愛されている確信は精神安定剤

潤とは、1ヶ月会っていない。


光太郎に「男性として見られない」と告げた週末は、自宅のダブルベッドで独り寝をした。光太郎が出張中だからといって、いつものように「セックスフレンド」と会う気分にはなれなかった。

久しぶりに連絡しようとスマホを持ち、ふと気づいた。最近はもっぱら連絡はこちらからだ。婚約者のいる圭子に対して潤が気を遣っているというのもあるだろうが、そもそも自分たちは何かを約束した関係ではない。圭子がこのまま結婚すれば潤は他の女を探すだろうし、そうでなくてもセフレが複数いる可能性も低くはない。


途端に寂しさがこみ上げてきた。光太郎と別れたら、自分を愛している人はいなくなる。


潤は多分、1年もの間、定期的に逢瀬を重ねる程度には圭子を好きだ。だがそれは圭子の側面的な一部を好きなだけだし、婚約しても大してショックではない程度の「好き」にすぎない。

彼は圭子の全てを好きになろうとはしないし、そのうち飽きる。将来を共に歩む覚悟なんてないし、四六時中一緒にいたいと考えてもいない。

ある程度、ある一部、好きなだけ。


愛されているという実感は、どんな薬より効く精神安定剤だ。醜い自分を曝け出しても見捨てないでいてくれる男は、それだけで価値がある。


光太郎とは、だから一緒にいたのかもしれない。結局、議論の仕方が同じとか、話が弾むとか、それよりも何よりも、これに尽きるのかもしれない。


でも最近、婚約者のことを男として見られないという女を、好きでいつづけられる光太郎が怖い。

(でもきっともう、これ以上無条件に愛してくれる男はいない)

もうわかっている。盲目的なまでの愛。狂気の愛。3年半付き合って、それから別れて復縁するまでずっと自分を待っていた男。圭子が光太郎と結婚しようと決めたのは、光太郎への愛でもなく信頼でもない。愛されている確かな実感を得たかったから。仕事がうまくいかずに転職をしようか迷い、精神的に落ち込んでいた。自己肯定感を満たしたかった。


結局潤に連絡しないまま、金曜日を迎えた。


その日、圭子は峰崎部長に転職することを告げた。


「個人的にはとても残念だけど、高宮さんなら転職先でも活躍できると思う。あの会社なら実力主義だから、30代でマネージャーもいけるんじゃない?」

「うーん、頑張ります。峰崎部長も9月の人事異動で役員になるじゃないですか。すごい」

長年部長という役職に付いている彼女は、離職の報告を受けることにも慣れているのだろう。さっぱりとしたものだった。役員になるというのはほぼ正式に決まり、それに伴う組織改編が始まっていた。

「ありがとう」

峰崎部長は控えめに笑った。

「いまは結婚も出産もしてないから、せめて出世くらいはしないとね。まあ、”女性”ってことで下駄履かせてもらってるけど」


せめて同性の自分の前では、そんなこと言わなくてもいいのに、と思った。

この人は周囲から憐れまれていることを知っている。男性陣から出世への妬み嫉みではなく、同情されているのを知っている。だからこそ彼女は、口癖のように「下駄を履かせてもらっている」と言う。


圭子は同情されたくなかった。結婚しなければ可哀想だと言われるこの世の中に迎合し、同情されたくないから結婚したいと思った。

婚約したことも同棲していることも告げずに、圭子はこの会社を辞めるつもりだった。



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