領主と吸血鬼17
彼がその才能に目覚めたのは、ほんの偶然だった。
3つ下の病弱な妹が大事にしていた布人形が、ある日破れてしまった。
貧しい家だったので新しい人形も買えず、本来ならば縫い直してくれるであろう母親も、彼の家にはいなかった。
涙する妹をなだめるため、彼は元の縫い目の見よう見まねで丹精込めて縫い直した。
すると不思議と、継ぎ目が分からないほど美しく縫えたのだ。
妹はとても喜んで、一層その人形を大事にした。
それから数日後、彼の妹は不思議なことを言い始めた。
人形が喋りかけてくるというのだ。
彼も、父親も、少女のよくある空想だろうと思っていた。
しかし、日がな一日人形と喋りつづける妹に、父親は気味悪さを覚えたのか、その人形を妹に黙って捨ててしまった。
彼はそれを見ていたが、妹が悲しむと思い秘密にした。
しかし、その翌日。
家からずっと離れたゴミ捨て場に捨てられていたはずの人形が、妹の枕もとに帰ってきているのを見て、彼は目を疑った。
そしてその人形は微かに、彼を見て笑ったような気がしたのだ。
その後妹は病死し、父は失踪した。親戚の助力で彼がとあるお屋敷に下働きとして入ったとき、彼は再び人形を作る機会に恵まれた。
彼の手先の器用さを高く評価した同僚の老婆が、孫のために人形を作ってみてほしいと頼んできたのだ。
当時、所有者に似せたドールが流行っていて、店で作るとなるとかなり高価なものだった。
最低限の材料を揃えてもらい、時には自身で材料を調達し、彼は空いた時間を使って熱心にそれを完成させた。
初めてと思えないほど見事な出来に、彼は酔った。
人形の肌の純白さに。
ガラスの瞳の虚ろさに。
生と死の狭間のようなその体躯に。
手放したくないなとすら思ったとき、彼は見たのだ。
その人形に魂が入る瞬間を。
彼はこの時ようやく自身の能力について自覚した。
彼が手がけたものには、「魂が入り込みやすい」のだ。
人形遣いとは、少し違う。
どちらかと言えば、彼のその能力は「ネクロマンス」に近かった。
それをはっきりと彼に教えてくれたのは、夜の街で出会った通りすがりの若い紳士だった。
名は知らない。ただ、この世のものとは思えないほど端正な顔立ちの男だった。
初めて人形を作って以来、病みつきになった彼はさらに新たな人形を作った。
人形への熱情と愛情は日に日に増した。
性欲すら人形で処理できた。
人間の女性には欲求を覚えなかった。
それを同年代の知人に言うと、嘲笑されるだけだったが。
15になった彼が、完成したばかりのお気に入りの人形をバッグに忍ばせ街を歩いていた時だ。
その紳士は突然彼に声をかけ、バッグの中に何が入っているか言い当てた。
「素晴らしい人形だ。この上なく美しい。この器ならどんな魂も呼び込めるだろう」
紳士は言った。
「しかし勿体ない。君の腕ならもっと素晴らしいことが出来るのに」
もっと素晴らしいこととは、と彼は興味本位で紳士に問うた。
紳士は端正な顔のまま、唇だけで薄く笑った。
そして、道の端に立っていた娼婦を突然手にかけたのだ。
ナイフで急所をたった一刺し。
血すら飛び散ることはなかった。
あまりの手際のよさに、彼は恐怖を覚える暇もなかった。
「この死体を3日ほど冷暗所で寝かせたまえ。それから君はこの刺し傷を縫いなさい。そうすれば君の道は必ず開けよう。
ああ、君がこの女性の死を罪に思うことはない。
私は『死神』。死がたまたま彼女に触れただけだ」
紳士はそれだけ言い残し、その場を去った。
彼は女性の遺体を近くの空き倉庫に運んだ。
不思議とその間人目はなかったし、3日間その遺体が発見されることもなかった。
紳士に言われた通り、彼は3日後、彼女の刺し傷を糸で縫った。
するとどうだろう。
彼女は死した状態で、動きだしたのだ。
彼は目を見張った。
生者にはない肌の無垢さ。
いくら見つめても飽きない瞳。
生の穢れを全てそぎ落とした死したそのひとに、彼は欲情した。
彼はその日初めて女性を抱いた。
――それからもう十数年。
