領主と吸血鬼15

 件のカフェでパンケーキとクッキーを堪能したあと、ロアとマリアはロンディヌスの観光名所といわれる時計台へとやって来た。


「とはいえそんなに大きなものじゃないねえ」

「国内三大がっかりと言われていますから、あまり期待はしていませんでしたけど本当に小さいですね」


 観光名所といわれながら、見に来た者はすぐに前を素通りしていく。

 ふたりが並んでそんな時計台を眺めていると、後ろから声をかけられた。


「ははっ、ちょっとそんな小さい時計台、仲良く並んで眺めないでよ」


 振り返ると、声の主は22番通りのバーの女主人だった。

 買い物かごを提げているので、買い出しの途中なのだろう。


「ああ、こんにちは。奇遇ですね」


 ロアが挨拶すると、アビーはにやりと笑ってマリアを見た。


「こんにちは、ええと……」

「アビー・アレクサンドリア。ロンディヌスでバーをやっててね。このお姉さんとはちょっとした縁があるんだよ」


 そう言ってアビーはぽんぽんとロアの肩をたたいた。


「先生の知り合いで、昔一度お店に行ったことがあって。一昨日の夜、ちょっとお邪魔したんだよ」


 ひとりでバーに行ったことを少しだけ後ろめたくて頭をかくロアに、マリアはへえと半目になった。


「10年以上は前のお話ですよね? 綺麗な方のお店はよく覚えてらっしゃいますね」


 それを聞いたアビーは再び豪快に笑った。


「そう妬いてばかりじゃ大変だねえお嬢ちゃん! 分からないでもないけどさ」


 今度はマリアの背中をぱしぱしと叩くアビー。

 昼間から一杯ひっかけているのではないかと疑われるほどテンションが高かった。


「いえ、別に妬いているわけでは……」

「いいいい、そういうことにしといたげるよ! 今日は仲良く観光かい? ならこんなところよりもっと良いところがあるよ」


 そう言ってアビーは真後ろの、上のほうを指さした。

 ロアとマリアが振りかえると、後ろはちょうど丘になっていて、石垣のようなものがぽつぽつと残っている。


「古い城跡なんだけどね、あそこからはロンディヌスを一望できる。まあ、スラム街も見えちまうけど、見晴らしは最高さ」


 せっかくだから上がっていくといいとアビーに勧められ、ロアとマリアはそうすることにした。



「なるほど、確かにこれは」


 丘を登って、ロアは感嘆した。

 ロンディヌスの都会の街がパノラマのように広がる。

 街中にいると気が付かない街の全貌がよく見えた。

 ロンディヌスを出て荒野へ走り去っていく汽車はなかなかに趣深い。

 日没の頃などは、特に絶景だろう。


 振り返ると、アビーが城跡と言っていたとおり、古城の見る影がある。

 城の原形こそわからないが、わずかに残っている石畳や城門などはなかなかに興味深かった。

 マリアもどうやら同じようで、物珍しそうに朽ちた石柱を触っていた。


「どうしてここは観光地に名が上がらないんでしょうか」

「ロンディヌスは他国から奪いとった土地だから、この城跡は敵国のものなんじゃないかな。言っちゃ悪いけど今のお城はあんまりいいセンスじゃないよね」


 現国王が住まう城はロンディヌスの最南にあるが、建築当時から現代アートを意識しすぎていて少し可笑しなところがある。


「ボルドウのお屋敷はかなり懐古主義ですよね」

「マリアは嫌い?」

「いいえ。私も落ち着いた造りのほうが好きです」

「それは良かった」


 それから、ロアはおもむろにマリアの手を握る。

 マリアがロアの顔を見ると、彼女はにこにことほほ笑んでいた。

 ここなら誰も見ていないから、恥ずかしくないでしょう? とでも言いたいようだ。


「向こうのほうにも城の跡があるみたいだから、せっかくだから見て帰ろうよ」

「少しだけですよ。疲れが出る前に帰りますからね」


 ふたりは手をつないで、つかの間のデートを楽しんだ。




 ** *

「望みは薄いと言っていたが、やはりこの人形の破片からは特に持ち主の痕跡はなかったよ」


