領主と吸血鬼12

* * *

「随分性質の悪い爪に引っかかったのね、領主様。私の血でなければ相殺できなかったかも」


 リィは乱れた髪を手ですきながら、ソファに腰かけた。

 ベッドシーツはしわだらけの血まみれで、傍から見れば大惨事だ。


「私が口を出すのもなんだけど、本当に相手は吸血鬼? インキュバスなんじゃないの、それ」

「……相手のことはともかく、感謝するよお嬢さん。今回ばかりは本当に危なかった」


 血まみれのベッドに仰向けになったまま、ロアは息を吐くように言った。

 汗はまだ引いていないが、瞳の色は熱が冷めたようにいつもの金色に戻っている。


「貴女の『危なかった』っていうのは、貴女の身体が、っていうよりマリアを、っていう意味なんでしょう?」

「……結局は同じだよ。私がマリアを本気で求めたら、その時私はもうロア・ロジェ・クロワじゃない」


 ――その割には私の血を貪っているときもあの子のことを考えていたように思うけど、というのはなんとなく癪なのでリィは言葉にしなかった。

 外で泣きながらうずくまっていたマリアの顔を思い出し、リィはさらになんとも言えない気分になる。


「……ほんと、見ていてまだるっこしい」


「? そういえば、マリアは?」


 ロアはゆっくりとベッドから立ち上がる。


「はいはい。扉の外でいじけて待ってるんじゃない?」


 リィの言葉に、ロアはゆっくり扉を開けた。

 が、そこにマリアの姿はない。


「……いない」

「え? いないの?」


 リィも壁を抜けて廊下を見る。


「……やだほんと。もしかしてあの子」


 リィがすべて言い切る前に、ロアはコートを引っ掛けて部屋を飛び出した。


「ちょっと!? まだ動かないほうがいいってば!」


 リィの言葉など聞こえていないのか、ロアの後姿はすぐに見えなくなった。





 * * *

「大変お上手でいらっしゃる、マドモアゼル」


 男の爪に少しでもかかればこのダンスは終わりだ。

 マリアは男の爪を紙一重でかわしつつ、攻める機会をうかがっていた。

 それが分かっているのか、男は涼しげで端正であるはずの表情をわざと崩して、実に嬉しそうに笑った。


「私もそろそろ、貴女からの踏み込みを待っているのですよ」


 男はそう言ってわざと爪を止めた。

 マリアは唇を噛みつつ、すかさず足首に隠していた異国の武器――「くない」を手に取りそれを投擲する。


 男は身をかがめてそれを避け、俊敏な動きで一気にマリアの懐へ入り込んだ。

 マリアはこれを好機と、袖口に忍ばせていた「十手」を滑らせ握る。

 相手の爪を鍵部分で捕らえ、細い刃をへし折った。


「変わった武器をお持ちですね。ですが」


 男は薄笑いのまま、マリアの細い腰を捕まえた。


「こちらも捕まえましたよ」


 男の力は想像以上に強く、その抱擁から抜け出すことは難しかった。


 間近で見る男の顔は青白く、それでいて妙に美しい瞳をしていた。

 男に捕らえられても怯えもしないマリアを見て、男は儚げに笑う。


「……やはり貴女も動じないのですね。貴女の心もどこかに置いておられるのですか?」


 その問いにマリアは答えない。

 ちょうど、その時だった。


「マグナス‼」


 女の声がして、マリアと男は声のしたほうを視線で追う。

 そこにはエレン・テンダーがいた。

 彼女は状況を見て、銀の銃を慌てて構える。

 しかし


「そこから撃たないでください。私に当たります」


 マリアが冷静に伝えると、エレンは「はあ!?」と叫んだ。


「何冷静に捕まってるの!? あんた頭おかしいんじゃない!?」


 エレン・テンダーの反応は本当に真っ当だ。

 それゆえに、本当に、この女とはそりが合わないなとマリアは心底思った。


「当然、おかしいに決まっているでしょう」


 マリアは首をゆらりと振って


「!?」


 男に渾身の頭突きを喰らわせた。


 男はよろりと体勢を崩し、その隙にマリアは思い切り男の股間を蹴ってその束縛から逃げ出した。


「……、なんと」


 痛みに、というより、驚きで男の表情は固まっていた。


「エレン・テンダー、鼻が良いと自負する貴女に問います。この男から吸血鬼の匂いはするのですか?」


 マリアからの突然の問いに、エレンは一瞬ためらうも


