アバンギャルドに生きたい
ジューンブライド。日本では梅雨の時期だから、欧米の文化をそのまま持ち込むのは不適切なのではと常々思っていたが、その日は言葉に相応しい晴れ渡った青空だった。
結城かおりから山下かおりになった彼女が笑顔で高砂に上がった。結婚式は女性が一番美しい日だと言うが、その通りかもしれない。クラシカルな純白のウエディングドレスがよく似合っていた。以前相当根を詰めて合コンに参加していたときを知っているからか、いまは憑き物が落ちたようにすっきりしていた。
圭子は婚約している身でありながら、あの位置にいる自分を想像できなかった。友人代表の言葉はそつなくこなせた。可もなく不可もなく。新郎とはサークルが一緒、かおりとは会社の同期だが、両方とも特別仲が良いというわけでもない。二人が出会った場所に、圭子がいたというだけである。スライドで投影されたかおりの幼い頃の写真を見て、社内で噂されている整形疑惑は晴れたな、と思った。
披露宴の終わりに、恒例のブーケトスがあった。未婚女性が周囲の男性陣に押し出され、控えめに集まる。実際のところ、ブーケトスには遠慮して参加したがらない女性も多い。手を伸ばして花束をキャッチする様子が、結婚に前のめりになっているように見えるので嫌なのだ。圭子も出たくなかったが、隣にいる同期に「お前も未婚だろう」と背中を押された。
「じゃあ行きまーす!」
かおりが後ろを向いて掛け声をかける。
「せーの!」
弧を描いてブーケが降ってくる。女性たちは譲り合うように花束から身を避けた。圭子はブーケが地面に落ちる直前で、反射的にそれを捕まえた。さすがに地面に落ちてしまうのは縁起が悪すぎる。一瞬間があり、それから拍手が起こる。圭子は嬉しそうな顔を作り、かおりに手を振った。
「圭子、来てくれてありがとね」
式場の出口で見送りに立つかおりから、プチギフトを受け取った。
「次は圭子の番だね。ブーケ、圭子に向かって投げたんだよ」
こっそりと耳打ちしたかおりに、隣の山下が驚いた顔をする。
「え、なに高宮さんも結婚するの?」
「うん。まだ何も決まってないけどね」
「そうなんだ。おめでとう」
譲り合いの結果、地面に落ちそうになったブーケトスの花束。
かおりは結局仕事を辞めなかった。ブライダルチェックで妊活に思いのほか時間がかかることが判明し、妊娠に成功したタイミングで退社することにしたらしい。それはつまり、不妊治療をしないといけないとか、そういうことなのかもしれない。一度だけ山下に抱かれたときのことを思い出す。彼は最初、コンドームをするのを嫌がった。
「俺、いつもナマだけど彼女妊娠させたこと無いから大丈夫だよ」
特段チャラチャラしたタイプでもなく、良識のある男だと思っていた山下の発言には驚かされた。避妊しないなら帰るけどと言うと、山下はしぶしぶコンドームを取りに行った。
光太郎はもちろん、最初から避妊を欠かしたことはない。彼と子供を育てるシーンは容易に頭の中で再生できた。介護や災害における困難も、一緒にきちんと解決していけるだろう。
でも、そもそも、結婚したかったんだっけ。子供、欲しかったんだっけ。まだ二六歳だ。
『いまは若いからいいけど、三十過ぎると選択肢がなくなるよ』
『いい男から結婚していくんだから』
そんな脅し文句が世の中には蔓延している。しかし圭子の周りには、欠陥のない優れた男がたくさんいるように見えた。彼らはパートナーがいたりいなかったりするが、結婚なんて想像範囲外という人間も少なくない。それに、周囲の独身のアラサー女性も恋愛に仕事に、楽しんで生きている。でも圭子は結婚したい、と思っていた。婚約するまでは。
*
「しかし、高宮が婚約するなんて思わなかったな。元彼って、大学時代に付き合ってた男だろ?」
ゴールデンウィーク直前の金曜日、圭子は小学生時代の幼馴染の男と飲んでいた。洒落たレストランが多い丸の内で、赤提灯的なメニューが売りの居酒屋は適度に空いていた。彼は先月、八年付き合っていた彼女と入籍した。
「田村くんは想定通り社会人5年目で結婚かあ。すごいわ」
「おまえも昔、二十六で結婚して二十八で出産って言ってなかったっけ。間に合いそうじゃん」
「よく覚えてるね。でも、計画通りに事を進めようとしすぎて、無駄に急いでるかも」
なんか、もっと型にはまらない人生を選びたかったな。
呟いた圭子に、田村はツボに入ったのか笑い出した。圭子が中学時代、規定の制服のデザインが気に食わずに一人だけ私服登校していたのを思い出したのだろう。
「まだ間に合うだろ。同級生みんな、お前の婚約に驚いてたよ。らしくないなって。まあ、別に今の時代、結婚してもバツがつくなんて珍しくないから一度くらいしてみるのもいいかもな」
「もう。自分がうまくいってるからって」
俺たちは次は子供だなあ、と田村が呟いた。
「まあでも、子供が生まれたら別れるなよ。やっぱり親は、両方いた方がいいから」
彼が小学生の頃に、田村の両親は離婚している。
「母性とか父性とか、そういうんじゃなくてさ。単純に、一人だけの価値観の下で生きるよりも、二人の価値観の中で育った方が、考え方は柔軟になる。例えば、『ママはああ言ってるけど、俺は違うと思うから気にすんな』って言われたとするだろ。子供は、考え方はいろいろあることを知る。そして『親』が自分にとって絶対的な存在でもなければ、間違っていることもあるんだ、と学ぶ」
焼き鳥の串を一つずつ外し終わり、圭子は箸を置いた。
「何、急に深いこと言い始めちゃって。じゃあ、いつも親同士が喧嘩している場合は?」
「喧嘩しているのは親同士であって、子供に対して当り散らさないなら、なるべく別れない方がいいんじゃないかと俺は思うよ。もちろん程度によるだろうけど」
「そっか」
圭子の両親は、仲が良い。性的な匂いが全くしないので「ラブラブ」というよりは「仲良し」といった雰囲気だ。恵まれた家庭環境で育ったと思う。父と母はお見合い結婚で、交際期間はわずか半年しかない。当時母は恋人がいて、絵描きになりたい美術の教師だったその人と別れ、結婚を決意したという。
その影響もあるのだろう。恋愛と結婚は違う。そして自分は、結婚するにふさわしい人と家庭を持つのだと考えてきた。
光太郎は、そういう意味で理想の相手だった。でも、自ら敷いたレールを進むたび、違和感が生まれる。
進むべき道と、進みたい道が違うことに気づき始める。
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