領主と吸血鬼13
エレン・テンダーと別れたあと、ロアの恨み言が始まった。
「マリアは無茶するなぁ。私の心臓はいくらあっても足りないなぁ」
「同じ言葉をお返しします。熱はちゃんと下がったんですか」
マリアが再びロアの額に手をやると、まだ少しだけ熱かった。
マリアがロアを睨むと、ロアはすい、と視線を逸らした。
ロアの視線の先には、とっくに閉店時間を回っているレストランがあった。
「はやくホテルに帰りますよ」
「……マリアとの夕食、楽しみにしてたのに」
まだそんなことをつぶやくロアに、マリアはため息を吐く。
「それはまた今度。今回の治療は間違いなく荒治療だったんですから、ちゃんと休まないと駄目です」
「むー」
まだ不服そうに唸っているロアを引きずるようにして、マリアはどうにかホテルに辿りついた。
しかし部屋に入った途端、マリアは絶句した。
ロアのベッドのシーツはよれてしわくちゃ、おまけに血まみれだ。
ちなみにリィの姿はとっくにない。
「……あの人、少なくとも人間界で生活しているのに、この惨状でちょっとぐらい片づけて帰ろうとは思わないんでしょうか」
「あのシーツはこっそり処分したほうがいいかもね。リネン室から新しいシーツを拝借してくるよ」
そう言って踵を返したロアの服の裾を、マリアはとっさに掴む。
「……いいです」
「ん?」
「もう遅いですから、今日は私のベッドで一緒に寝ましょう」
突然の申し出に、ロアは目を丸くして、固まった。
「……そんなに嫌ですか?」
あまりにロアが固まるものだから、マリアは眉間にしわを寄せて尋ねた。
どちらかというとその顔は、機嫌を損ねたというよりも不安からくる表情で。
「い、嫌とかじゃないよ! そんなわけないよ!」
その不安を払おうと、ロアが顔を真っ赤にして必死に答えると、マリアはほっとしたように笑った。
言ってしまってからロアは少しだけ後悔する。
リィの血をもらって身体から毒は抜けたが、後遺症とでもいうべきか、身体はまだ少し熱く疼いている。
加えて、今夜のマリアはいつもと少し様子がおかしい、そんな気がした。
「じゃあ早くシャワーを浴びてしまいましょう。ロア様から先にどうぞ」
「う、うん」
しかしそれを明確な言葉にできず、ロアはただ頷いた。
シャワーのあと、腕の包帯を再度巻きなおしてもらったロアは、妙な緊張を持ちながらベッドに横になっていた。
しばらくすると、シャワーを終えたマリアが失礼しますとベッドに入って来た。
「灯り、消しますね」
マリアが枕もとのオイルランプを消すと、部屋が真っ暗になった。
しばらくすると目が慣れて来て、見慣れてきたホテルの部屋の天井が見えてくる。
ロアがじっとその天井を眺めていると
「……寝ないんですか」
横顔を見られていたのか、マリアがそう尋ねてきた。
「ちょっともったいなくて」
言ってしまってから、しまったとロアは後悔した。
「何がもったいないんですか?」
やはりそう訊かれてしまって、ロアは観念する。
「……マリアとこんな風に寝る機会なんてないじゃない? だから、すぐ寝てしまうのはもったいないなって」
「……」
沈黙にロアはいたたまれなくなって寝返りをうち、マリアのほうを向いた。
「ごめん、引いた? 引かないでね」
「……今更引きませんよ、それぐらいで。ロア様はお忘れかもしれませんが、お酒に酔われた際にはもっとドン引きできるお言葉をいただいていますので」
「え、なにそれ!? 私何言ったの!?」
「……ここで言っていいんですか?」
マリアの言葉にロアは震えながら頷く。
「『マリアは可愛いなあ、食べちゃいたいぐらい可愛いなあ』はまだいいとして」
「いいんだ!?」
