領主と幽霊 2
「ふむ、これはなかなかのものだ。流石は領主、良いものを置いておるな」
アルフレッドの身体を借りた幽霊は、一口赤の葡萄酒を口に含むと、満足げにグラスを回した。
所作から、どうやら随分と裕福だった男の霊ようだ。
「貴殿は随分と舌が肥えているようだったので、秘蔵のものを」
「ははは! 霊と分かっていながらそこまでもてなしてくれようとは。ますます気に入ったぞ」
ロアとしてはもてなしたくてもてなしているわけではなく、はやく霊に満足して彼の身体から出て行ってもらいたいだけなのだが。
「領主、そう焦るな。しばらくすれば出ていくさ。
ああ、そこの若い女中よ、先刻は失礼したな。わざとではないのだ、霊体になってから動き方にまだ慣れなくてな」
男はマリアに向かってそんな風に声を掛けたが、相変わらず態度が大きいせいか謝っているように聞こえないし、マリアはそんな言葉で許すつもりもない。
そんな心情がマリアの表情に如実に表れていたのか、男はため息を吐いて言う。
「下着をつけておったのだ、裸を見られたわけではあるまいし、そう怖い顔をするな。愛らしい顔が台無しだ」
次の瞬間である。
アルフレッドの額に冷たいものが押し付けられた。
銃口だ。
見れば、領主が随分と怖い顔で彼の頭に銃を突き付けていた。
「ま、待て待て! 撃ってもこの身体が死ぬだけだぞ!? これ以上この場に霊を増やす気か!?」
「……慌ててはいるが随分と慣れていらっしゃる。頭に銃を突き付けられたのは初めてではないようだ」
男は脂汗を浮かべながらも答える。
「私には敵が多かったからな。幾度も危ない目には遭ってきたさ。
とはいえ銃を突きつけられるのは気分がいいものじゃない。領主、そろそろ下ろしてくれないか」
「それは構わないが、ひとつだけ言っておくよ客人。うちのメイドには金輪際嫌らしい言葉を掛けないでいただきたい」
「わかった、約束しよう。うむ」
ロアは銃を下ろし、再び対面に座る。
どうやらメイドのことは領主の地雷らしいと理解した男は、話題を替えた。
「して領主、君は私が思っていた以上に年若いようだが、近々婿を取る気はないのかね」
「は!?」
男の唐突な話題に、思わず声を上げたのはマリアだった。
一方ロアは平然と答える。
「ないね。私は今代でこの家を畳むつもりなので」
「なんと……!? 待て、正気かね。確かに辺境地の下級貴族ではあるが、クロワの歴史は浅くはないはず。ボルドウは他の田舎とは違ってまだビジネスの可能性がある、というのに君はそれを自身で終わらせると? 勿体ないにも程がある!」
ある意味、男は熱弁した。
「今の時世、新たに貴族となるのはまず無理だ。君が家を断てばこの領は政府の直轄になってしまう。ボンクラ役人共がこの領をうまく利用できるとは思えん」
以前この国にも爵位制度というものがあったが、他国の近代化の波に押され、平等法のもとに君主制を廃止し、爵位制度はなくなった。
しかし完全に万民が平等となったわけではない。
王家はいまだ実質的な影響力を残し、世襲貴族と中央議会の重鎮は、明確な爵位でこそ呼ばれなくなったが、今なお貴族として扱われている。
「貴族は国王に仕えるもの」という古い慣習からか、政府からの干渉を受けにくいのが今の貴族の最大の特権だ。
「貴殿はどうやら熱心な実業家だったようだ。銃を突きつけられても余裕を見せられるほど。生前はさぞ名誉ある地位と富を得ていたのだろう」
「当然だ。地位と金がなければ人間は何もできん。親がそれらを守らなければ、子は飢え細るのだ。私の父がそうであったように、富を増やすことが子孫繁栄のためと信じ、私はどんなに汚い手も使った。まあ、子らはそんな私を内心蔑んでいただろうがね」
親の心子知らずとはよく言ったものだと、使い古された文句を男はしみじみと使った。
「とはいえ私も若い頃、あまりに強欲に見えた父の気持ちが分からなかったものだ。私は相当親父を嫌っていたからね」
