空と花と道と

オガタチヨ

序章

(1)

亜州――第38地区。0日目。 


 その日は朝から快晴だった。

 幼いレイは母親に手を引かれ、坂道を登っていた。反対の手では、母親の作ってくれた人形の手を握り締めながら。

 心地よい風が吹き、足元の草花を揺らす。道路には荷台の通ったわだちが残り、不思議な文様を描いている。轍をなぞって歩きながら、レイは母親に、今日の昼食の献立を聞いてみた。母親は首を傾げて考え込む。どうやらまだ決めていないようだ。

 二人は朝から町の診療所に行き、レイの喘息ぜんそくを診察してもらったところだった。今はその帰り道である。

 つい先月まで世界中を巻き込んでいた戦争のせいで、ここ数年は医療道具や薬品類が極端に不足している。レイも喘息の薬をもらうことができず、症状は一向によくならない。治療に時間のかかる病気だから、と医者は言うが、レイは少しでも早く、あの激しい咳や発作とサヨナラしたかった。

 坂を登りきった所で、レイは眼下に広がる町を横目に眺めた。不規則に並ぶ瓦屋根が、太陽の照り返しを受けて光っていた。町の向こうには、隣町との間を隔てている山がある。

 その山の、上空辺りだった。

 不意に、黒い塊が見えた。機影ではない。その黒塊は徐々に地上へと近付いてくる。

 流れ星だ、とレイはにわかに思った。青い空の中、大きな流れ星が降ってくる。

 レイは立ち止まり、その流れ星を眺めた。

 そうしている間にも、黒塊はどんどんと落下してくる。

 つられて立ち止まった母親に、レイは流れ星の方角を指差して見せる。母親は娘の指が示した先を見やり、怪訝そうな顔をした。

 やがて黒塊は山の向こうに消えて、こちらからは見えなくなった。

 ――刹那。

 黒塊の落ちた地点で巨大な火球が爆発し、次いで白い光の柱が立ち昇った。

 まぶしさのあまり、レイは思わず目をつむる。小さな手で光を遮りながら薄目を開けてみると、光の柱の足元が拡がり、赤く染まっていくのが視界に飛び込んできた。まるで真っ赤な朝顔を逆さにして、空から地面に伏せた様な光景だった。

 きれいだ、と思う間もなく、今度は凄まじい轟音がレイの耳をつんざく。ドン、という音が大気を震わせる。怖くなって、レイはとっさに母親の手を強く握り締めた。足元がぐらり、と揺れ、次の瞬間、音が伝ってきたのと同じ方向から、爆風が吹きつける。立っていられなくなり、レイの体は地面に叩きつけられた。すぐ近くで、何かが次々と壊れる音がした。

 倒れたレイの頭上を、爆風と共に灼熱の塊が通り過ぎた。何が起こっているのか全く理解できないままに、レイはただただ目をつむり、手の中の人形を握り締めた。母親の手は地面に倒れた時に放してしまっていた。

 しばらくすると、凄まじい音も風もやんだ。代わりに、辺りのようすがおかしくなっていた。

 まず感じたのは、異常なほどの熱さ。まるで火の中にでも放り込まれたようだった。 

 やっとのことで身を起こしたレイは、目を開け、そして自分を取り巻いている光景に愕然とする。

 先程までは、坂のてっぺんには何軒かの店が確かにあった。それが今は、全て倒壊し、燃えていた。道端には様々なものが散乱し、それらのほとんどが、よほど強い力を加えられたのか、奇妙な形に捻じ曲がっていた。

 立ち上がり母親の姿を探したが、見当たらない。そこここで何かの呻き声や叫び声が聞こえた。おぼつかない足取りで、レイはさっきまで母親と立っていた場所まで戻る。そこにも母親の姿はなかった。

 先程と同じように町を見下ろすと、そこは火の海だった。

 光の柱が見えた辺りに目をやると、真っ赤な朝顔は、大きな大きな白いキノコの形に変わっていた。もくもくと噴煙を上げ、キノコの傘のような雲が、空一帯を覆っているのだ。

 何が起こったのか分からぬままに、レイは大きな瞳でそのキノコ雲を見つめていた。 

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