 教会ロンディヌス支部に常駐している若き医師、トーマス・ベイカーは、ぼさぼさの頭をさらにぼりぼりと搔きながら、人形の破片が入った袋をエレンにつき返した。

 彼の本来の仕事は、特殊状況下で負傷した教会所属の悪魔祓いの治療だが、それ以外の時間はこういったいわくつきの物品の鑑定などを行っている。つまり便利屋だ。


「痕跡はこの際あてにしてなかったよ。何も出なかった? あんたの所見は?」


 そうだねえと、彼はおもむろにデスクの引き出しから毒々しい色の棒付きキャンディーを取り出し、包みを破って口に入れた。

 合成着色料は身体に悪いと分かっていながら、あの奇抜な色に惹かれてどうしても口にしてしまう。


「刃物の先端……爪だったっけ? そこからは催淫成分が出てきたんだけど、恐らく夢魔類の体液だ。

 あと、君はこれを自動人形と言ったけど、僕に言わせればこれはただの精巧な人形で、これを動かしていた中身は霊体、スピリチュアリテだったんだろうなって。内臓器官的なパーツがなかったからね」

「じゃあ、5人もの婦女を殺害したのは人形の殻を被った夢魔の亡霊だったってこと?」

「この破片だけ見ればね。仮説を立てるなら、この精巧な人形にたまたま夢魔の亡霊が乗り移って凶行に走った、か。もしくは何者かがわざと夢魔の亡霊にこの人形からだを与えたか」

 どちらかと言えば後者のほうが可能性は高いとトーマスは言う。


「何の目的もなくこんな大きな男の人形を作る人形師なんて、ただの変態だと思わないかい? 少女人形ならまだロマンを感じるけど」

「私に言わせればどっちもアウトよ。短時間での分析、感謝するわ」


 袋を抱えて踵を返すエレンに、もう帰ってしまうのかいとトーマスは非常に名残惜しそうに言う。傍から聞けばまるで恋人を呼び止めるかのような、甘えた声だった。

 歳もわりと近いふたりだが、別に恋仲というわけではなく、ただ単にトーマスは話し相手が欲しいだけだ。

 トーマスが在籍するロンディヌス支部のこの医療班は、便利屋と言われるだけあって多種多様な仕事を任される。時には警察が投げ出したほどの死体解剖の仕事すら回ってくるのだ。偏屈な者が多いロンディヌス支部でも、ここの仕事を精神を病まずにやり遂げられる者は少なく、現時点でこのオフィスに常駐できているのはトーマスだけなのだ。


「あんたのおしゃべりに付き合うほど私も暇じゃないんだけど」

「そのようだね。つい先日まで吸血鬼案件をマリア・マグナスに横取りされてふてくされていたというのに、嬉々としてそれを持ってきたときはどうしたのかと思ったよ」

「あんたの喋り口はいちいち長い上に嫌味なのよ! そんなだから女の子に逃げられるの、分かってない?」

「相変わらずスパイシーだねエレン。ああ、でもベネリクト副支部長に聞くところによればそのマリア・マグナスも相当な毒舌だそうじゃないか。案外君たち相性良いんじゃない?」


 トーマスの言葉に、エレンは冗談言わないでとため息を吐いた。


「あんた、前に私に言ったわよね。君は悪魔祓いにしては珍しく真っ当だねって」


 トーマスは舐めていたキャンディーを噛み砕きながら笑顔でうなずく。


「だから、あんなイかれた悪魔祓い、私と気が合うわけないのよ。大体なんで悪魔祓いが悪魔憑きとつるむわけ? まるで恋人同士みたいにくっついちゃってさ」

「はは! 聞いているだけだとただのリア充に嫉妬してる喪女にしか見えないよエレン」

「は? 何よその、りあじう、モジョって」

「最近巷で流行ってるスラングさ、知らないなら忘れて」


 後で調べられたら相当キレられること間違いなしだ。

 仮にも女子にスラング使うなと肩を怒らせ部屋を出ようとする彼女を、トーマスは再度引き留めた。


「ああそうだエレン、さっきの仮説にもう一説付け足すよ。もう少しだけ聞いてくれる?」

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