エピローグ

エピローグ

* * *

 ミシェル・ロクサーヌは無事警察に保護された。

 彼女が車いすに乗せられ、いわくつきの物件に連れていかれたのを、近所のバーの経営者、アビー・アレクサンドリアが目撃していたのだ。

 彼女は通報するよりはやく、自らそこに乗り込んで、どこで覚えたのか鍵をピッキングし、眠っていた少女を助け出した。


 ロクサーヌ家は彼女にこの上なく感謝して、多額の金品を彼女に差し出そうとしたが、


「急に店を大きくしても常連に笑われるだけだし。私はここで細々とやっていきたいんで」


 と、それを断ったそうだ。


 また、その建物で死体で発見されたジェフ・ウロボスの過去の余罪については、ロンディヌス市警と教会ロンディヌス支部が合同で調査することになった。


「君がそれを任されたのかい? まあ、教会の中では一番凡人だからねえ君は。ああ、これは褒めてるんだよ?」


 相変わらず奇抜な色のキャンディーを舐めながら、トーマス・ベイカーはエレンに言った。


「いや、普通さ、この件を任されていたマグナスも後始末に協力すべきだと思わない? とっくに里に帰ったっていうの、おかしくない? 支部長も副支部長も魔王には頭が上がらないんだから‼」


 エレンは納得がいっていないのか、トーマスに愚痴を吐いた。


「君が僕に愚痴を言うなんて珍しいねエレン。そんなにマグナスと一緒に仕事がしたかったのかい?」

「そういう意味じゃないわよ!」


 吠えるエレンを見てトーマスはにこにこと笑う。


「まあ、そのうちまた会う機会もあるだろう。その時に恨み言でも言ってやればいいさ。

 僕は今わりと暇だから、君の愚痴でも何だって付き合うよ?」

「じゃあゾンビの死体を山ほどここに持ってくるわ。全員身元を突き止めて埋葬してあげないといけないの」

「うはあ」


 トーマスはうしろ向きに椅子ごとひっくり返った。






「……と、いうわけで、後始末は全部教会のほうに任せてきたよ。

 シヴァが傍にいると交渉がうまく運んでほんとラッキー。弟子の後始末は師がやれとか、本部のほうなら絶対言っただろうけど」


 丸眼鏡の神父は、礼拝堂の十字架の前で年甲斐もなくピースサインなどして見せた。


「大人げない。そんなだからいつまでたっても魔王とか恥ずかしい名前で呼ばれるのよ、クレス」


 ロンディヌス帰りのマグナス神父の土産話をつらつらと聞かされていたリィは、壇の上でだらしなくごろんとに横になった。

 その傍らで、椅子にきっちりと座るシヴァは、マグナス神父をほめたたえる。


「流石です主殿。あの中途半端な悪魔憑きも、満を持して我らの同胞となったわけですし、つまりお弟子殿も立派な悪魔使いとして戻ってこられるわけですね」


 その言葉に、マグナス神父はずーんと表情を曇らせる。


「いやそれがね、マリアは戻ってこないんだよ。屋敷にずっといたいんだってさ」

「ほう? つまりお弟子殿はお嫁に行かれたも同義?」

「いやいやいやまだ流石に早いだろうシヴァ、まだマリアは16だぞ? それにあの子は修道女だし……!」


 マグナス神父はずれかけた眼鏡を直しながらシヴァに詰め寄る。

 そんな様子がおかしくて、リィはけらけらと笑った。


「いつまでも子供だと思っていたら足元を掬われるわよ、クレス。女は生まれた時から女だって言うでしょう?」

「君に言われるととても恐ろしいよ! あんまり私をいじめないでくれよ!」


 ついには地団太まで踏み出した神父を、シヴァとリィはそれぞれの言い方であやしはじめた。






 * * *

 ――ボルドウの女領主は、流行り病にかかって危篤らしい。

 一体誰が言い始めたのか、狭い領地にはそんな噂が広まっていた。


「領主様のお加減はいかがですか」


 ボルドウの屋敷を訪れた若い郵便配達員は、玄関先で帽子を手に取り、心配げな顔をして彼女に尋ねた。


「危篤などと言われていますが、随分とよくなりましたよ。いつも気にかけてくださり、ありがとうございます」


 女中の少女は、彼から配達物の手紙を受け取り、丁寧にお辞儀をした。

 そも、引きこもりのボルドウ領主が病に伏しているという噂は以前からずっとあったものだが、いつも直に心配してくれるのはこの若い郵便屋と、新聞配達の老人ぐらいしかいない。