男の独白に、領主は思わず複雑に微笑んだ。
彼女にも少しだけ、彼と共感できる部分があったのだ。
その様子をマリアは見逃さなかった。
マリアと視線がぶつかり、ロアは一度目を閉じた。
「……それで? ルクルス家のご当主よ。貴殿は私に、ご子息と婚姻してほしいということかな?」
領主の言葉に、男はほう、と感嘆の息を漏らした。
「先刻の会話で私の素性を看破するか。話が早くて助かる。つまり、そういうことだ」
息子の身体を借りた霊――ジョンソン・ルクルスは頷いた。
「親が言うのもなんだが、こいつは見ての通り男前だ。若い頃の私にそっくりでな。だが性格は私と真逆でおとなしい奴だ。兄弟が心配するほど女遊びもしたことがない。どうだろう、ミス・クロワ」
父親に、自分の息子をどうだろう、と目の前で言われて彼女がなんと答えるのか、マリアは内心はらはらしながらロアを見た。
マリアはロアが男嫌いなのを知っている。
そしてその理由が、唯一の家族であった父親との不和から来ているということも、本人から聞いていた。
しかしロアは、機嫌を損なったふうでもなく、ただ穏やかに返答した。
「ミスター、せっかくの申し出だが、謹んでお断りさせていただくよ。私はあなた方と血縁を結ぶに値しない女だ」
「何を」
「貴殿はご存知ないだろうか。クロワ家は非常に短命の一族、これは呪いにも匹敵するもの。商いをされているルクルス家には縁起の良い血ではないし、貴方の信条に反するだろう。それに、貴殿は既に霊体になられた身だから違和感を覚えないかもしれないが、私は生身で貴殿と平然と話す、一般人から見れば頭のおかしな人間だよ」
その、隙の無い返答にジョンソンは唸った。
こちらを貶めるわけでもなく、しかし現状の異常さを彼女は静かに指摘したのだ。
そう、本来ならジョンソンはこの領主と直接語らうことなどできなかった。
数時間前、息子のアルフレッドがボルドウ行の汽車に揺られている間に、ジョンソン・ルクルスは都の屋敷で心筋梗塞を起こし死んだのだ。
「こうして君と話す機会を得たのは千載一遇のチャンスだと思ったのだがね。やはりこの手の交渉は、そううまくはいかないか」
「私が普通の女なら、とても魅力的な条件だったと思うよ。それは誓ってもいい、ミスター」
「下手な慰めなど不要だ、ミス・クロワ。まあ、残念なのは息子のほうだろうがね。こやつがあそこまで女性の前で取り乱したのは初めて見た」
その言葉に、今度はマリアがくすりと笑った。
「まあいい、地獄に墜ちる前にこんな稀有な経験が出来た私はやはりなかなかの星の持ち主だったな。そう思わないか? 悪魔祓いの領主殿」
「私は悪魔祓いでは……まあそんなことはどうでもいい。貴殿の経験は確かに数奇なものだと思うよ。私も幽霊に息子との婚姻を勧められる日が来るとは思っていなかったからね」
領主の言葉を聞いて、ジョンソンは不敵な笑みを浮かべた。
「気が変わったらいつでもルクルス家に電話をしてきなさい。君ほど器量が良くて度胸もある女性はそういない。アルには勿体ないかもしれないな」
「褒めても気は変わらないよ、私は『男嫌い』で通っているんだ。勿体ないと云われることには慣れているからね」
「ほう、それは実に勿体ないな。
では領主、後のことはよろしく頼むよ」
彼はそう言うと、ふわりと息子の身体から出ていって、天井へと消えていった。
「……亡くなった後までご子息に付き添って縁談話を進めるなんて、相当ご子息のことが気にかかっていたんですね」
マリアはそう言って、ソファーにふんぞり返った不自然な体勢で眠るアルフレッドの身体を少しだけ直しておいた。
ロアはその件に関して、苦笑いだけ浮かべたが、
「……しかしあの人、出ていくときは普通に出ていったな。やっぱり最初のアレは故意……?」
マリアのスカートをじっと見つめて彼女は言った。
