体の相性があることを昔は知らなかった

『身体の相性』というものが本当にあるということを、かつては知らなかった。処女を失ったのは、大学生になってすぐのサークル合宿だった。一目惚れしたサークルの上級生に抱かれたが、あっという間に振られ、恋心は粉々に砕け散った。女子校出身の田舎娘にとって、大学は恐ろしいところだった。

 光太郎と出会ったのは、失恋の痛みをズルズルと引きずっていた大学2年の春だ。卒業生も参加することができる大学公認のボランティアサークルで、6歳上のOBだった。生真面目な彼は圭子が二十歳になる夏まで待ち、告白した。圭子は光太郎に特に特別な感情を抱いていたわけではなかったが、話は合うと感じていたし、今度はちゃんとした恋愛をしたいと思ったから了承した。

 圭子にとって光太郎は、継続的な肉体関係を持った初めての男だ。優等生な男とのセックスは、気を失うほどの快感も無く、死ぬほど痛いわけでもなかった。

 社会人になり、光太郎と別れてからは随分経験を積んだ。結局大学デビューはできずに社会人になって垢抜けた圭子は、今までの時間を取り戻すかのように毎晩遊びまわった。

 「圭子ちゃん、好きだよ」

 たくさんの男が、薄っぺらなセリフを吐きながら圭子と身体を合わせた。今、圭子の婚約者は、同じ言葉を真摯に紡いで薄膜ごしに果てた。

 自分の上に覆い被さる皮膚への違和感が、汗で体温が下がるにつれて強くなる。復縁してから初めて抱かれた。最近、週末が被る出張が続き、なんだかんだで宿泊での予定が組めなかったのだ。

 「うん。…ありがとう」

 復縁してから一度も、好きという言葉に対して「私もだよ」と返していないことに光太郎は気づいているだろうか。

 違和感はシャワーを浴びている最中も拭えず、しばらく呆然としていた。先ほどまでの情事を回想して身体の奥が疼くことも、熱の余韻に火照ることもなかったからだ。ただ、わずかな異物感が残っているだけで、冷えた身体ではことさらシャワーのお湯が熱く感じる。光太郎とのセックスは、こんなに身体に馴染まないものだっただろうか。おぼろげな4年前の記憶をたどる。別に、今までの男達が特別上手かったわけではないと思う。快楽だけを追求したセックスと比べれば刺激は足りないが、愛のある行為は、物理的快感をはるかに凌駕することくらい経験済みだ。

 (なんで)

 光太郎を、信頼している。恋愛感情もある、と思っていた。またこの人を愛せると。でも、頭と身体が分離する。

 彼が圭子を愛し、大切に思っていることを知っている。そして彼は、愛しているということをきちんと言葉や態度で示すことができる希少な男だ。今まで自分が付き合ってきた男たちは愛情表現が苦手で、不安に苛まれる夜も多かった。自分のことを正しく理解している唯一の男だとも思う。圭子がまだ純粋な小娘だった頃から知っていて、辛い就職活動を支えてくれたのも彼だ。別れた後も定期的に連絡を取り、良き先輩として会社員としての相談もしていた。派手に化粧をして遊びまわっている女ではなく、素の圭子を知っている。

 でも、男としての魅力を感じなくなってしまった可能性を、忘れていた。途端に結婚に対する不安が押し寄せる。これは、ただのマリッジブルーという言葉で括っていいものなのだろうか。ただの『タラレバ』病だとスルーしていいのだろうか。

 復縁したきっかけは、去年の十二月、久しぶりに二人で食事をしたときだった。お互い仕事が忙しく、ここのところは共通の友人主催の飲み会などでしか会っていなかった。

 「やっぱり、圭子ちゃんと一緒にいるのは楽しい」

 お互い酒が回ってきた頃、ポツリと光太郎が呟いた。

 「僕たちはやっぱり、相性がいいよ」

 お互い、年末の忙しなさに疲れていたのかもしれない。久しぶりにゆっくりと酒を飲み、尽きる事なく会話をし、ああやっぱりこの人といるのは、楽しいなと思った。2軒目3軒目とはしごし、気づけば深夜だったが、真面目な光太郎はホテルに行こうとは誘わず、年が明けたらまた会いたいと言った。年明けに飲んだとき、また付き合ってくれないかと言われ、1ヶ月考えた結果、復縁する決意をした。結婚するなら、やはりこの人なのだと感じた。

 (でも、今考えればそれは)

 単に、久々に会った友人と飲んで盛り上がったのとなんら変わりはないのかもしれない。

 徐々に、大きな過ちを犯しているのではないかという恐怖に襲われる。今まで、小説を読むように恋をして、様々な男に抱かれてきた。結婚したら、夫という一冊の物語を永遠に読み続けなければならない。

 結婚は、こんなにも暗いストーリーだっただろうか?

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