 今回は危篤という噂もあって、客人もなく今日も屋敷は静かなものだ。

 マリアは両手でお盆を持ちながら、自らの靴音だけが響く廊下を歩き、最奥の部屋の扉をノックする。


「失礼します」


 初夏を感じさせる白い陽射しの中で、赤毛の主人はベッドに静かに座っていた。


「ルクルス様からお手紙です。今読まれますか?」

「後で読むよ。先日の、お礼の手紙の返信でしょう。彼も忙しいのに、マメだね」

「ではここに置いておきます。

 それにしても、貴女が危篤だなんて誰が言い出したんでしょう。別に私は構いませんが、心配をしてくれる郵便屋さんが気の毒です」


 マリアはそう言って、ベッドの傍らの椅子に座りなおした。


「ほんと、誰だろうね」


 ロアは意味深な笑みを含ませた。

 危篤と言うのは言い過ぎだが、病床にあるというのは嘘ではない。


 というのも、あの日、悪魔として目覚めたロアは、瀕死の怪我をそれにより克服した。

 しかしそれは死を乗り越えたと言うだけで、内臓のダメージが完全に消えたわけではない。

 それは適切な治療を施さなければ後遺症が残るものだった。


 というわけで、事件の後始末は師に任せ(その師は教会に押し付けたようだが)、マリアはロアをボルドウの屋敷に連れ帰り、こうして毎日献身的に看病をしているわけだが。


「まさか噂は貴女自身が?」


 マリアのジト目に、ロアはたじろぐ。

 そして開き直った。


「だって人払いしたいじゃない! せっかくマリアと四六時中ゆっくり過ごせるのに!」


 治療中と言えどわりと元気なロアは、最近以前にもましてマリアに甘えるようになった。

 それがまんざらでもないマリアは、平静を装いつつ口の端がつい上がってしまう。


「……はいはい、わかりました。

 さあ、今日のお薬の時間ですよ」


 マリアはそう言って、お盆の上の薬を持ち上げた。

 それは真っ黒な丸薬で、少し離れていてもツンとくる刺激臭がするものだった。


「待ってマリア! それは飲みたくない! なんかヤバい臭いがする!」

「我が儘を言わないでください。昨日ミス・ロビンソンがわざわざ送ってくださったありがたい薬です。これを飲めば身体の自然回復力が向上すると」

「いやそれどう見てもマムシとか精力増強とかそんな感じの奴でしょ!? マリアはなんでそんなに先生のこと無条件に信用するの!」

「私も逆に訊きたいです。ロア様はどうしてそんなにあの方の薬を口にしたがらないんですか? あの匂い消しだって高性能だったじゃないですか」

「……だってぇ」


 この際媚薬の件を言ってしまおうか迷ったが、ロアは結局言葉を飲み込んだ。


「まあ確かに、ちょっとこの薬は臭いがきついかなと思いましたが」

「でしょ!? 飲むのやめよう!?」

「ですから、ゼラチンを持ってきました」

「へ?」


 マリアはガラスの小鉢に入れた透明なゼラチンをロアに見せた。


「この薬をこうやって、ゼラチンの中に入れてしまえば、喉にひっかかることなく綺麗に飲めますよ」


 マリアの聖母のような笑みの眩しさに、ロアは思わず目を背ける。


「……マリアの気持ちは嬉しいけど、でもやっぱりその薬はちょっと………」

「聞き分けがないですね。貴女にははやく回復していただかないと私も困るんですよ!」


 以前から懸念していたロアの悪魔化は、不幸中の幸いとでもいうべきか、性格や外見はほぼ従前のロアとさして変わらない程度の変容で済んだ。

 マグナス神父の考察では、ロアは生まれついたときからの悪魔憑きであったため、身体がこの上なく魔と適合したのだろうということだ。

 もしくは、ロアがジェフ・ウロボスの更なる凶行を止めるため、悪魔の力を自ら進んで受け入れたことも大きいのではと。


 ともかくも、ロアが悪魔となってしまった今、次にすべきは彼女を「人間に戻すこと」だとマリアは考えている。

