領主と吸血鬼11
『私が貴女を救います。貴女が正しく、人間として終われるように』
――悪鬼になる前に、貴女を殺すと。
それはあの日、マリアが彼女に約束した言葉だ。
その約束を守るために、マリアは彼女の傍にいる。
『私は出来ない約束はしません』
何度だって豪語した。
だって、守れなければ共にいる意味がない。
だというのに。
魔の血に侵食される彼女を見て、マリアは「それ」を思いつきもしなかった。
ただ純粋に「助けたい」と思ってしまった。
一体いつから、こうなってしまったのだろう。
* * *
「はぁーい、毒に蝕まれたおいたわしい領主様に、
藍色の長い髪を得意げに揺らし、異形の黒い尾を腕に巻き付けて彼女はやって来た。
――マリアが最終手段としてとった行動、それは師への相談だった。
「……貴女が言うといかがわしい風俗みたいに聞こえるのでやめてくれますか」
部屋の前でしゃがみこんだままのマリアは、突然現れたリィの顔も見ないままそう呟いた。
「暗っ、予想はしてたけど想像以上ね。この私がわざわざここまで来てあげたんだからもうちょっと感謝しなさいよ」
「……ありがとうございます」
普段なら絶対にリィに感謝の言葉など述べないマリアが素直にそう言ったので、リィは流石に面食らった。
彼女が文字通り人の夢から夢を渡り歩き、短時間で首都までやって来たのはほかでもない、ロアに血を提供するためだ。
『血の気の多いサキュバスなら、いくら血をとられても死ぬことはないからねえ』
というマグナス神父の発案だった。
もともとリィはロアに血を吸われたがっていたので、これ以上ないほど的確な人材ではあった。
「まあいいわ、ようやく私の願いが叶うんだもの、それも合法的に。部屋に入らせてもらうわよ」
「……どうぞ」
相変わらず床の一点を見つめたまま顔を上げないマリアに、リィはふうとため息を吐いた。
性癖や性格に難はあれど、リィにも多少なりの良心はある。別にマリアを慰めるわけではないが、せっかくかねてからの望みが叶うというのに、これでは正直後味が悪い。
「領主様があんたを外に出したのはあんたのためなの、分かってるんでしょう?」
リィの言葉に、マリアは小さくうなずく。
「だったらそんなみっともない顔してないで、ちゃんといつもの淑女ぶった顔で待ってなさいよ」
膝を抱えるマリアの目は、泣き腫らしたように真っ赤になっていて、今もなお零れそうな涙を必死に唇を結んで耐えていた。
マリアの膝の上にハンカチを落とし、リィは部屋へと入っていった。
リィが部屋に入ったとき、それはベッドの上にうずくまっていた。
血と、甘い毒の匂いが部屋に充満している。
――ああ、これはひどいとリィは思った。
毒というからどんな類のものかと思っていたが、まさか自分と「同類」だとは。
それに加えてマリアには誘引力もある。ロアにとっては二重苦だったろうに。
「よくそんな状態で耐えたことね。貴女の紳士ぶりには感服するわ、領主様」
リィの声に、彼女は顔を上げる。
満月の夜に見たガーネットのような紅い眼は、あの時の鋭く冷たい視線ではなく、まさに飢えた獣のように憔悴しきっていた。
リィはそっと、ロアに近づく。
そしてその白い手で、彼女の熱い頬をなぞった。
「どうぞ、あの子の代わりに私を好きなだけ貪って。貴女を蝕む悪い毒と、私の身体の中の毒、どっちが強いか証明するわ」
次の瞬間、リィの視界は反転した。
* * *
閉ざされた扉の奥から、時折微かに物音が聞こえるのをマリアは聞いた。吸血行為が始まったのだろう。
それは正直複雑な気分で、ふつふつと怒りが湧いてくるのも事実だった。
この期に及んで、リィの血をロアに吸わせるのが癪だとか、そういう細かいことではない。
もっと単純な話だ。
どうしてロアがこんな目に遭って、自身までこんな虚しい気持ちにならなければならないのかという純粋な怒りだ。
その怒りが向かう先は、ただひとつしかない。
マリアは顔を上げ、立ち上がった。
* * *
都会の雑多な臭いを男は好まない。
彼が望むのはただ静かな、恍惚を覚える芳醇な匂いだ。
彼が標的とするのは若く美しい女性。
加えて心が清らかなる純粋な乙女ならばなお良い。
そんな女性からは非常に良い匂いがする。
「……嗚呼」
今宵は特に芳しい香りが風に乗ってやってきた。
いかなる乙女かと、男の胸は高まるばかり。
黒い外套を翻し、男は夜の街へと駆けだした。
訪れたのは日の落ちた噴水広場。
そこに彼女は佇んでいた。
夜間の外出禁止令が敷かれているせいか、この数カ月は真に求める女性と出会うことが難しかった。
けれど今夜は違う。
「美しい香りのマドモアゼル。こんな夜更けに待ち合わせを?」
男の問いに、彼女は答える。
「貴方を待っていたのです」
栗色の髪の少女は、真っ直ぐな瞳で彼を射る。
突き刺さるような敵意に、男は気を失いそうになった。
なんという瞳の強さ。
なんという鋭い殺意。
彼の水晶の魔眼など、彼女の瞳の前ではただの石ころだ。
「では踊りましょう」
かつてない昂ぶりを感じながら、男は3本の爪を出す。
淑女をいつものように抱擁しその首に牙を立ててもいいが、彼女にはそれだけでは物足りない。
昨日の赤毛の女性のように、その強い瞳をこの催淫の毒で狂わせてみたい。
きっとそれでも彼女は美しいだろう。
ようやく、ようやくだ。
長い時をかけ、男は遂に理想の乙女に出会えたのだ。
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