送別
-本編が始まる10日前の話-
トールキンが物心ついた頃には、世界は既に戦争を始めていた。
十三年前。
周囲の大人たちは、新聞やラジオから流れてくる戦況報告に逐一気を揉んでいたようだった。しかし当時まだ子どもだったトールキンは、そんなもの自分には関係のない出来事だと思ってさして関心を抱かなかった。強いて言うならば、戦争のせいで菓子が手に入らなくなるかもしれないと聞いた時だけは、おのれ戦争めと憤慨したくらいだった。
八年前。
対人兵器の進歩により、各地の戦況は泥沼の一途を辿り始めた。その頃にはトールキンも徴兵年齢に達していたので、さすがに他人事ではなくなっていたが、それでもまだ高校生活を楽しむ余裕くらいはあった。
五年前。
世界中の人々の間に厭戦気分が漂い始めるが、それでもまだ戦争は終わらなかった。それどころか民間人の被害が急速に拡大し始めた。大学の学士課程半ばだったトールキンも、ついに軍隊へと志願した。迷いはあった。だがそれ以上に、「男ならこの状況を黙って見てられるか」という気持ちの方が勝っていた。
その後、戦場に身を置くうちに、己の覚悟の甘さを思い知らされた。
幸いにして自分が戦傷を負うことは少なく、仲間内からも「強運持ちのトールキン」と言われていたが、その強運を見込まれて突撃の先鋒隊を任されることも少なくなかった。また自分自身も、持ち前の胆力を活かせるならばと、そういった役割をどんどんと引き受けた。
しかしその中で、同じ先鋒隊の仲間や部下が死にゆく姿を、何度も何度も目の当たりにしてきた。自分が生き残って彼らが散っていってしまった、その理由は未だに分からない。何が違ったのか。運の違いだ、そう言ってしまえばそれまでだが、彼らの命をそんな不確定なもので測りたくはなかった。
そのように、「死」に対する感覚もよく分からなくなってきて、色々なものを失った挙げ句にようやく戦争が終わったのが、つい一ヶ月前のこと。
そして昨日。
上官から呼び出され、いわゆる「極秘任務」を拝命した。
リチャード・トールキン。階級は欧州陸軍中尉。二十四歳の夏のことであった。
欧州陸軍作戦部の棟内には、未だ日中の暑気が残っていた。そろそろ陽は西の空へと沈みかけている時間帯だが、階段を上っているだけでも、じわり、額と背中には汗が滲んでくる。
深緑色の野戦服の袖をまくり上げると、トールキンはその袖の端で額の汗をぬぐった。ジャケットの肩口に縫い付けられたペンギンマークの隊章は、もう随分と汚れて糸もほつれてきている。
「あっづー……」
周囲を見やれば、濃紺の詰襟軍服を着た人々が廊下を忙しく行きかっている。この暑さだというのに、誰も襟元を緩めたりなどしていない。あちこちの部屋から、じりじりという内線電話の音が鳴り響き、タイプライターを打つ音や紙束をめくる音なども聞こえてくる。
そんな中、演習用の小汚いジャケットを着てのんびりと歩いている自分は、この厳つい体格も手伝って、きっと恐らく間違いなく十中八九、この建物の中では場違いだ。トールキンの姿に気付いた何人かの顔見知りがこちらへ向けて手を振ってくれるものの、またすぐに自分の業務へと戻って行ってしまう。
このように、ほとんどの人間が戦後処理の事務仕事に追われている中、トールキンたちに下された指令はと言うと。
「極秘任務、ねぇ……」
口の中で小さく呟く。
任務先は亜州の第三十八地区。任務内容は現地における状況視察および報告。期間は未定。情報の漏洩を避ける為、詳細については現地へ向かう機内で説明する、とのこと。
トールキンは、昨日聞いたばかりの命令内容を頭の中で反芻する。ついでに、その命令を自分に伝えた上官の、苦々しい顔も。
『オレ自身、詳しいことを知らされていない。状況視察ったって、何が目的なのかさっぱり分からん。上層部からも、そこんところの説明は一切なしだ』
