア、第2客室のベッドメイクだけお願い」

「承知しました」


 ちなみにその部屋はマリアの部屋から一番距離のある部屋である。

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