領主と放浪家庭教師 3

 その男は気配を完全に消し、そっと玄関から屋敷に忍び込んだ。


 男の雇い主は、小さな村の病弱な領主だ。

 近くに住む「不老不死の魔女」の噂を聞きつけ、領主は魔女に不老不死の秘薬をせがんだが、そんなものはないとあしらわれ逆上。

 無法者を何人も雇い、魔女の住処を漁り、逃げた彼女を追わせ、何度も返り討ちに遭いながらもしつこく追い回して今に至る。

 その領主の執念には男もほとほと呆れるが、金になる仕事となればどんなこともやる。男は今までそうやって命をつないできた。


 例えここが貴族の屋敷であってもやることは変わらない。

 むしろ、相手の身分が高ければ高いほど人質の価値は上がる。

 あの魔女相手に交渉するにはそれぐらいの材料が必要だろう。


 屋敷の主の部屋が2階の最奥であることは昼間に確認済みだ。

 男は息を殺して、2階に上がった。


 廊下に灯りは灯っておらず、窓からの月明かりだけが白い廊下を照らしている。

 そしてその男を待ち構えるように、少女は立っていた。

 男は面食らう。


「……メイド?」


 給仕服姿のまだ若い少女は、こんな時間にも関わらずなぜかその手に清掃用のデッキブラシを携えていた。


「今晩は、ミスター。こんな夜更けにどのような御用件でしょう」


 少女は侵入者である男を前にしても、堂々とそう言ってのけた。

 それだけではない。

 男はヒリヒリと、肌に殺気を感じた。勿論そんなもの、ただの女中が発せられるようなものじゃない。

 そのまま男は腰の短刀に手を伸ばす。


「領主サマにお会いしたいんだが」

「生憎すでに就寝中です。お引き取り下さい」


 男は短刀片手に少女に向かって疾走した。


 男には自負があった。

 今回、病弱領主に雇われた者の中では自分が最も経験豊富で、一番の手練れだと。

 そんな自分が、こんな田舎の、それも女子供に打ち負かされるわけがない。


 そう、思っていた。


 しかし、男が容赦なく斬りつけたその刃を、少女は難なくブラシの柄で止めた。


 ただの木材にしては感触が妙に硬い。


 男が驚き飛び退くと、少女はデッキブラシの柄を回し、ブラシ部分を含むその半分を地に捨てた。

 廊下にカランと乾いた音が響く。

 現れたのは煌々と白く輝く、見慣れない長物だった。

 剣と比べれば刃がやたらと細く、そして絶妙に反っていて、鋭い。

 どうやら異国の武器のようだ。


 今度は少女が男に向かってその刃を振るう。

 斬撃は風のように素早かったが、男は紙一重でそれを避けた。


 場が狭いことが男を有利にしている。

 この廊下ではあの長物を存分に振り切れないようだ。


(もらった!)