そんな状態でお前たちを行かせるのは忍びない――端正な顔を歪ませ、彼にしては珍しく申し訳なさそうに、上官はそう呟いていた。今回は小隊規模での派遣任務なので、中隊長である彼自身が同行できないことも、後ろめたさの原因となっているのだろう。
とは言え、それは中隊長のせいでも何でもない。彼もまた、上層部からの命令をそのままこちらへ伝えたに過ぎないのだ。それはトールキンも重々承知であるし、トールキンが承知していることを、中隊長もまた理解しているはずである。
今回の任務先である亜州の第三十八地区と言えば、ここ欧州からは遥か彼方、極東に位置する小さな島国のことだ。土地の利を活かして軍港が多いことを除けば、取り立てて特徴のない、平凡を絵に描いたような国である。無論、欧州の管轄区域ではない。特別に深い繋がりがあるわけでもない。
中隊長の話では、その第三十八地区が爆撃を受けたとかで今回の任務が下ったらしい。が、その爆撃の情報自体、真偽のほども定かではない。第一、ちょっと爆弾を落とされたからというだけで、自分たち欧州陸軍がはるばる出向いて状況を確認するのも変な話だ。
怪しい匂いが薫り立つ任務であることは間違いない。
しかし反対に考えれば、怪しいからこその「極秘任務」ということになるのだろう。そして、それだけ機密性の高い任務を任されたのは、自分の率いる小隊が、中隊長や上層部からそれなりの信頼を得ている証なのだと、トールキンはそう思うことにした。それ以上の余計な詮索は無用だ。
第三番中隊の中でも、活きのいい若造ばかりが集まっているトールキン小隊。そこに白羽の矢が立てられたということは、トールキンにとっても、そして部下たちにとっても、いい経験になるだろう。
問題は、この曖昧極まりない任務について、いかにして部下たちに説明すべきかだ。
「そんなわけで、だ。お前ら、一緒に行ってくれるよな?」
小さな会議室に召集した部下たちを壇上からぐるりと見回すと、案の定、不服そうな反応が一斉に返ってきた。
「えーっ! こないだ前線から戻ってきたばっかなのに、また遠征ですかー!」
「しかも三十八地区って…! 同じ欧州内ならともかく、三十八地区って…! 遠すぎますよ!」
「だいたい、何で俺たちがそんな辺境に行かなきゃいけないんですかー?」
「そうですよ! 状況視察って何なんすか、一体? その国に何かあったのなら、亜州で管轄すべきですよ」
ご丁寧にも皆、大仰なまでに顔をしかめてくる。ただでさえ空調がなくて蒸し暑い会議室の温度が、ますます上がった気がした。
まぁでも、そうだよな。そう思うよな。
部下たちの嘆きを聞きながら、トールキンは腕を組み、うんうんと頷く。彼らの言い分は尤もだ。自分が彼らの立場であったなら――すなわち数年前であれば、彼ら同様、上官に文句の二つや三つや四つほど垂れていたことだろう。
しかしこれは命令、しかも「極秘任務」である。そして自分は、その命令を預かった小隊の部隊長なのだ。
ひとしきり彼らに不満を吐き出させると、トールキンはびっと人差し指を立てた。パイプ椅子に座って仏頂面を作っている部下たちを、もう一度ぐるりと見渡す。
「いいかよく聞けーお前らー」
第三番中隊、鬼の規律その一。隊長が話をする時には注目すること。
その規律が徹底して叩き込まれている面々は、反射的にぴたりと口をつぐむ。それを確認すると、トールキンは続けた。
「お前たちの気持ちは、よーく分かる。よーく分かるがしかし、これは任務だ。命令だ。俺たち兵隊に任務を選ぶ権利はない。ないからこそ、どうせやるなら前向きに取り組んだ方がいいとは思わないか? 亜州の問題だから俺たちの出る幕じゃない、確かにそうだろう。だが逆に考えれば、俺たちの手を必要とするほど、亜州が窮地に陥ってるってことでもある。困ってる同盟国を助けるのは当たり前だろ?」
まずは一応正論ぶってみるものの、彼らが納得していないことはその表情からも明らかだ。
第三番中隊、鬼の規律その二。どんなクソ任務であっても、文句を言うより先に動け。こちらは残念ながら、若い人間の間ではあまり徹底されていない。
