領主と吸血鬼9

* * *

 ミシェルが指定したカフェは、おしゃれな外観ではあるものの、特に気取った構えの店ではなかった。しかしどうやらここにもVIP対応というものがあるようで、ロアが訪れると真っ先に店長らしき人物が現れて、コートを預かり、奥の個室に案内してくれた。


 ロアが部屋に入ると、とても華やかなイエローのドレスを着たミシェルは既に席についており、ロアの姿を認めるとウサギのような勢いで立ち上がった。


「まあ領主様! 今日は男装でいらしてくださったのね!」


 ミシェルの開口一番は、やはりそれだった。

 ロアの衣服は今日に限ってはドレスではなく、屋敷でいつも着用しているスーツベストだった。


「慣れないドレスで肩が凝ってしまってね。今日は少し息抜きに」


 ロアが今日この衣装にしたのは、ミシェル嬢の御機嫌伺の意味もあるが、当人が楽というのが一番の理由だった。

 昨日の一件でドレスの動きにくさが身に染みたのだ。

 一応、外を歩くときはトレンチコートの前ボタンをすべてとめて誤魔化しておいた。

 マリアにはあとで合流した時バレるだろうが、ここまでしておけば大丈夫だろう。


 部屋の片隅には、昨日の冴えないミシェルの付き人が控えていた。

 ミシェルに何も喋るなとでも言われているのか、居心地が悪そうな顔で人形のようにじっとしている。


「今日は領主様のメイドさんは御一緒ではないのですか?」

「うん、用事があってね。マリアも甘いものは大好きなんだけど」

「まあ、それは残念。ここのお店、一部のメニューはテイクアウトも出来るんですよ」

「それはいい。あとで気に入ったものを見繕うよ」

「お口に合えばいいのですけど」


 さ、座ってくださいなとミシェルは勧めた。



 ミシェルはロアの想像以上によく喋った。

 喋りすぎて時折せき込んでいた。

 と、いうより


「無理しないで、ゆっくり喋っていいよ」


 ロアが優しくそう言うと、ミシェルははっと赤くなり、そして恥ずかしそうに俯いた。


「ごめんなさい、私、少し胸のあたりが弱くて。実は、ロンディヌスにたびたび通っているのも病院の検査を受けるためで」


 彼女の身体が弱いというのは、昨日の時点でロアは察していた。遊び盛りの年頃だというのに日焼けを全くしていない肌や、少し走っただけで息が切れていた様子から、普段ほとんど出歩いていないのは明白だった。

 そんなこともあって彼女に必要以上に優しくしてしまったのだが、マリアに知られたらそれもまた呆れられるだろう。


「病院へはもう行ったの?」

「いえ、今日の午後から明日にかけて検査入院をするんです。だから領主様とゆっくりお話できる時間があまりなくて……昨日は強引に誘ってしまって、ごめんなさい」


 しおらしく、ミシェルはロアに頭を下げる。

 それからロアを真っ直ぐ見て言った。


「アルフレッドお兄様から領主様のお話を聞いたとき、どうしてもお会いしたいと思ってしまって。ここだけの話、お兄様が女性を褒めることって滅多にないの。だからどんなに素敵な方かのかしらって! ほんとうに、一目見てわかったわ!」

「ありがとう。こちらこそ、こんなに可愛らしいレディとお茶が出来て嬉しいよ」


 幼いながら自身の容姿にそれなりに自信があるのか、ミシェルは少し得意げな顔をしながら頬を染め笑う。そして


「領主様、よかったら明日またお会いできないかしら」


 そんな提案に、後ろに控えていた執事がついに口をはさんだ。


「お嬢様、明日は病院を出た後すぐに帰りの汽車に乗らなければなりません! 

 領主様もお忙しいのですから、我が儘を言っては駄目です」


 ミシェルは頬を膨らませて執事のジェフを見る。


「ジェフの馬鹿! 今日は壁のように黙っていてという約束だったでしょ!」

「ですがお嬢様、これ以上の自由行動はお身体にも差し障ります」


 そこから堰を切ったようにミシェルは癇癪を起した。


「いやよせっかく自由に歩けるのに! 私ほんとは病院なんて行きたくないの! 注射は痛いし苦いお薬だって大嫌い! どうせ大きな病院に行ったところで私の病気は治らないんだもの!」

「そんなこと、」

「ジェフは嘘つきなんだから黙ってて!」


 執事は元来の困り顔をさらに困らせた。


「検査入院が終わったらどうせ長期入院させるつもりなんでしょう? 私の世話をしなくてすむんですもの。お父様もお母様も、ジェフもお屋敷のみんなも、どうせ私のことお荷物だって思ってるのよ!」


 ミシェルの碧い目にはいつの間にか涙が溜まっていた。

 想像だにしない展開にロアが少々うろたえていると、


「お嬢様! 私のことはいくらでも邪険にしていただいて構いませんが、先ほどのお言葉は聞き捨てなりません! 貴女がどれほど旦那様や奥様、皆に愛されているか貴女はお分かりでないというのですか!?」


 執事のジェフが、声を張り上げて怒った。

 穏やかな顔つきの彼がこうして大きな声で怒ることは珍しいのだろう、ミシェルは目を丸くして固まっていた。


「こんなにも愛らしい、可憐なお嬢様を、誰が邪魔に思いましょうか。旦那様と奥様は、確かにお嬢様の入院を考えておいでです。ですがそれは貴女の身体を想ってのこと、先ほどの言葉を旦那様方がお聞きになったらひどく悲しまれるでしょう」


 真摯なジェフの言葉に、ミシェルは自身の浅はかな言葉を悔いたのか、黙りこくって涙を手で拭い始めた。

 ロアはハンカチを取り出して、ミシェルに差し出す。

 汚してしまいますわと、彼女は手に取るのを躊躇った。


「構わないよ。それに実はこのハンカチ、以前ルクルス殿にもお貸ししたことがあってね。元気になったら、ボルドウに遊びにおいで」


 ミシェルはぎゅっとハンカチを握りしめた。

 ずび、と鼻を鳴らし、涙を拭きながら彼女はこくこくと頷いた。




「クロワ様には、私の主人が大変ご迷惑をおかけしました」


 会計時、ミシェルが席を外している間、ジェフは深々とロアに頭を下げた。


「いや、君のお陰で助かったよ。私はどうも、女の子に泣かれるとどうしていいか分からなくて」

「その言葉、本当に紳士めいていらっしゃるのですね」


 そう言ってから、ジェフは慌てて「失礼しました、ご婦人に失礼なことを」と付け加えた。ロアは構わないよと軽く笑う。

 ジェフはおずおずとロアに尋ねた。


「クロワ様、大丈夫ですか?」

「今日の予定のこと? 大丈夫だよ」


 あ、いえとジェフは少し申し訳なさそうに言った。


「顔色が少し優れないように存じます」


 ああ、とロアは苦笑した。


「あまり眠れていなくて。流石、君はよく気がつくね」

「不肖ながら、お嬢様の体調変化には気を遣っていまして。領主様も、慣れない土地でお疲れなのでしょう、どうかご自愛ください」


 ありがとうとロアは頷き、注文していた菓子をカウンターで受け取った。

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