 男は太腿に隠し持っていた投擲用のナイフをまさしく彼女に向かって投げようとした。


「痛ッ!?」


 刹那、男の手からナイフがこぼれ、床にそれが転がる。

 見れば掌に、これまた見慣れない不思議な形状の短刀が刺さっていた。

 そして


「――!」


 男の首元に、刃が置かれる。

 間近で見れば見るほど、よく研ぎ澄まされた白刃だった。

 この状態から少しでも動けば、首が落ちそうなほどに。


 男は心の中で両手を挙げた。

 見事な完敗に思わず笑みすら零れる。


「……俺よりよっぽど暗殺者向きじゃねえか、あんた」

「不本意ですが、当然です」

「?」


 少女の返答の意味を男が考える暇もなく、男の意識はそこで途切れた。


 背後から彼に手刀をくらわせた人物がいたのだ。


「だって私を優しく殺してくれるために磨いた剣術だもんね」


 倒れた男の背後から、ロアが姿を現す。

 マリアは床に落ちたブラシの先端を拾い、刃をもとに戻した。


「別に貴女のためだけに磨いたわけではありません。

 私が刀を使うのは、敵の油断と不意を誘いやすいからです」

「ふふふ、最近のロア様はマリアちゃんのそういうところがより一層可愛いなあと思うようになってしまったのだよ、ふふふ」

「ただの変態ですね」

「…………」


 すたすたと階段を下りていくマリアに、ロアは涙声で叫ぶ。


「ちょっとまってマリアー! この男縄でくくって外に出すとこまで一緒にやろうよー! ひとりじゃやだよーー!」





 * * *

 捕縛した男達を駐在所の前の柱に括り付けて帰って来たころには、すっかり朝日が差し込んでいた。


「いやー、迷惑かけちまったネ。わりいわりい」


 へらへらと笑って頭をかくライアに、ロアはふてぶてしく呟く。


「最初から迷惑かけるつもりで来たくせに」

「んなことないヨー!? 久しぶりにお前の顔見に来てやったんだヨ! これはマジだかんナ!」


 ライアはぷりぷりと頬を膨らませる。

 傍でそんなやりとりを見ていたマリアは思わずくすりとほほ笑んだ。


「似ていますね、お2人は」

「「似てない‼」」


 見事に声を重ねた2人はまたもぷいとそっぽを向く。

 マリアはやれやれとお茶を淹れに厨房に入っていった。


 取り残された2人は気まずげに、しばらく無言の時間を過ごす。

 沈黙を破ったのはライアだった。


「おい、ロア。お前あんまりマリアちゃんに甘えてばっかはやめろよ」

「どういう説教ですかそれ」

「まんまの意味ダヨ。彼女の未熟さとか健気さとか、お前絶対楽しんでるだろ」


 む、と眉をひそめるロア。しかし否定は出来ずにいた。

『楽しんでいる』というのは言い過ぎだが、確かにロアは彼女に殺される日を心待ちにしながらも、その日が来るまでの他愛のないやりとりをとても大切に思っている。

 それこそ永劫続けばいいのにと思うほど。

 冷静に考えれば倒錯したおかしな感情だろう。


 マリアの覚悟が揺るがないのは分かっているし信頼もしている。その一方で彼女の優しさをロアは痛いほどよく知っている。

 その感情のせめぎ合いこそが彼女の未熟さの原因であることも。

 そして、それを分かっていて一層、そんな彼女を愛おしいと思ってしまう自分自身の歪んた感情を。


「お前がそんな体たらくだから彼女が余計に迷うんだ。少しは前に進んでみたらどうだ」


 その言葉を聞いて、ロアはふうと息を吐いた。


「……それをわざわざ言いに来たんですね。マグナス神父あたりの差し金で?」

「マリアちゃんには内緒だヨ、実はアレとは古い仲でネ。確かに煽りはあったが、これは私の思いでもあるよ。

 私がお前に手ほどきをしたのは、……まあ、金のためでもあったが、お前自身のためでもあった。お前がずっとここでぬるま湯に浸ってるんじゃ私のひと月が全くもって無駄だからネ」

「……金のくだり、要らなかったと思いますよ」

「うるせえな、正直者なんだヨ私は!

 とにかくお前はもうちょっと真面目にあの子の思いに応えてやれ、せめて気概を見せろ」


 妙にマリアの肩を持つライアに、ロアは不思議そうに尋ねる。


「先生、マリアと何話したの?」

「はっ、教えてやーらなーい。2人だけの秘密の会話だからネ」


 意地悪気にべーと舌を出すライアに、ロアは固まる。


「なんですかそれ! 勝手にうちのマリアと密談してくれてんじゃないですよ!?」

「信頼できる大人の特権ですぅー、悔しかったらお前も大人の余裕を見せるんだナー、でかいのはそのおっぱいだけかァ~ん?」

「~~ッ」


 唇をわなわなと震わせるロアの頭に、唐突にライアは掌を置いた。


「……悪かったな」

「?」


 頭を押さえられているせいで首をもたげられず、ロアにはライアの表情が見えない。


「何への謝罪なのか心当たりがありすぎてわからないんですけど」


 茶化してそう言うと、ライアはくっと吹き出した。

 そうしてまたも昨日のようにわしゃわしゃと頭を撫でられて、ロアは迷惑そうに髪を整える。

 見上げた先には昔と寸分変わらない、師の笑顔があった。


「お前が元気そうで何よりだった。これは嘘じゃないぜ?」

「…………」


 昔から、ロアはミス・ロビンソンがただの家庭教師でないことぐらい見抜いていた。

 そもそも「嘘つき=ライアー」という名からして胡散臭い。


 彼女の素性を疑いながらも、他の大人が絶対に教えてくれないことを何でも教えてくれる彼女のことをロアは尊敬していた。

 今となっては認めたくないが、恐らくアリシアの次に好きだった。

 けれど別れが突然すぎたせいで、なんだか見捨てられた気分になったのだ。


「……出ていく前に一言ぐらい掛けてくれたらよかったのに」

「なんだよ、愛想悪いなって思ってたらそんなことでへそ曲げてたのかァ? ほんと、でかくなっても子供だなァ、ロアは」

「いつまで経っても容姿が変わらない貴女に言われたくないです、まったく。ちょっとは老けて見える格好をしてみるとか努力したらどうです? そしたら魔女だの不老不死の薬持ってるだのとか言われることもないですよ」