では、これではどうだろうか。
「しかも極秘任務だぞ、これ? 俺たちは選ばれし者なんだぞ?」
選ばれし者。その単語に、若者たちがぴくりと反応する。しかしそれでも、色よい返事は返ってこない。おずおずとこちらを見上げてくるだけだ。
「でもそれ、体のいい押し付けじゃないですか…?」
「面倒だとか危険だとか、そういう」
「戦場における捨て駒的な」
情けない発言の羅列に、トールキンの口からは思わず溜息が出る。
「あのなぁ。上層部が俺たち兵隊を捨て駒扱いするのは、今に始まったことじゃないだろ。そもそも、第三十八地区では武装解除が既に済んでいる。今回に関して言えば、命の危険はないはずだから安心しろ」
トールキンの言葉に、部下たちは考える素振りを見せる。そしてしばしの後、不承不承ではあるものの、各々小さく頷いた。
あぁ、だめだ。これではだめだ。トールキンは眉根を寄せる。
不本意なまま緩んだ気持ちで現地へ赴けば、思いもよらないことで任務が失敗する可能性がある。命の危険はないと部下たちには言ったものの、最悪の場合はそれさえも覆される。
戦時中は、戦場において銃弾を放つことで任務目的が明確化していたからいいものの、戦争が終わった今、自分たちの目の前に敵はいない。士官学校へ行かずに前線の叩き上げで育ってきた彼らにとって、調査や視察といった漠然とした目標では、なかなか士気が上がらないようだ。
仕方がないので、トールキンは奥の手に出る。
「ちなみに今回の任務では、飛行機にも乗れるぞ?」
何気なさを装って発したその言葉に、何人かがうっと唸る。陸軍に所属する大半の人間にとって、空を翔ける翼は憧れの的だ。
「飛行機……」
「俺、乗ったことねぇよ…」
「やっぱ、降下用ヘリとは違うんすよね?」
「いいなぁ、飛行機」
少しばかり口元を緩め、そこに飛行機が飛んでいるわけでもないのに、無意味に天井を仰ぐ。分かりやすい奴らだ。
今ので随分と威勢が弱くなってきた。よし、あともう一押しだ。トールキンはとどめを放つ。
「あぁそれに、亜州の女の子は皆、貞淑で可愛らしいと聞くぞ」
この一言が、思いのほか効いた。
小隊の面子ははっと目を見開く。視線を、天井からトールキンへと戻す。そして次に、一人残らず、至極真面目な表情になった。
「トールキン中尉……なぜそれを、もっと早く言ってくれないんですか……」
「そうですよ、そんな大事なこと……」
「オレらがそういう楚々とした女の子に飢えてること、中尉もよく知ってるでしょ!?」
「ぼくたちは、母性と優しさ溢れる女の子を所望します!」
口々に呟くと、きらきらと目を輝かせ始める。
「女の子!」
「黒髪で色白の!」
「細くてちっちゃい!」
「女の子!」
飛行機の次は架空の恋人に想いを馳せたりと、彼らの妄想力は無尽蔵だ。
しかしどうやらこれは、説得に成功したようだ。トールキンが内心にやりとほくそ笑んでいると、部下たちは拳を握りしめ、全員で立ち上がった。彼らの座っていたパイプ椅子が、がたりと音を立てる。中にはひっくり返ったものもあった。
「中尉! お任せください、その任務!」
「見事果たして見せましょう!」
「いざ行かん、亜州へ!」
「おーっ!」
狭い会議室は、暑苦しい男どもの暑苦しい雄叫びで満たされたのだった。トールキンは、にっこり笑って頷く。よし、いい子たちだ。
しかし、女の子の話題で有頂天になっている若者たちを見ていると、さすがに不安も出てくる。
「あぁそれとお前ら、分かっちゃいると思うが、くれぐれもこの件については――」
「大丈夫ですよ、中尉」
「これは「極秘任務」ですからね」
「口外なんてしませんよ」
いっぱしの兵隊顔で、言ってくれる。
第三番中隊、鬼の規律その三。口は堅くあれ。
「それにしても、そんな重要な任務を任されるってことは、俺たち、上にも評価されてるって思っていいんですよね、中尉?」
一人が、意気揚々とした表情でトールキンを振り返る。