マリアはハッとしたように両手でスカートを押さえる。
「ッ、息子想いの良い人で締めくくろうと思いましたがそうであるならやはりあの人はただの痴漢です……!」
「マリア、今度からスカートの下はドロワーズにしたほうが良」
「ロア様は余計なこと言わなくていいです」
そうしていると、ふとアルフレッドの瞼が開いた。
「……? あれ、僕は……」
「ミスター・ルクルス、もう目を開けて構わないよ」
領主の言葉に、アルフレッドはハッとする。
「りょ、領主様、わ、私は目を瞑っている間に寝こけていたのでしょうか!?」
「いや、そんなことはない。……それより、」
ロアが言葉にしようとしたとき、別の部屋で電話の音が鳴り響いた。
マリアがとりにいき、そして彼女はアルフレッドに取り次いだ。
「ルクルス様、お母様からお電話が」
「母から?」
何事か悪い予感はしたのだろう、アルフレッドは固い表情で電話を取りに行き、ロアの前に戻って来たときには暗い表情をしていた。
「すみません、領主様。親族の訃報が入りまして、早々に戻らなければなりません」
「……お悔やみを申し上げる。近しい方が?」
「実は、父が急死したと。……確かに高齢でしたが、本当に突然だったので屋敷のほうは大慌てのようです。本当に最期まで周りをかき乱す人だ」
アルフレッドはそう言ってしまってから、慌てて弁明した。
「失礼、最後の一言は余計でした。忘れてください」
「いや、きっと愉快な方だったのだろうね、君の父上は」
「愉快なのは父だけです。父の我が儘には本当に振り回されました。……今回だって……」
言いかけて、再びアルフレッドは口を手で押さえる。
「どうやら貴殿は父上に言いたいことが山ほどあるようだ。突然の別れなのだからそれは仕方ないことだと私は思うよ」
領主の寛容な言葉に、彼はつい本心をこぼす。
「……すみません。実はかなり動揺しているのです。父は私にとって絶対的な存在で、なのにこんなにあっけなくいなくなるなんて」
今思い返すべきことではないのに、脳裏に父との他愛のない思い出が蘇り、アルフレッドの目頭は熱くなった。
浮かぶのは、強欲な父の姿ではなく、本当に他愛のない思い出ばかりだ。
幼い頃釣りに連れて行ってもらった思い出や、旅の道中で話したどうでもいい馬鹿話。
涙を隠しきれなくなって、彼は慌てて指で涙をぬぐう。
「おかしいな。私は父を嫌っていたんですよ。父は周囲から金の亡者と揶揄されるほど強欲な人で、私はそんな父がずっと恥ずかしかった。……でも、そんな人でも、いなくなるというのは悲しいものなんですね」
正直で純粋な男だなと、ロアはひどく感心した。
ジョンソンがこの男の行く末を気にかけたのも分かる気がした。
「ミスター、これは余分な話なので聞き流してくれていい。
私も3年前に父を亡くしてね。無口で無表情で、まるで人間のようでない厳格な父が私は大嫌いだったのだけど、亡くなったときは悲しかった。親の気持ちっていうのは、亡くなった後で気づくものなんだね」
ロアは思い出話のように、ふんわりと語る。
そしてアルフレッドにハンカチを渡した。
「実は君の父上には以前お会いしたことがあるんだ。彼はとても子煩悩で、子孫繁栄のために名誉と金を欲する人だった。危ない目にも遭ってきたと言っていたから、本当に命がけだったんだろうね。私はその点において、君の父上を尊敬するよ、ミスター・ルクルス」
「……父には勿体ないお言葉です、ミス・クロワ」
アルフレッドは借りたハンカチで涙をぬぐい、そして微笑んだ。
アルフレッドを門の外まで見送って、ロアとマリアは居間に戻った。
ロアは気が抜けたといわんばかりに、早速お気に入りのロッキングチェアに座りこみ、ゆらゆらと揺られ始めた。
「ロア様、ハンカチはよろしかったのですか?」
「うん?」
なんのことかな? といった風なロアに対し、マリアは思わず軽いめまいを覚えた。
