本棚の中身が同じ人と出会ったら心中してもいい

婚約のことを言い出せないまま、次の週も潤と会った。彼は帰り際に2枚のDVDを貸してくれた。岩井俊二の「スワロウテイル」とルネ・クレマンの「禁じられた遊び」だ。一つ目は潤が一番好きな映画で、二つ目は圭子が好きそうな映画。

 本棚を見れば、その人のことがわかるというのはよく言われることだ。ずっと、本棚の中身が半分同じ人に出会ったらその人を愛せると信じていた。本棚の中身が全て同じなら、その人と心中できると思った。その夜、借りた映画を二本立て続けに見た。テレビ画面の電源を切ると部屋が途端に静まり返り、自分が泣いている音に気づいた。映画のせいではない。潤はおそらく、圭子の本棚の中身にさほど興味はないが、理解し共鳴するふりができる。それがこれらの映画だ。圭子にだけでなく、誰に対してもそういうことをできるのだろう。才能なのか、努力なのかはわからない。ただ、相手のことが好きだとか興味があるだとか、そういうのではない。魅力的な男は、怖い。彼は自分の理解者なのだ、と思いたくなるような、思っても仕方ないようなことを自然とやってのける。


 圭子は昔から、学級委員長や生徒会役員をやるような子供だった。自分は、誰から見ても真っ当で成功していると思われる道を歩める能力があるし、それが性に合っていると考えていた。実際、今、自分で敷いた真っ直ぐなレールを圭子は歩いている。レールが歪まないうちに、直線であるうちに、急いで渡りきってしまおうと焦っている。

 (何でこんなに生き急いでいるんだろう)

 高校三年生のとき、本当は美大に行きたかった。その気持ちに蓋をして、潰しが効く法学部に入った。終章活動では、憧れの広告業界ではなく、安定していて手堅いメーカーに就職した。堅実に真面目に、冒険をせずに生きようと思った。三十歳までに出産を終えたいから、二六歳までに結婚して、二十八歳で一人目、三十歳で二人目と計画をした。その通りに事を進めようとしてきた。光太郎とは一度別れたけれど、数年遊んで、もう恋愛はし尽くしたと思ったから結婚しようと決めた。でも、どうしてこんなに拒否感があるんだろう。潤と付き合いたい訳ではないし、ましてや結婚なんてもってのほかだ。恋愛感情に近しいものは正直持ちつつあるが、それが持続しないことも知っている。

 潤は自分とは全く異なる。一流大学を卒業しているのに、そのネームバリューを生かして大企業に就職することもなく、個人のデイトレーダーというハイリスクハイリターンの道を選んだ。途方もなく惹かれるのは、彼が文学部卒で、芸術にも秀でており、哲学や音楽にも精通している点だ。会社組織に属しない、独特の世界観と浮世離れしているところも好みだった。別に潤は、世間から見たら大幅にイレギュラーな人間というわけではないのだろう。中卒でヒルズ族にのし上がってきた訳ではないし、発展途上国でビジネスを立ち上げていた訳ではない。しかし、圭子にとって潤は、自分が取りうるリスクの範囲内で、最も魅力的な選択を重ねた対象だった。だからこそ今、他のセフレは切れたのに潤との逢瀬を止められない。

 結局、加奈子と一緒に送信したLINEのあとも、潤との関係は何事もなかったように続いている。「婚約者」について潤はほとんど質問しなかったし、圭子も積極的に語らなかった。

 光太郎とは土日どちらかの昼間に、会っている。親への顔合わせ、同棲の計画、結婚式の準備。タスクを黙々とこなす仕事仲間のような感覚だった。光太郎は、そういうことをきちんとできる人だった。だからこそ、圭子は彼と結婚しようと決めたのだ。結婚相手は、次々と降りかかる課題を一つずつ共に解決していくパートナーでなければならない。

 でも不意に、それでいいんだっけ、と疑問を覚える。家族という形態を作って、それによって発生する難題を解決して、そもそも何がしたいんだっけ。

 恋愛と結婚を両立できないなら、どちらかを選ばないといけないのなら、結婚を取るべきだと思っていた。結婚相手には、現実的に生産的な人を選ぶ必要があると考えていた。

 でも、本当にそれでいいんだっけ?

 それだけで、いいんだっけ?

 なんで結婚しないのか聞かれている人を見たことはあるが、なんで結婚するのかという問いは聞いたことがなかった。なんで、結婚、したいんだっけ?

「ねえ、狩谷さんがバツイチだって知ってた?」

 珍しく一人で食事をしているかおりを社食で見つけ、圭子は向かいの席に座った。現在狩谷は圭子のいる部署の事務を引き受けているが、その前はかおりと同じ部署だったはずだ。

「え、知らなかった。なにそれ、意外すぎ」

「だよね。で、元夫がいまの彼氏なんだって」

二人で顔を見合わせる。

「どういうことか分かんないけど、なんかすごいね」

「ね」

 今日の日替わり定食はチンジャオロースだ。ヘルシーさを売りにしているため、味が薄い。かおりが箸を口に運ぶたび、左薬指のダイヤモンドがキラキラと輝く。

「かおりはなんで、山下さんと結婚しようと思ったの?」

「うーん、浩二ああ見えてモテるから。早く結婚しておかないと目移りされちゃうもん」

確かに山下は、結婚適齢期に需要が高いタイプだ。収入も良く、性格も穏やかで浮気もしなさそうだ。圭子を抱いたのはかおりと付き合う前だから、セーフ。あの時は偶然の再会に盛り上がってそういうことになったが、それっきりだ。ダラダラとセフレの関係になることもなかった。

「圭子は?例の元カレとどうなったの」

 かおりは圭子が「元カレ」と復縁したのを知っている。潤のことは話していないので、ずっと特定の彼氏がいなかった女が、結婚願望に抗えず手近なところで元サヤにおさまったたとでも思っているのかもしれない。それがね、と前置きをして圭子は箸を置いた。

「まだ会社の人には言ってないけど、婚約した」

「えっ」

 かおりも箸を皿の上に置き、目を大きく開いてこちらを見つめる。

「ヨリ戻してからのスピード感半端なくない? さすが、仕事のできる女はクロージングが早いね」

「まあね」

「とりあえず、じゃあ二人とも『プレ花嫁』だね」

 最近は、インスタグラムなどで結婚式の準備をタグ付けして投稿し、情報をシェアするのが流行っているらしい。そのタグが『#プレ花嫁』なのだそうだ。

「まあこっちはかおりと違って、式場探しもこれからですけど」

「式場とかドレスとか、めっちゃ悩むから覚悟しといたほうがいいよ。とにかくおめでとう」

 結婚を控えたプレ花嫁は、決めることが多くて忙しいし、しばしば夫となる男性とそれで揉めるが、かおり含めて誰もがみんな、明るくて楽しそうだ。

(じゃあ私は)

 結婚を控えてるという意味では確かにプレ花嫁だが、結婚式場もドレスも全く決めてはいない。決める気すら起こらず、光太郎と購入したゼクシィもクローゼットにしまいこんでいた。もはや脱落しかかっており、マリッジブルーの域をとっくに超えていた。

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