 皮肉なことかもしれないが、マリアはライア・ロビンソンの言葉に縋るしかないのだ。


 ――悪魔が徳を積めば、あるいは人間に成れると。


「貴女とは、同じ時間を過ごしたいですから」


 悪魔と人間では、流れる時間の速さが違う。

 ロアははからずしも、恐れていた人間としての死を超えたが、今度は逆にマリアの時間を追いこしてしまう可能性がある。


「……そうだね」


 マリアの言葉に、ロアは頷いた。


「ですから、早くこの薬を飲んで元気になって、徳を積みに行きましょう」

「………」


 それでも口に入れるのをしぶるロアに、マリアは遂に怒った。


「もう! 貴女が口に入れないなら私が口にします!」

「へ?」


 マリアは丸薬を入れたゼラチンをスプーンですくい、自らの口に含んだ。


 なんで? と目を丸くするロアの首の後ろに、マリアの手が回る。

 そしてそのままマリアはロアの顔を引き寄せた。


「!」


 唇が触れ合う。

 驚きで半開きになったロアの口に、マリアは舌を運んでそっとゼラチンを流し込んだ。

 なされるがままに、ロアはごくんとそれを溜飲する。

 その喉の動きを確認して、マリアはそっと唇を離した。


「……飲みましたね」


 どうだ、と少し誇らしげに、けれどやはり羞恥が勝るのか顔を真っ赤にしながら、マリアはロアに確認する。

 こくこくと、ロアはただ赤い顔で頷いた。


「では、安静にしてくださいね」


 逃げるように立ち上がろうとするマリアの手首を、ロアは掴む。


「ぁ、ちょっ!」


 ロアはそのまま、マリアをベッドに押し倒した。

 ロアは上気した頬のまま、少しだけ楽しそうな顔で、組み敷いたマリアを見つめる。

 一方のマリアは少し呆れた眼でロアを見上げた。


「……お戯れを。安静にしてくださいと言ったでしょう?」

「マリアからあんなことされたら我慢できなくて。

 ……口移しなんて、どこで覚えたの?」


 ロアの言葉に、マリアは即答する。


「本です。ロア様の書斎にあった」

「どれ!?」


 書斎に置いている本をざっと脳内で思い返すも、先代から引き継いだものも多すぎて、ロアには特定が出来なかった。

 官能小説の類は流石に書斎にはなかった、はずだ。


「……マリア、わざとこの雰囲気を誤魔化そうとしてるでしょ」

「主人がメイドをベッドに押し倒すなんてシチュエーション、誤魔化さなければやっていられないでしょう」


 そう呟いたマリアの頬は、間違いなく赤く火照っていた。

 それを認めて、ロアは嬉しそうに微笑む。


「……それは、私が何をしたいか分かってる顔だねマリア」

「知りませんしわかりません!」


 マリアが赤い顔で吠える。

 やりすぎたかなとロアが苦笑いをしてマリアの手を離そうとすると。


「…………だから、……その、今度はちゃんと、教えてください。

 ……貴女の言葉で」


 マリアは改めて、ロアを見上げる。

 見上げた先のロアは目を丸くしていた。

 そして、


「……本当、まいったな」


 はにかむような笑みで、ロアはそうこぼした。

 離そうとしていた手を再度つなぎ直し、ロアは自らの額をマリアのそれにこつんと合わせる。


「…………大好き」

「それは知っています」

「マリアとずっと一緒にいられるように、私、今度こそ頑張るから」

「……はい」


 ふたりは見つめ合い直し、そしてそっと口づけを交わした。

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女領主とその女中 あべかわきなこ @kinakowankoro

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