まさに先ほど自分が考えていたことと全く同じで、軽く目を見張る。違うのは、トールキンは自分自身に言い聞かせる為にその理屈を引っ張り出しているのに対し、彼らは本気でそう信じて胸を高鳴らせているということだ。
口元に浮かびそうになった苦い笑みをぐっと押し隠し、トールキンは大きく頷く。
「もちろんだ。シュタイナー少佐からも期待されているんだからな」
自分たち第三番中隊の中隊長、ハルト・シュタイナー少佐の名前が出た途端、場はますます色めき立った。
「マジでー!」
「あのシュタイナー少佐が! 期待! このおれたちに!」
「オレ、なんかやる気出てきた」
「じゃあさ、この任務を遂行できたら、全員昇進とかあるんじゃねぇ?」
「俺もとうとう尉官階級の仲間入りかー!」
打算的な喜びを隠そうともしない部下たちに、トールキンは苦笑を浮かべる。馬鹿正直な奴らだ。組んでいた腕を腰に当てると、すぅと息を吸い込む。
「よーしお前ら! シュタイナー少佐の期待に沿えるよう、気張っていくんだぞ!」
それに対して返ってきたのは、最初の文句の羅列からは考えられないほどに元気な声の輪唱だった。
部下たちに散会を告げ、会議室を出たトールキンは、その足で上官の元へ向かうことにした。
同じ作戦部棟の一角にある執務室に顔を出すと、我らが第三番中隊の隊長ハルト・シュタイナー少佐は、部屋の中で一人、咥え煙草のままで書類に何やら書きつけているところだった。眉間に寄っている皺が普段の五割増しになっているあたり、この人はつくづく、内勤よりも実戦向きなのだなとトールキンは思う。
「少佐」
声をかけると、トールキンの存在に気付き、ハルトは軽く手を上げた。咥えていた煙草を灰皿の中で揉み消し、そして立ち上がる。トールキンも彼の執務机へと近付いた。
ハルトは、かなり体格のいい方に入るトールキンよりも、さらに少し背が高い。周囲からは、二人並んで歩いているといやに威圧感があると言われることもしばしばだ。折しも今の時間帯、部屋の窓からは西陽が射しこみ、床に二人分の長い影を落とした。
「ご苦労さん。どうだった、説得は?」
ハルトに問われ、右手で軽く敬礼を取ってからトールキンは口を開く。
「何とか成功しました。いやはや、若者の士気を上げるのは骨が折れますね。正攻法がなかなか通用しません」
肩をすくめて見せると、ハルトも顔をしかめた。
「最近の若い奴らは、文句だけは一人前に吐きやがるからな」
「そうは言っても少佐、俺たちだって何年か前はそうだったでしょ。青春の通過儀礼ってやつですよ」
トールキンの言葉に、ハルトは憮然とした表情になる。今でこそ「鬼のシュタイナー」で通っている彼が、かつては陸軍きっての問題児であったことを、今の若い世代は知らない。
視線をふと、ハルトの背後へと移すと、妙にすっきりとした机周りが目に入った。机上の書類の山を除けば、ほとんど何もない状態だ。
「……片付け、だいぶ進んでるようですね」
ぽつりと呟くと、ハルトもトールキンの視線に気付き、少しだけ執務机を振り返る。
「元々、私物はあまり持ち込んでいないからな。捨てたり人にやったりしてたら、あっという間にあの状態だ。楽なもんさ」
「本当に――退役しちゃうんですね」
「オレ自身、まだ実感が湧いてねぇけどな。どうやらそうらしい」
苦笑を浮かべるその表情からは、彼の真意は読み取ることができない。
中隊長であるハルトが軍を抜けるという話については、トールキンも、最初に聞いた時は一体何の冗談かと思った。
ハルト・シュタイナーという人物は、「鬼のシュタイナー」の異名の通り、他人にもそして自分自身にも厳しいことで知られているが、非常に有能な男である。そして少佐という地位にありながらも自ら望んで前線に立ち続けているのは、彼なりに自分の職務へこだわりを持っている証拠だ。加えて、部下や同僚からの人望も厚い。
だからこそ、かれこれ三年以上の付き合いになるトールキンでさえ、彼の退役は予測できなかった。いや、誰一人として予測できていなかったはずだ。
