愛していると囁かれながら眠る悪夢
視線がまとわりつくのに、耐えられない。
朝起きて支度しているとき、ふと視線を感じて振り返ると光太郎がこちらを見ている。目があうと光太郎はにっこり笑って「おはよう」と言う。梅雨を体現しているような、じっとりした視線だ。
会社を出る時も、仕事から帰宅した時も、眠る時も、ずっと見つめられている。
あの話をしてから、ずっとだ。
秋田への出張を終えて戻ってきた光太郎は、何事もなかったかのように「ただいま」と言った。「おかえり」と返した。最初は、圭子も光太郎の笑顔に合わせて無理に微笑んでいた。でも、毎日毎日それが続いたら、だんだん怖くなってくる。
ドラマ「あなたのことはそれほど」の”涼ちゃん”は、狂気じみていてリアリティが無いと思っていたけど、人は案外あんな風に簡単に壊れるのかもしれない。
あれから毎日、抱きしめられて眠っている。圭子の身体を抱きしめながら、光太郎は呪文のようにひたすら、愛していると囁く。
眠りに落ちる直前、彼がその単語の合間に忍び泣くのが聞こえることがあった。気づかないふりをしてそのまま意識を手放す程度には、圭子は身勝手だ。自分の意思で婚約したのに、今度は一方的に放棄しようとしている。それに対する罪悪感はなぜかすっぽりと抜け落ちて、自分自身がとても怖かった。
圭子はここ数日、毎晩飲み歩いていた。
ひどく酔っ払って家に帰ったことがあった。玄関で靴を脱ぐのに手間取っていると、光太郎はバッグをソファに運び、座り込んだ圭子を起こしてベッドまで運んでくれた。されるがままに甲斐甲斐しく世話を焼かれ、ぼんやりとした頭のまま圭子は無意識に微笑んでいた。
その瞬間、光太郎の顔が歪んだ。そのまま強く抱きしめられて、ベッドに押し倒される。
抵抗はしなかった。荒々しく服を脱がされ、唇以外にキスをされる。いっそこのまま、無理やり避妊なしで挿入されたり暴力を振るわれたりしたら、頬を平手打ちして家を出られるのに。ぼんやりした頭で思った。
でも光太郎はそんなことはしなかった。乱暴に始めたけれど、戸惑い、拒絶されるのでは無いかと怯えながら圭子を抱いている。身体を起こして避妊具を取りに行く奇妙な間を、圭子はただぼんやり待った。
「ごめん。圭子ちゃんごめんね、触られたくないのに」
光太郎の両手が頬を包む。
「俺のこと嫌いなの?」
目を合わせるのが怖くて、顔を背ける。
「違うよ、人としては好き、だけど」
「でも男としては嫌いなんでしょ」
(嫌いじゃない。嫌いと、好きじゃないのは違う)
答えないでいると、指先が首筋を辿って静かに離れていった。暴力的な衝動は時に性欲に変換されるというが、先ほどまで猛っていた彼の性器はもう力を無くしていた。
「寝ようか」
「…うん」
その日はなぜか、シャワーを浴びる気にならなかった。服をかき集めて着替え、背を向けて横になると、また後ろから抱きしめられる。
「圭子ちゃん、愛してるよ。おやすみ」
「…おやすみ」
自分の馬鹿さ。男として見られないと言ったくせに、酔って帰ってきてうっかり微笑むタチの悪い女。救いようが無いから自分なんて地獄に落ちればいい。少しだけ、罪悪感が芽生え、それは奇妙な安心をもたらした。
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