あの時は懐かしさに抱かれただけ

6月の半ばになっても、梅雨という感じの天気はあまりなかった。穏やかな気候が続く。


転職の手続きも進み、現職の退社日も決まった。バタバタとした日々が続いていたが、相変わらず頭の中はモヤモヤとしていた。


穏やかな日常。

二人の同棲生活は、はたから見れば相変わらず何も問題なかった。


家事分担で喧嘩することもなく、平日の朝は日常会話をしながらコーヒーを飲み、夜はダブルベッドで一緒に眠る。圭子の飲み会も転職祝いを直前に控え、一瞬落ち着いている。

仕事が忙しいので光太郎と食事をすることは相変わらずほとんどないが、以前のように飲み会を無理やり入れることもしていない。


(でも)


最後にキスをしたのは、光太郎が出張から帰ってきた夜だ。もう2週間前になる。触れられたくないと明確に思ってしまってからは、キスすらできなくなった。


復縁してからセックスをした回数を数えてみたら、たった3回だった。

プロポーズされた当日、痛みと違和感に耐えて抱かれたのを覚えている。あのときはそれでもまだ、早すぎるマリッジブルーに過ぎないと自分を抑え込めた。


まだテレビを見ている光太郎をリビングに残し、ベッドに潜り込んだ。背を向けて眠ろうとしていると、就寝の準備を終えた光太郎が、布団を剥がして圭子を抱き寄せようとする。圭子の顔を自分の方に向かせて、キスをしようとした。


「嫌。ごめん」


言ってから、とうとう拒んでしまった、と思った。

光太郎は傷ついた顔をし、それでもすぐに「好きだよ」と笑い、静かに身体を離した。


「…ごめんね」

「疲れてるだけだよ、きっと」


−こんなことを何度か繰り返すうち、ベッドで後ろから抱きしめるときにも光太郎は「いい?」と確認するようになった。


5センチの隙間を開けてダブルベッドで眠ることが、もう当たり前になっている。


4年一緒にいたから気心も知れており、会話は続く。半同棲の学生時代もあるから、共に暮らすということだけに限定すれば違和感もない。

しかしそれは、あくまでもルームシェアの延長で、という意味でだった。


過去に何度も抱かれたことのある男なのに、できない。


これが決定的になるにつれ、早く婚約を解消しなければと思う。だが、いま何か言っても諭されるだけだ。マリッジブルー、転職への不安、環境変化へのストレス…時間が経てば解消されるものだと誰に相談しても理解されない。


実際光太郎とは、圭子が就活中に性欲が無くなって2ヶ月間、セックスが出来なかったこともある。

光太郎は、その時と同じだと思っているだろう。


(一緒にいればいるほど傷付ける)


あの頃と違うのは、他の男には抱かれることができるということだ。

罪深い実験は、就職活動の時とは事情が違うという悲しい事実を証明して見せた。


チャンスが欲しいと光太郎tに言われた12月の夜、酒も充分に入っていた。


「やっぱりこの人だ」と思ったのは、光太郎と過ごす時間が心地よかったのではなかった。

会話や誘い方や抱き方−圭子は懐かしさに抱かれただけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る