このシャンパンを口にする時には
セックスを終えて眠りについたのは5時で、目覚めたのは12時だった。
「シャワー浴びる?」
「うん、ありがとう」
潤との関係はもう半年以上だが、シャワーを借りるのは初めてだった。
大抵は夜に会って、朝帰るからだ。昼まで一緒にいたことはない。それに、化粧を落として素顔になるのも憚られるし、夏を経験していないこともある。
お湯を浴びると、頭が少しずつクリアになる。
タワーマンションの設備はさすがに洗礼されていて、木目調の浴室は広々としていた。
古めかしい自宅の設備とは違う。
圭子が出ると、入れ替わりに潤が浴室に消えた。
髪をドライヤーで乾かしながら、充電させてもらっていた携帯を見る。
「何時頃帰ってくるの?」
光太郎からだった。
送信時間は朝8時。
しばらく迷い、返信をした。
「朝方、一回帰ったんだよ。これからランチだから、戻るのは夜になりそう」
罪悪感はなかった。
美術展を見終え、立ち寄ったデパートにシャンパンの試飲コーナーがあった。
圭子も潤も、シャンパンが好きで、安くて美味しいものを探してはいつも持ち寄って飲んでいた。
何ともなしに見ていると、サロン・ド・ブラン・ブリュットのビンテージが箱入りで売っていた。多少安くなってはいるものの、4万円台だ。
初めて飲んだシャンパンはサロンだった。グラスで一杯だけ。シャンパン付きのアフタヌーンティーに行ったときのことだ。
急に、欲しくなった。
一度思い始めると止まらない。
「うーん、あのワイン、買っちゃおうかな」
「どうしたの、いきなり」
自分でもわからない。
−あのシャンパンのコルクを抜くとき、きっと圭子は光太郎じゃない男と居る。潤かもしれないし、新しい男かもしれない。
立ち止まってぐずぐずしている自分の方向性を、あのシャンパンは決めてくれる気がした。
「決めた。あれ買う」
意を決して、カウンターまで向かう。クレジットカードではなく、財布に入っていた現金で支払った。
「私、次に一人暮らしを始めたらこれを開けるわ」
サインをし終えると、横にいた潤に笑いかけた。
「だからそれまで、私のこと着信拒否しないでね」
始めたばかりの同棲を、やめる。馬鹿なのかな、と自分で思う。
でもそういう選択もあると考えただけで、幾分か心が軽くなったのは確かだ。
潤は肩をすくめて、圭子の頭を撫でた。
「それはこっちのセリフだろ。かたや婚約者と同棲してて、かたや独り身なんだから」
自宅に着いたのは22時だ。
光太郎は飲み会で、まだ帰宅していなかった。
戻ってくる前に寝ようと、急いで就寝の準備をした。ベッドに潜り込んで、一安心した。
しかし、まどろみ始めた矢先にドアの開く音がした。
ベッドルームの明かりがつき
「圭子ちゃん、戻ってきてたんだ」
寝たふりをしようとしたけれど、圭子が眠りが浅いことを知っていて声をかけてきたのだから無視はできなかった。
「うん。今日は疲れたから割と早く寝てた」
わざと眠そうな声で答えて、また布団に潜り込んだ。
しかし光太郎は着替えると、壁を向いて寝ていた圭子の首筋にキスをした。顔を振り向かせ、唇を重ねる。
圭子はされるがままになっていた。
セックスをいつまでも避けることはできない。
若干アルコールが残って、体の感覚も意識もぼんやりしている今なら、最近触れられるたびに感じる違和感を覚えないかもしれない。
早急に求めてくる光太郎の背に腕を回した。
「ああ、綺麗だよ」
光太郎の顔が近付き、口の粘膜同士が重なる。
(あ、やっぱり、ダメだ)
せわしなく動く生暖かい舌、荒っぽく洗礼されていない前後運動、喋りすぎる口。
感じているふりを、初めてした。
(触られたく、ない)
少し前は「嫌ではないが触れられたいと思わない」というかすかなものだったのに、今は明確に違和感と拒否反応がある。
一度意識してしまうと、体はどんどん冷えて行った。ひたすら痛みに耐える。
圭子が虚脱感を覚えたセックスに、しかし光太郎は満足だったようだ。
「圭子ちゃん、好きだよ」
「うん…」
光太郎のことは、男として好きだと思ったことはないが、人間としては好きだった。一時はセックス込みできちんと付き合ってもいた。
(触れられるのがしんどくなってしまった)
新しい家具も揃いきっていないのに、自分はもう終わりを考えてしまっている。
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