領主と吸血鬼3

 ふたりが22番通りへ向かっている間に、正午を知らせる街の鐘が辺りに鳴り響いた。

 昼食の休憩時間になったせいか、会社勤めの市民たちがわらわらと建物から出て来て、人通りがどっと増える。


 今日のロアのドレスは、街歩き用の簡素な既製品で、それに合わせてベールつきの帽子もホテルに置いてきた。

 首都では珍しい髪色に加えて女性として完成されたそのスタイルのせいか、道行く男性はことごとく、すれ違いざまに彼女を視線で追っている。

 ロアの後ろを歩くとそれがよくわかってしまい、マリアはどことなく落ち着かない気分になる。


 やはりもう少し人目を避けて歩くべき、と判断したマリアがロアを呼び止めようとしたそのときだった。


「もし、もし!」

「?」


 マリアの脇を追いこして、ロアの前にブロンドの少女が立ちはだかった。

 齢は10ほどの見知らぬ少女だったが、良く手入れされた長い髪、今年流行の空色のドレスを着こなしており、その身なりからして裕福な家柄なのだろうということはすぐにわかる。

 少し釣りぎみの碧眼、日焼けを知らない真っ白な肌、華奢な体躯と整った可愛らしい顔立ちはまるで碧眼の白毛の子猫を想起させるが、その態度はやたらと堂々としていた。

 そして


「ボルドウの領主様というのは貴女ではなくって!?」


 少女がその目を輝かせて、往来の真ん中で突然そんなことを言い出すものだから、ロアもマリアも目を丸くせざるをえなかった。


「……人違いだと思うけれど」


 ロアはなるべくやんわりとそう言ったが、その少女は一層声を張り上げた。


「でも赤毛で、瞳が黄金色で、背が高くて、美人なひとなんてそんなに滅多にいるものじゃないわ!」


 どういうわけか彼女はロアの身体的特徴をよく知っているらしい。

 どうしたものかとロアが逡巡していると


「お嬢様! ミシェルお嬢様ぁー! どこですかぁー!」


 背後から息も絶え絶えな男性の悲壮な叫び声が聞こえてきた。


「やだ、見つかっちゃう! 匿って!」

「へ?」


 少女はぱっとロアの手を取ると、そのままその手を引いて脇道に逃げ込む。


「ちょっと、貴女!?」


 マリアも慌ててふたりの後を追いかけた。






「はー、ここまで来れば、ふー、大丈夫ね! 相変わらずジェフはのろま、なんだから! ……ふー」


 大通りから随分と離れた路地裏で少女はようやく立ち止まり、妙な達成感を感じさせる笑顔と動作で額の汗を拭った。

 普段あまり走りなれていないのか、随分と息が上がっている。


「もう、いきなりなんなんですか!」


 少女に引っ張ってこられたロアよりも、後ろから追いかける羽目になったマリアがまず抗議する。

 しかし少女はそんなマリアの顔を見て、またもきらりと目を輝かせた。


「貴女はもしかして、領主様のところのメイドさん?」


 あまりに的確な指摘にマリアは再度面食らう。

 過去、ボルドウの屋敷を訪れた客人の顔と名前はマリアも大方覚えている。この少女とは絶対に初対面のはずだった。


「貴女は一体……」


 マリアの怪訝な顔にようやく気が付いたのか、少女は少しかしこまり、ドレスの裾を軽く引いてお辞儀をした。


「初めまして。私はミシェル・ロクサーヌ。ルクルス家のアルフレッドお兄様は私の従兄なの」


「「……」」


 ロアとマリアはまたも目を丸くした。

 それから顔を見合わせる。


「どういうことですか。本物のロクサーヌ家のお嬢様がロンディヌスに来ているなんてルクルス様からは聞いていませんよ」

「私だって寝耳に水だよ」


 それを聞いたミシェルはにこにこと、どこか誇らしげに頷く。


「やっぱり領主様なのね! お兄様の言った通りの方! でも今日は男装ではいらっしゃらないのね……」


 見てみたかったと言いたげに、残念そうに口をとがらせるミシェルにロアは苦笑する。

 それから少しだけ大仰に、胸に手を当て礼をした。


「先ほどの非礼はお詫びします、レディ。この地では身分を隠すため、ルクルス殿の許しを得て御親類のヴェルヌ様のお名前をお借りしているのです。特にこちらのマリアはロクサーヌ様のお名前をお借りしていますから、どうかご理解いただきたい」


 紳士めいたその仕草に、ミシェルは白い頬を赤く上気させた。


「まあ、そうでしたの! ……そういえばお母様が何か言っていたような気もするけど……うっかりしていましたわごめんなさい!」


 ごめんなさいと言いながらも特に反省している風ではなく、彼女はにこりと微笑んだ。態度こそ令嬢として堂々としているが、このあたりはまだ歳相応のようだ。


「アルフレッドお兄様から以前、ボルドウの領主様のお話を聞いて、一度お会いしてみたいと思っていたの。そしたらこの間、お母様がお兄様とお電話されていて、領主様がちょうどこの日にロンディヌスにいらっしゃると聞いて! ほんとはこっそりひとりで探そうと思っていたのに、付き人のジェフが付いてくるんだもの」


 先ほど悲壮な声で追いかけて来ていたのはそのジェフという付き人のようだ。


「あの、あまり付き人の方を困らせないほうが……。それにロンディヌスは物騒ですし、貴女のようなご令嬢がひとりで歩くのは危ないと思います。はやくそのジェフさんと合流しましょう」


 マリアがそう言うと、ミシェルはぱっとロアの後ろに隠れた。


「やだやだ! せっかくお会いできたのに、まだお茶もしていないじゃない!」


 駄々をこねるミシェルと、視線を合わせるようにロアは中腰になった。


「お茶なら、別の日にいかがかな。私たちはしばらくロンディヌスに滞在するのだけど」

「本当? 私、明後日まではここにいるの。明日、ブランチはいかが? 前にお兄様に連れて行ってもらった素敵なカフェがあるの」

「それは良い」


 嬉々として落ち合う場所と時間を調整し始めるふたりを見て、マリアは明日の分単位のスケジュールが音を立てて崩れていくのを感じ頭痛を覚えた。


「あっ、いた! お嬢様――!」


 息を切らせて走り寄って来たのは、黒の背広にトレンチコートを羽織った青年だった。

 黒の短髪をオールバックにした、いかにも執事といった風貌だが、少し下がり気味の眉のせいか、優しい顔にしか見えない顔立ちだ。


「もう! 勝手に知らない人についていっちゃダメっていつも言ってるでしょう!? 相手が女性でも、最近は油断できないとミス・ウォーターが言っていたじゃないですか!」


 目の前にその「知らない人」がいるというのに、開口一番がそれだったので、「これはだめな執事だな」とマリアはさらに頭を痛くした。


「ジェフ! 領主様に失礼でしょう!? この方はボルドウの領主様なのよ!」


 マリアに代わってミシェルが執事を嗜める。

 それを聞いた彼は「へ!?」と顔を青くした。


「ごめんなさい、領主様。うちの執事が無礼を。

 明日を楽しみにしていますね。絶対に来てくださいね!」


 まるで犬の首輪を握るように、ミシェルは執事の襟をあたりを掴んでずるずると歩き出した。


「必ず行くよ。また明日」


 ロアは笑みを浮かべてひらひらと手を振った。

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