幕間

幕間 1

「それでね、マリア。この間君に断られたロンディヌスの件なんだけど」

「引き受けます」


 ある日の昼下がり。養父であり悪魔祓いの師であるマグナス神父に、礼拝堂に呼び出されたマリアは、そのように即答した。


「驚いたな。この間はあんなに嫌がっていたのに」

「しらじらしいですよ、お師匠様。望みがないと知っていたら私を二度も呼び出さないでしょう?」


 隙の無い返答に、神父は思わず微笑みながら肩をすくめた。


「領主様はやる気なのかい?」

「俄然やる気に満ち溢れて。というわけではありませんが、以前よりは」

「それはいい。でも君が懸念していた問題点がいくつかあったと思うけど、そのあたりは大丈夫?」


 ロアが悪魔祓いとして動くには、確かに制限が多い。

 ひとつはロアの立場の問題。彼女が領主である以上、長期間屋敷を離れるわけにはいかない。短期間屋敷を空けるにしても信頼できる管理人を屋敷に入れる必要があるだろう。


 そしてもうひとつは、彼女が悪魔憑きであるということ。

 片田舎ならまだしも、都市部を堂々と歩けば鼻のいい悪魔祓いには勘付かれてしまうし、下手をすれば標的となってしまう。そしてそんな彼らに、彼女が名のある貴族で、それも街を治める領主だと知られてしまうことは、今度の生活のためにも最も避けたいところだ。

 しかし。


「最大の難点はクリアできそうです。あとは何とかしますので、詳しい内容は文書で後日お願いします」


 マリアはそれだけ告げて、席を立った。


「相変わらずせわしないね、君は。お茶ぐらい飲んでいけばいいのに。君の好きなチョコチップクッキーも置いてあるよ?」

「私が帰らないとあの人にお茶を淹れる人がいなくなってしまいます。お師匠様にはお茶の相手をしてくれる暇な悪魔がいるでしょう?」


 神父はなんとも言えない悲しげな顔をして、頭をかいた。


「寂しいこと言わないでくれよ。ちなみにリィは今はいないよ。君がここに来たのを見はからって出ていったから、もしかして領主様の屋敷に行ったのかも」

「!? ちょっと、淫魔の手綱ぐらい握っておいてくれますか!?」


 マリアは一目散に礼拝堂を飛び出していった。


 ステンドグラスを通して燦々と午後の光が差し込む中、残された神父は満面の笑みで呟く。


「……ふう。思いのほか上手くことが運んだね」


 すると、どこからともなく黒い装束の男が姿を現した。

 見事なほど白い髪と、両側頭部から生える雄牛のような角が、彼の非人間性を大きく主張している。ただしその顔立ちは、いたって平凡で穏和そうな、人間の熟年男性そのものだった。

 彼は神父のすぐ後ろの椅子に腰かけて、穏やかな声で言った。


「本当に貴方は、他人を動かすのが上手ですね。主殿」

「私じゃないよ、シヴァ。今回ばかりはアマゾーヌのお陰さ」


 シヴァと呼ばれた男は、感嘆の息を漏らす。


「これは、懐かしい名を。彼女にお会いになったのですか?」

「いや、直接は会ってもらえなくて。私も相当嫌われたね」

「貴方のもとを去った契約者は彼女だけです。リィなんかも勝手気ままですが、彼女はさらに自由奔放でしたからね。……もともと男嫌いでしたし、そう気に病まずとも」

「ありがとうシヴァ。でもさすが、教え子のためならひと肌脱いでくれたんだよ。これであの2人は前に進むしかなくなった。進んだ先の保障は私にも出来かねるけどね」


 神父はかけていた丸眼鏡をはずし、埃をハンカチで拭う。

 そんな様子を見ていたシヴァは、彼に問う。


「主殿はお弟子殿をはやく手元に戻したいご様子。貴方ならそんな回りくどいことをしなくとも、あの半端な悪魔憑きをどうにでも出来るのでは?」

「そんなことをしたら余計にマリアに嫌われるよ。流石に年頃の娘にこれ以上嫌われるのはちょっと」


 それを聞いたシヴァは愉快げに笑った。


「ははは、かつては魔王とも呼ばれ恐れられた貴方が、ひとりの少女に頭が上がらないとは!」

「なに、よくあることさ。本当にね」


 マグナス神父は眼鏡をかけ直し、聖母のステンドグラスを見上げた。




 * * *

 マリアが急いでクロワ家の屋敷に戻ると、神父の言った通り、居間にはサキュバスのリィの姿があった。

 ソファーに腰かけて資料を読むロアの隣で、まるで自分の家のように寝転がってくつろいでいる。


「おかえりマリア。早かったね」

「もっと長居してくればよかったのに。今頃クレス、泣いてるわよ」


「ロア様。そこの悪魔は出入り禁止にしたはずですが、どうして当然のようにそこにいるのでしょうか」


 マリアは不機嫌を寸分も隠さない低い声で、ロアに言う。

 あまりに刺々しい声に、ロアは思わず苦笑いを浮かべた。


「だっていくら言っても帰ってくれないんだよ。何度も言うのも面倒になってきて、飽きたらそのうち帰るかなって」


 するとリィは身体を起こし、ロアに近づきその頬を指でなぞる。


「そんな言い方ひどいわ、領主様。でもそういうつれないところも私好みよ。赤い眼の、獣のような貴女も素敵だったけれど、怠惰でつかみどころのない貴女も面白い。どうしたら貴女を本気に出来るのかしら? どちらが本当の貴女なのかしら?」

「……」


 見かねたマリアが2人の間に入って、リィをロアから引きはがす。


「ロア様は貴女の暇つぶしに付き合っている暇はないんです! 領主としてのお仕事も山積しているんですから!」


 早く帰りなさいと真剣に怒るマリアに、逆にリィは嗜虐心をそそられ、意地悪気な笑みを浮かべる。


「マリアったら、領主様は自分のもの、みたいな顔しちゃってぇ。いつまでも子供だと思ってたけど、少しは女らしくなったんじゃないの?」

「貴女の挑発には乗りません。大体、ロア様は誰のものでも」


 その時、マリアの腰に背後から手が回る。

 急に抱きすくめられてマリアは驚き固まった。

 そんな彼女の肩越しから、ロアはリィに告げる。


「ロア・ロジェ・クロワはマリアのものだよ、サキュバスのお嬢さん。うちのメイドが可愛いからといってそういじめないでくれるかな」

「な」


 面と向かってそんなセリフを言われて、リィは何をどう反論すべきか迷い口ごもる。

 リィのそんな様子が珍しいのと、自身の現状に戸惑って、マリアも身動きをとれずにいた。


「……わ、私は別にマリアのことなんて、可愛いとか思ってないんだからぁー!」

「そう? ならいいんだけど」


 そんなやりとりをしている最中、来客を告げるベルが鳴った。

 今日も特に来客の予定はなかったはずだ。


「見てきます」


 マリアはロアの腕から逃げるように立ち上がる。すると


「私が最も好まない類の匂いがするわ。お暇します、ごきげんよう」


 リィはげんなりとした顔でそう言い残し、壁を抜けていった。

 ロアは不思議そうに首を傾げる。


「悪魔も逃げ帰る客? 誰だろうね」

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