「しないわ。私がここに来たのは、……殺気めいたあんたの匂いがしたからよ」


 彼女はそう断言した。

 彼女の言う通り、今夜のマリアは標的を誘い出すため、奥の手を使った。

 幼かったマリアが、奇人のマグナス神父の弟子たりえたのは、ひとえにこの能力があるゆえだ。


 マグナス師弟には、どんな魔にも「好まれる」力がある。

 それを一部の者は「誘引力」と呼ぶ。

 幼い頃はこの力を制御することができなかったが、今のマリアはこれを完全に制御できる。


「先ほどの手ごたえではっきりと分かりました。

 貴方はただの、人形ですね」


 マリアの言葉に男は愕然と地に膝をつき、エレンは驚きの表情で固まった。


「……人形、ではないよマドモアゼル。私は、私が真に美しいと思える女性をずっと探していたんだ。時が残酷に過ぎていっただけだ。身体が朽ちていっただけだ。それだけなんだ」


 男はゆらりと立ち上がる。

 正体が見破られれば魔術が解ける仕掛けなのか、男の水晶の目にはすでにヒビが入っていた。


「せっかく、出会えたのに。美しい、君に」


 目元から崩れていく男は外套を引きずって、恋うるように折れた爪をマリアに差し伸べる。

 その爪が、マリアの頬に触れるか触れないかのところで、


「!」


 マリアの視界を塞ぐように、彼女の身体は見知った匂いのコートで覆い隠された。

 ぎゅっと背後から抱きしめられたかと思えば、その直後、銃声とともに陶器が割れるような音がする。

 人形が目の前で破裂したのか、バラバラとコートに破片が散ったのが分かった。


 数秒後、マリアはコートを自ら払う。

 背後から抱擁する彼女の手を、マリアはそっと握った。


「撃たなくても、自滅したでしょうに」

「触れさせたくなかったんだよ、あんな爪で君に」


 ロアの言葉に、妙な動悸を覚えながら、マリアはしばらく動けなかった。


 そうこうしていると


「……いつまでそこでいちゃついてるの。破片の回収の邪魔なんだけど」


 エレン・テンダーが非常に迷惑そうな顔で近づいてきた。

 マリアが口を開く前に、ロアがマリアの前に出る。


「昨夜はどうも、寝間着のお嬢さん」


 ロアがそう挨拶すると、エレンはかっと赤くなった。


「主人が主人なら使い魔も使い魔ね!? 嫌味しか言えないわけ!?」

「失礼、揶揄するつもりではなかったのだけど、つい口が」

「意図的に揶揄してるわよね!?」


 そんなふたりのやりとりを傍で見ていたマリアは不思議に思った。

 大方どんな女性にも優しいロアが若い女性に対してああいう接し方をするのは珍しい。

 ……あれではまるでさっきの時間を邪魔されたことを怒っているみたいだ。


 マリアはその場にしゃがみこみ、人形の破片を拾う。

 ロアが至近距離で撃ったせいか見事に粉々だった。


「……これではあまり参考になりませんね。もともと壊れる仕掛けになっていたようですし、持ち主の痕跡をたどるのは難しいのでは」


 正論を言われ、エレンはぐ、と押し黙る。


「でもこれだけ精巧な自動人形、何体も存在するはずないわ。しばらくは標的の手足を潰せたと見ていいんじゃないかしら」

「楽観的ですねミス・テンダー。結局吸血鬼は人形で、それを動かしていた者の姿はまったく確認できていないのに。最悪、このまま逃げられる可能性もあります」

「人形をぶっ壊したのはどこの誰よ!? こいつが巣に帰るところを追いかけることも出来たでしょ!?」


 それに関してはロアが小さく「ごめんね」とつぶやいた。


「……ここで言い争いをしていても仕方ありませんし、破片を回収して帰りましょう。破片の分析は貴女に任せます。支部に持ち込んで専門家に見てもらうのが上策でしょう」


 マリアにそう言われ、エレンは目を丸くした。


「てっきりあんたが全部仕切るのかと思ってたわ。癪だけど、この件はあんたが教会から一任されてるんだし、私が出張るのを良しとしないんじゃないの?」

「癪ですが、貴女の嗅覚を改めて評価しました。貴女が独自に動いて事件解決の糸口を掴めるのならそれに越したこともない。ただそれだけです」


 そう言ってマリアは破片を集め始めた。

 エレンはまだ何か言いたげにしていたが、彼女もおとなしく破片を集めるのを手伝った。

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