ハルトが退役することについては、第三番中隊の中でも限られた人間にしか知らされていない。全員に前もって知らせないのはハルト自身の意向ではあるものの、先ほど、「シュタイナー少佐に認めてもらえるかも」と無邪気に息まいていた部下たちを思うと、少し胸が痛む。
自分たちを置いて行ってしまうのか、この人は。
トールキン自身にもそんな思いがあることは否定できない。共に死線を潜り抜け、あの戦争を生き延びた、運命共同体のような仲間が――ましてや自分の尊敬する上官がここを去ってゆくのは、一言で「寂しい」と表現するのとは少し違う。
強いて言うならば、「悔しい」か。追うべき背中が見えなくなってしまうのは、先を行かれたまま去られてしまうのは、寂しいよりも悔しいという気持ちの方が先立つ。
しかし。
自分と同い年のこの上官は、自分が高校生活を満喫していた頃には既に、この世界に足を踏み入れている。自分などとは比べ物にならないくらい、数々の修羅場を潜り抜けてきているのだ。そして、そんな彼の帰郷を長年心待ちにしている人々がいることも、トールキンは知っている。戦争が終わった今、彼をここへ引き留めておく資格は、自分たちにはないはずだ。
「まだしばらくは、ここにいるんですよね?」
「ああ。でも退役辞令はもう手元に来ている。中隊長の任を解かれるのが三日後、その後、引き継ぎや身辺整理に三日与えられて、正式な退役は一週間後だ」
戦争も終わった。このようにして少しずつ、みな去ってゆくのだ。当たり前のこと、なのだけれども。
「お前の方こそ、亜州へは明日からだろ?」
「明朝○四一○出発です」
トールキンの答えに、ハルトはそうかと呟いた。そして沈黙する。トールキンも、何となく口をつぐんで目を伏せた。途端に、部屋の外の音がよみがえる。慌ただしく行き交う軍靴の音と、さわさわとさざめく話し声と、絶え間なく鳴り続ける内線電話の音と。
「今回は――」
ぽつり、呟く声に顔を上げると、ハルトの碧眼と目が合った。こちらを真っ直ぐに見据えてくる。
「今回はオレが直接指揮を取れない。だからオレにとっちゃ、これが最後の命令だ。――生きて戻ってこいよ、トールキン」
戦時中は幾度となく聞いたはずのその言葉が、今になって何故だか、重みを増した気がした。今回は、戦場に行くわけでもないのに。
「まったまた、何を改まってるんですか、少佐」
笑って言いながらも、「最後の命令」という言葉がいやに胸につかえる。そうだ、この任務が終わって基地に戻ってきたら、この人は自分たちの中隊長ではなくなっているのだ。
柄にもない感傷を振り払うように、トールキンはにやりと笑ってみた。
「帰ってきたら少佐の追い出し会をしますからね! 首を長くして、俺たちの帰りを待っていてくださいよ」
トールキンの言葉に、ハルトもくつくつと笑う。
「やめとけよ。映画とかじゃ、そんな台詞を吐く奴はたいてい死体袋に入ってご帰還だ。縁起でもねぇ」
「あはは。違いないです」
今まで、たくさんの戦友との死別を経験してきた。これからは、故郷へ戻る人々と生き別れてゆくのだろう。それを、自分だけ置いていかれたような気になってしまうのはきっと、上官の退役で少し感傷的になっているせいだ。
この任務から帰ってきて諸々の戦後処理が済んだら、自分も今後の身の振り方を考えてみようか。軍籍に身を置くことは性には合っていると思うが、別の生き方を選択肢に入れてみるのもいいかもしれない。課程半ばで放棄してきた学業を修め直すのも、一つの手だ。
「……俺の学籍って、まだ残ってんのかな」
呟いてから、頭を掻く。まぁいい。全ては今回の任務が終わってから考えればいい。ひとまずは明日からの遠征に備えて、携行する日用品の調達に行かねばなるまい。
夕日で朱に染まる廊下を、トールキンは売店の方へと向かったのであった。
空と花と道と オガタチヨ @ms_ogacho
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