「んん、でもなんやかんや薬を作ってるのは嘘じゃないんだよなァ」

「ハ? 今なんて?」


 ドン引きするロアに、ライアは慌てて弁明する。


「やだな危ない薬とかじゃないヨ!? それを売って商売とかもしてないしー? そうだロア、私のとっておきの媚薬をお前にやろう!」


 口止め料だ! と言わんばかりにポケットから怪しげな小瓶をとり出すライア。


「要りませんよなんでそんなもん持ち歩いてるんですか大体誰に使うんですか‼」

「え、マリアたんに使えば? お前好きなんでしょあの子。分かりやすすぎて笑えるし」

「使うかぁああああああああ‼」


 顔を真っ赤にして叫ぶロア。

 稀に聞く大声で叫んだので、マリアが慌てて厨房から出てきた。


「奇声を上げて、一体何事ですか!? ミス・ロビンソン、その手に持っているのは?」

「マリアは見ちゃダメえ‼」

「は!?」


 慌ててマリアの目を手で隠すロアを見て、ライアは声を上げて笑う。


「はははっ、流石に視認で効果が出るもんじゃないよ。これは塗って使うやつ」

「言わんでいい――――‼」

「さっきから何の話をしてるんですか!?」


 はやくしまえと目で訴えるロアに、ライアはさも楽しげな顔で瓶をポケットにしまう。

 安堵するロアの手をマリアは押しのけた。


「もう、何なんですか。……顔真っ赤ですよ?」

「なんでもないからマリアはお茶淹れて来て……」


 顔を隠すようにぐったりとテーブルにつっぷすロアを不審げに見つめながら、マリアは厨房に戻っていった。


「あの子も鈍感だねェ。そこが可愛いのも分かるけどサー」

「先生はもう黙っててください。マリアと私は主人と女中で、契約の上で成り立ってる関係なんです。それ以上はいいんです。余計なことしないでください」


 取り乱したことを恥じているのか、くぐもった声で呟くロアに、ライアは思わず口元を緩めた。


『あの人の身を悪魔に奪とられるくらいなら、私が手をくだします』


 マリアの言葉を思い出す。

 言葉自体は物騒だが、どう考えても愛の告白にしか聞こえない。


(ロアの前で言ってやったらいいのに)


 そしたらどんな顔をしやがるのかね、と想像するだけで面白いのだが。

 まあがんばれと、ライアは胸中で激励した。



 * * *

「……ほんとにあの人は人のこと散々からかって遊ぶだけ遊んで帰っていくんだから……」


 ライアが屋敷をあとにして、ロアはいつものロッキングチェアに揺られながらため息を吐いた。

 マリアはそんなロアをじっと見つめる。


「マリア? なに?」


 ロアが促すと、マリアは少しだけ言うべきか考える素振りをした。


「そのわりにはいつもより楽しそうでしたよ、ロア様」

「え!? どこが!?」

「そういうところです。地が出ている、と言いますか」


 マリアが可笑しそうに、しかし少しだけ寂しげに笑ったのをロアは見逃さない。


「マリアといるときが一番落ち着くんだけどな」


 ロアがそう言うと、マリアは困ったように目をそらした。

 照れた、というのもあるようだが、他にも何か思うところがあるようだ。

 ロアは優しく促す。


「どうしたの?」


 マリアは何かを決意したかのように、真剣な表情でロアに向き直った。


「……ロア、ひとつ提案があるのです」


 あえて敬称を抜いたのは、女中としてではなく、悪魔祓いとしての立場からの提案ということだろう。


「どうぞ、ミス・マグナス」


 対するロアもロッキングチェアを揺らすのをやめて、背筋をただす。


「私はここに女中として滞在することと引き換えに、貴女に悪魔祓いの仕事を手伝ってもらう契約をしました。けれど貴女には貴族、領主という立場がある。だから敢えて、積極的には遠方の仕事を引き受けてきませんでした」

「うん、そうだね」


 ここ3年で2人が引き受けた仕事といえば、短時間で終わる近隣の街の厄払い、あとはたまたまボルドウに持ち込まれた悪霊の処理くらいだ。


「……ですが、時に思うのです。貴女を危険にさらしたいわけではないのですが、このままでいいのかと」

「私は全然いいんだけどね。可愛らしい女中さんと穏やかな日常が送れればそれで」

「そう言うと思っていたから敢えて今まで言わなかったんですよ、私は」


 こめかみを押さえてはあと溜息をつくマリア。

 ロアはそっと立ち上がって、マリアのその手をとった。


「……知ってたよ。マリアがずっとそう思ってたこと。私が前に進まないのを叱咤しようとして、でもそれが私との約束を違えることになりそうで言えなかったことも」

「…………」


 マリアは目を丸くして、ロアを見上げた。

 図星すぎて言葉も出なかった。


 マリアは穏やかな死をロアに与えることを約束した。

 あの時はそれで十分だと思ったのだ。

 けれど、あまりに穏やかな日々を過ごすうちに、彼女がただその死に向けて過ごすだけの日々がもどかしく思えてしまった。

 当の本人は、それだけを望んでいるというのに。


「……ごめんなさい。これは私の我が儘なんです」


 うつむくマリアに、ロアは首を振る。


「謝るのは私のほうだよ。私を人間として扱ってくれてありがとう、マリア」


 マリアの手の甲に、ロアは軽く唇を寄せる。

 そのことに驚いて、マリアは顔を上げた。

 見上げた先のロアの金色の眼には、いつもよりほんの少しだけ、精気が宿っている。


「少しだけ、探してみようか。この呪いを解く方法。

 手伝ってくれる?」


 その言葉を聞いたマリアの瞳からは、涙が自然と溢れていた。

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