「『ぺろぺろしたい』は流石に引きました」
「今すぐ殺して」
ロアは両手で顔を覆った。
ロアが腕を動かすと、袖口から白い包帯が覗いた。
そんなロアの腕に、そっとマリアの手が触れる。
左腕は昨日の怪我、右腕は今日自ら噛みついた怪我で両腕が包帯で巻かれている状態だ。
「……ぼろぼろじゃないですか」
「マリア?」
マリアの声が微かに震えているのを感じ、ロアが顔から手を離すと、今度はマリアが顔を隠すように、ロアの胸にしがみついた。
「……どうしたの?」
ロアが優しく尋ねる。
「……ごめんなさい。やっぱりこんな仕事引き受けなければよかった」
マリアがロアの前でどうにもならない後悔を口に出すのは、これが初めてだった。
「貴女とずっとお屋敷にいれば、こんな目に遭わせずに済んだのに」
ごめんなさいとマリアはまた呟く。
「多少の怪我は想定内だよ。ごめんね、頼りない使い魔で。私がもっと、ちゃんとしてれば」
マリアは首を振る。
いつも眼を合わせてまっすぐに話す彼女が、顔を隠したまま言葉を紡ぐのは本当に珍しいことだ。
ロアの胸にしがみついて震える姿は、歳相応か、それよりも幼い少女のようで。
(……いや、違うだろう。馬鹿だな、私は)
今夜のマリアがおかしいのではない。
これが本当のマリアなんだと、ロアは今更ながらに気づいた。
「今日、怖くなったんです。魔の血が強まった貴女に、私は何もできなかった。ただうずくまることしかできなかった。
……だから、もし、約束のときがきたとき、私は貴女を本当に救えるのかどうか、……わからなく、なってしまって、」
ごめんなさいと繰り返すマリアの言葉はいつしか嗚咽に変わり、小さな肩は震え、涙でロアの胸はしとどに濡れていく。
ロアはその小さな肩に手を伸ばそうとして、躊躇した。
『お前あんまりマリアちゃんに甘えてばっかはやめろよ』
ライア・ロビンソンに言われた言葉を思い出す。
全くその通りだとロアは胸が痛んだ。
――3年前のあの日。
母として慕っていた女性が悪鬼と化し、ロアの前に現れた。
何人もの人間を呪い殺し、既に人間でなくなってしまっていた彼女を、ロアは銃で撃つしかなかった。
変わり果てた彼女は息絶える直前まで、激しい憎悪の言葉でロアを責め続けた。
彼女の亡骸は欠片も残らなかった。
優しかった人間としての彼女の面影は何も残らなかった。
決して祓えない呪いを持つ自分の末路を見たようで、ロアは泣いた。
そんなロアに、少女は言った。
『私が貴女を救います。貴女が正しく、人間として終われるように』
その言葉が、当時のロアにとってどれほど救いになったか。
そして、その言葉にどれほど大きく寄りかかってしまったか。
そんな自分が彼女の肩を抱きしめる資格なんて、本当はないのかもしれない。
けど、それでも。
「泣かないで」
ロアはマリアを抱きしめた。
あの日、マリアがロアをそうしてくれたように。
「マリアが約束を破っても、私はマリアを嫌いにならないよ。絶対に」
「……そんな不吉なこと言わないでください」
ロアはマリアの頭を掌で包み込み、そのまま頬に手を滑らせ、涙を指ですくう。
それでもすくいきれないマリアの目尻の涙を、ロアは唇で優しく拭った。
彼女の涙は温かくて、しょっぱかった。
「あんまり泣くと、目が腫れちゃうよ。そんなマリアも大好きだけどね」
マリアは顔を上げ、もう、と視線で訴えた。
対するロアは、そんなマリアを愛おしげに見つめ返している。
「…………このまま眠ってもいいですか」
「もちろん」
その夜はそのままの体勢で、ふたりは眠った。
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