ロアがアルフレッドに差し出したハンカチを、彼は「洗って返します」と言って持ち帰ったのだ。
郵便物で返却されるのかもしれないが、彼のあの様子では直接返しに来る可能性も十分にありうる。
(男嫌いというわりに、こういうところは鈍いんですね。まったく)
暢気な顔で椅子に揺られている彼女を見て、マリアは溜息をついた。
今まで色んな人物に何度も云われてきたが、本当に、いろいろと残念な――勿体ない人だとマリアも思う。
「溜息なんてついちゃって。可愛い顔が台無しだよ?」
「ロア様はちょっと黙っていてください」
「辛辣! だがマリアちゃんのそういうところが良いと思うロア様なのであった、まる」
ご満悦の様子で椅子を揺らす主人をマリアは呆れ顔で眺める。
そんなマリアを見て、ロアはまた微笑むのだ。
あまりに幸せそうに微笑むので、逆にマリアの顔が火照る。
それを隠すように、マリアは言った。
「ルクルス様のお父様、天国に行けたでしょうか」
「自分で地獄に墜ちるって言ってたからねえ、そればっかりは私にもわからないけど。少なくとも息子に死を悼んでもらえるような父親ではあったんだから、案外天国に行ったんじゃないかな」
ロアは天井を見上げてそうつぶやく。
彼女には見えていたのだ。
ジョンソンの霊は息子の身体から出た後、すぐには消えていなかった。
きっと滞在したのは好奇心からだったのかもしれないが、アルフレッドが父の死に涙する様を見て、いたたまれなくなったのだろう。その後すぐに消えていった。
「マリア、私が死ぬときは泣かなくていいからね」
「それは泣いてほしいという振りですか?」
「ううん、冗談じゃなくて。最期に瞼を閉じるとき、マリアの泣き顔なんて見たくないからね。本当だよ」
真面目にそんなことを言う彼女に、マリアは返す言葉が見つからなかった。
「知りません、そんなこと」
良い言葉が見つからず、マリアがつっけんどんにそう返すと、ロアはまた幸福そうに微笑む。
マリアが何を言っても、それが失言であっても、彼女はそれをとても愛おしそうに、喜ばしげに受け取る。
五つほど歳下のマリアを彼女が翻弄しているようにも見えるが、実のところそうではない。
単にロアがマリアに従順なだけだ。
ジョンソン・ルクルスは霊を視覚し対処したロアを『悪魔祓い』と言ったが、それは違う。
彼女は吸血種の悪魔に憑かれた生まれつきの『悪魔憑き』だ。
本来、悪魔祓いをするのはマリアのほう。
悪魔憑きと悪魔祓い。
本来であれば、ふたりは相いれない立場にある。
つい先日だって、このボルドウに流れ者の悪魔祓いがやって来て、ロアを殺そうとしたところだ。
ロアとマリアが主人と女中という関係に落ち着いているのにはそれなりの理由があって、それなりの信頼関係も築いている。
だが仮に、マリアがロアに死を命じれば、彼女は躊躇いなくその命令を受け入れるだろう。
血を定期的に提供するマリアがいなければ、ロアは今の理性ある状態を保てない。
これは本来の信頼とは別のところにある、絶対的な拘束なのだ。
この絶対的な拘束があるからこそロアはマリアに従順で、絶大な信頼を彼女に寄せる。
ただ、十数年しか人生経験のないマリアがその絶大な信頼を受け止めきれるかといえば決してそうではない。
それすらもロアは分かっていて、だからこそマリアの少女らしい言葉の数々を聞いて微笑むのだ。
「ずるいです」
「? 何か言った?」
「なんでもありません。アフタヌーンティーの用意をいたします」
「わあーい。マリアの妙に歯ごたえのあるスコーン楽しみだなあ」
「やっぱり無しで」
「!? 貶めたんじゃなくて褒めてるんだよ!?」
「褒めているように聞こえませんでした」
ぷんすかと厨房に向かうマリアを慌ててロアは追いかけた。
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