深夜3時の逢瀬

「じゃあ行ってくる。私、今日は遅くなるから先に寝てて」

「わかった、行ってらっしゃい」


同棲が始まってから一週間。

お互い仕事をしていることもあり、特段揉めずに穏やかな生活が過ぎていった。夕食は一緒に取ることもあるが、営業職の圭子は接待も多い。同じベッドで寝ているが、まだ一回もセックスをしていなかった。何なら、プロポーズされた日にホテルに泊まって以来、一度もしていない。


金曜日の今日は、おそらくそういう雰囲気になるだろう。

避けたくて、高校の同級生と飲む予定を入れた。今回の引っ越しで家の最寄駅が同じになったため、終電を気にせず飲むことになる。帰る頃には光太郎は寝ている。


大学時代の一部を寮で過ごした圭子は、共同生活自体は慣れていた。シェアハウスに住んでいるようなものだと思えば、意外とうまくいった。


洗濯カゴは別だし、食事も基本は各自で摂る。光太郎は布団を干してゴミ出すから、圭子は掃除をこまめにするようにしている。

共有部分のリビングには、個人のものは置かないという約束をした。お風呂場や洗面台のスペースも半分に分けた。

自分の空間だけが美しく保たれていればいいと、割り切ろうと思った。



「今日は、お互いのろけ話ができると思ってたのに…」


仕事帰りに新小岩駅で待ち合わせ、新しくできたイタリアンバルに入る。

高校の部活仲間だった美波は、最近初めて彼氏ができた。たまにLINEグループで、デート情報や悩み相談が投稿されるから近況は知っていた。


「まあ、圭子は32歳くらいまで結婚しなさそうだったから、婚約したってFacebookで見たときは驚いたけど」


美波はカラカラと笑った。


「あんだけしっかりと婚約を発表しておいて、同棲1ヶ月後には破棄、何てことになったら笑えないけどね」

「後戻りできないように、わざわざ婚約指輪の写真まで投稿したんだけどね。やっぱりダメだった。とりあえず、それこそ1ヶ月は頑張るけど」


締めのデザートが来て、店を変えて飲みなおす流れになった時、美波の携帯に電話が来た。ちょっとごめん、と美波は席を立った。どうぞ、と目で促す。

数分後、申し訳なさそうな顔をして戻って来た。


「ごめん、彼氏が体調悪いみたいで。今日は解散でもいいかな」


これから薬とヨーグルトを買って、恋人の家に向かうという。


「うん、大丈夫だよ。気にしないで。じゃあ私はもう少しここで飲んでくから、一回お会計しようか」

「オッケー、ありがとね」

「彼氏さん、お大事に」


一人で酒を飲む習慣はないが、今日はまだ帰りたくない。遅くなるとは言ったかが、今の時間だと光太郎はまだ起きているかもしれない。

幸運にも、この店はカウンターで読書をしながらワインを飲んでいる女性も数人いる。もう少しだけここで時間を潰したい。


ソルティドックを一杯頼む。

携帯を開くと、美波からお詫びのメールが来ていた。几帳面だ。

もう一通LINEが来ていた。潤からだった。


「今錦糸町で飲んでたんだけど、いい店あったから今度行こう」

圭子も飲んでると思うけど、気をつけて帰れよ、と続いた。


思わず圭子はテーブルに突っ伏した。なんていうタイミングなのだろう。

「今、新小岩で飲んでたよ。友達先に帰っちゃった」


そこからは早かった。じゃあそっち行くからと言われ、圭子は深夜3時までやっているワインバーを探して店のURLを送った。


−同棲して気付いたことがある。

友人たちに話せば、当たり前だと笑われそうな話だ。


(結婚相手にも、ああ、この人が好きだなと思う瞬間は必要だった)


圭子はずっと、恋愛相手と結婚相手は違うと思っていた。

過剰なまでに二つを区別して、求めることも明確に異なった。

光太郎は結婚相手に向いているから、結婚するために復縁した。


でも、すぐに子供を産むわけではない今の状態で、キスもしたくなくなってしまった相手とはやはり結婚できない。


(私は、最悪だ)


散々自分で話を進めておいて、逃げることになる。

しかし結局、自分は今夜潤のところへ向かう。


潤は20分後にバーに現れた。こういう突飛な逢瀬もいいね、と涼しげに微笑んだ。逢瀬、という日本語を使うその感性が好きだ。


赤ワインのボトルを入れた。


貸した小説に出てきた料理の話、テレビで話題になっていたウミガメの産卵の話、韓国の大統領が変わった影響の話。

共通の友人も趣味もないのに、時間が経つのを忘れるくらい延々と会話が続く。


気づけば店の閉店時間だった。


これからどうしようか、と潤が聞いた。彼は新小岩が圭子の住まいの最寄駅だと知っている。同棲している以上、圭子は家に帰り、潤はタクシーで六本木に戻るのが正しい。


潤とは明日会う予定だった。新国立美術館でやっている企画展に行く。チケットは家だ。そして、圭子は自分の下着が上下バラバラなことを思い出した。


でも、家に帰ってあのベッドで寝たくなかった。


「家に戻って明日のチケット取りに行ってくるから、待ってて」


深夜3時なら、光太郎は寝ている。彼は眠りが深いから、圭子が家に戻って支度をしていても目覚めないだろう。


潤と共にタクシーで家の前まで行き、待っていてもらう。

案の定、家のドアを静かに開けると光太郎の寝息が奥の部屋から聞こえた。手前にある自分の部屋に入り、電気をつけないでチケットを探す。ついでに化粧落としと歯ブラシも入れた。

下着を替え、髪を整える。


こんな危ないことを、いつから抵抗なくする女になったのだろう。


エントランスを出てタクシーまで小走りで戻る。


「六本木交差点までお願いします」


タクシーの中では、お互いあまり喋らなかった。


「夜が明けるね」

ぽつりと、前を向いたまま潤がつぶやく。


「うん」


光太郎には帰ってこなかったことをなんて言い訳しようか。

いっそ、バレてしまえば簡単に終わることができるのに。


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