彼、ジェフ・ウロボスは奇跡的な縁で富豪の家に執事として雇われた。経済的にも安定したし、かつての妹を思い出させる病弱な令嬢の世話をすることは彼の喜びであり、やりがいだった。
けれどどれだけ生活が満ち足りても、彼の才覚はその幸福な日常だけでは満足することができなかった。
ジェフはロンディヌス22番通りにあるいわくつき物件を格安で借り、そこをネクロマンサーとしての主な活動拠点にした。そして社会からはみ出した者、数が減っても気づかれにくい人間を手にかけてはネクロマンスを試みた。
また、彼に道を示してくれたあの美しい紳士を忘れられず、ジェフ・ウロボスは数年がかりであの紳士を忠実に再現した人形を作った。
それが完成したのは去年の秋、まさに最高傑作だったと言って良い。
それを示すかのように、あの人形に入り込んだ魂は、今までのものより格段に優れたものだった。
まず、それは人語を話した。
そしてそれは明確な意志を持っていた。
その意志はジェフに通ずるものだった。
彼らはまさに同志、双子のような存在だったのだ。
人形は、真に愛せる理想の女性を探しに夜な夜な出かけた。
ただし、生きた女性はいけない。
死して、美しさをそこに止め、初めて愛は完成するのだ。
ネクロマンスを起動させるには、遺体にある程度の日数を置かなければならなかった。
墓地に埋葬された遺体を迎えにいくのは少し面倒だったが、仮に彼女達が街中で動く姿を見られても、既に死人と認識されているほうが見間違いとして処理されるだろうし、やりやすかった。
人形が手にかけた女性たちは、皆とても美しかった。
ジェフは彼女らを美しく着飾らせてショーケースに飾った。ときにケースから出してデートをしたり、戯れもした。
実は、ジェフが今まで手にかけてきた死者たちは、生前のままの容姿を数日と保てなかった。
人形が初めて手にかけたメアリ・ドートンも、1週間でその容姿が曇ってしまった。
人形はジェフに提案した。死者に血は必要ないのではと。
つまりは、彼女らの身体から血は極力抜いたほうが見目を保てるということだった。
2人目からは、人形は彼女らの血を吸いつくすようになった。
それ以降ネクロマンスで蘇らせた女性たちは、皆美しいままだ。
ジェフのネクロマンスの手法はこれで完成したのだ。
人形が抱く女性の理想は随分と高く、女性を次々に手にかけても満足する様子はなかった。
また、いかに街に外出禁止令が敷かれようと、夜に出歩く女性がまったくいなくなることはなかった。
5人目の女性などは、「美しい吸血鬼に美しく殺されるために」家出をして待っていたという。
それを人形から聞いたとき、ジェフは同志が他にもいるのだと歓喜したものだ。
ジェフのコレクションは今後もますます増えていく予定だった。
しかしその夢も儚く終わってしまった。
人形は正体を見破られ粉々になってしまった。
あれを超える人形は、もう作れそうにない。
けれど、今の彼にはどうしても叶えたい野望がある。
ジェフは唯一生きて愛したミシェル・ロクサーヌを、絶対に次の作品にしたかった。
彼女の、今のままの美しい姿をこの世界にとどめられるなら、ロクサーヌ家の執事としての人生を失ってもいい。
あとは人形亡き今、どうやって彼女の血を抜くか、だが。
彼にはひとつだけアイデアがあった。
ジェフは退院したミシェルを薬で眠らせ、車いすに乗せた。22番通りの彼のアトリエに運ぶためだ。
22番通りは元来繁華街だが、今は吸血鬼騒動――あの人形のお陰で開けている店のほうが少なかった。
途中でひとり、女性とすれ違ったが、千鳥足で酔っぱらっているようだったので、ジェフは気に留めないことにした。
「ここで少し待っていてくださいね、お嬢様」
数多の人形が並ぶ部屋の真ん中に、ジェフはミシェルをそっと寝かせ、その額にキスを落とす。
部屋に鍵をかけ、ジェフは目的を果たしに出かけた。
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