領主と吸血鬼5

 そこは22番通りの数ある飲食店のひとつ。

 客が入り浸るならその客が満足するまで店を開ける。逆に客の入りが悪い日は、早めに店を閉める。

 そんな気ままなバーの女主人、アビー・アレクサンドリアが、店の看板の灯りを消そうとしたその時だった。


「まだいいかな」


 黒いコートを羽織った若い女が店の前にやって来た。

 珍しい髪色の、大層な美人だったが、表情はどことなく浮かない様子。

 常連ではなかったが、たったひとりでここまでやって来てくれた客に、アビーは「いいよ」と頷いた。



 彼女のバーはさして広くない。

 年季の入った短いカウンターと、2人掛けの木製テーブルが4セットあるだけだ。

 客をカウンターに座らせて、オーダーのウイスキーの氷を割る。


「最近物騒な事件が続いてるから、客の入りが悪くて。ちゃんと知ってるかい、吸血鬼の話」


 彼女の問いに、客はもちろんと答えた。


「この辺りは2回も現場になってるんだ。あんまりひとりで遅くに出歩かないほうがいいよ」


 グラスを差し出しながらアビーが言うと、赤毛の美人は苦笑しながら「貴女は?」と返してきた。

 アビーはけらけらと笑う。


「こんなオバサンは狙われやしないよ! 街で噂の吸血鬼さんは若くて綺麗な人しか狙わないらしいからね!」


 はたちの時、ここでバーを開いてはや20年。恋も、そうでない駆け引きもいろいろあったが、気が付けば未婚のままそこそこな年齢になってしまった。


「そんなことはない。貴女は相変わらず綺麗だよ」


 客人はにこりと微笑んで、グラスを傾けた。

 まるで以前会ったことがあるかのような口ぶりに、アビーは客人の顔をもう一度まじまじと見る。

 綺麗な大地色の髪と、印象的な金色の眼。灯りのもとで見た時、まさかとは思っていたが


「もしかしてお姉さん、ロビンソンと一緒に来てたあのお嬢ちゃんかい?」

「光栄です。覚えてらしたんですね」


 アビーは思わず大きな声で笑った。


「いや参ったな、あの時ここでジュースを飲んでたお嬢ちゃんがこんなに大きくなってるなんて! 私も歳をとるもんだよ。ロビンソンは元気かい?」

「つい最近久しぶりに会いました。相変わらずの飲んだくれでした

 よ」

「それは結構。いやー、それにしてもほんと大きくなったね。確かお姉さん、ボルドウのお嬢様でしょ? ロンディヌスには旅行で? ひとり?」


 アビーは自分のグラスを取り出して、同じウイスキーを注ぎ始めた。思わぬ再会に興奮を禁じえなかったのだ。


「連れがホテルにいるんですけど、ちょっといろいろあって」

「ははぁ、だから浮かないカオして飲みにきてくれたのかー。そっちこそよくこの店のこと覚えててくれたね。カンパーイ」


 ふたりはカン、と音を立てて、グラスを合わせる。


「喧嘩の相手は男? いや、男だったら万死もんだね。今のご時世に夜中にこんな美人をひとりで外に出すとか正気じゃないもんな」

「女の子です」

「その言いぶりからして年下の子? なんで喧嘩になるの?」


 アビーはとんとんと懐かしの客人から話を聞き出す。

 長年この商売をしていると、客人の悩みごとを聞くことも多い。実際に力になってやれることは少ないが、話を聞くだけでも少しは胸がすくだろうというのが彼女の信条だ。


 客人の話をアビーの解釈で要約すると、彼女が連れと歩いていたら彼女を慕うファンに偶然出くわし、知人の親戚ということでむげにも扱えず、連れとの予定を変更してまで明日会う約束をしてしまったところ、連れが激怒した、と。


「悪いけど姉さん、そりゃああんたが悪いよ」

「ですよね」


 赤毛の美人は反省しきった猿のようにうなだれた。


「他人に優しいのはいいけど、大事な人こそ大切にしないと後悔するよ? あんたのことだ、さっきみたいに、女子がときめきそうな言葉をさらっと言っちゃったりするんだろ?」


 ロビンソンの悪い癖がうつったのかねえ、とアビーは胸中で旧友に想いを馳せる。

 ライア・ロビンソンという女は、裏表のないさっぱりとした性格から、やたら同性にモテる女だった。

 アビーに言わせれば酒にだらしなく女の涙に弱い、中身はただのオッサンだったのだが。


「いや、別に相手をときめかせようなんて寸分も思ってないですよ」

「そりゃあ重症だ。姉さんはちょっと自分の容姿を意識したほうがいいね」


 マリアにも似たようなこと言われたな、と小さく呟く客人に、アビーはハハッと笑った。


「カオが良い分何を言っても様になるってことさ! そりゃあその女の子もヤキモキするってもんだよ。まあ、妬いてもらえるだけ好かれてるってことじゃないか」


 アビーの言葉に、客人はきょとんとした。


「妬いて……くれてるんですかね」


 今度はアビーがきょとんとする。


「いや、聞いてる分にはそうにしか思えなかったけど」


 素直にそう言うと、客人は照れ隠しなのか少し俯いて頭を掻いた。

『かわいいなオイ』と思わず口に出しそうになったアビーは喉のあたりでぐっと押しとどめる。それを言ってしまったら自分もいよいよオッサンになってしまう。


「ほら、それ飲んだらちゃんと謝りにお帰り。せっかくだから今度はその子も連れてきなよ」


 これは社交辞令などではなく、どんな青いふたりなのか、見てみたくなったアビーの本心である。


「仲直りしたら、また」


 客人はそう言って、残りのウイスキーを飲み干した。

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