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 先ほど開けたばかりの店の扉から、ミトは男を中に招き入れる。男はデュカスを抱えたまま入り口で立ち止まり、林立する香辛料の瓶や天井からぶら下がる麻袋などにぐるりと視線を巡らせる。

 ミトは会計カウンターの所から彼を手招いた。

「こっちです。母屋の方に」

 男は言われるがままにカウンターの裏に回り、長身を屈めて母屋への廊下へと足を踏み入れた。

 廊下の両側には、居間や台所がある。しかしミトはそれらを素通りし、廊下の最奥にある階段を目指す。

 二階まで上がると、兄の部屋へと向かった。床に散らかる書籍類を脇へどけながら、足の踏み場を作る。勝手に触ったと後で怒られるかもしれないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「そこのベッドに寝かせたげてください」

 ここ二ヶ月間、持ち主の帰ってきていないベッドを指差し、男を誘導する。男は抱えていたデュカスをそっとベッドに横たえた。そして自らの腰に下げた剣を、壁に立てかける。恐らくはデュカスのものであろう。ミトにも見覚えがあるこしらえだ。

 ミトは腰を屈め、眠っているデュカスの様子を確かめた。今のところは穏やかに寝息を立てており、苦痛の表情も見られない。ミトはひとまず安堵する。しかし。不意に自分の視界にちらりと映ったものに対し、戦慄を覚えた。

「ちょっ…、これ、血ぃと違うん!?」

 デュカスの体を指差して、思わず悲鳴を上げる。

 彼の着ている白いシャツには、明らかに血痕と分かる染みが付着していたのだ。それは脇腹の辺りから背中へと続いている。恐る恐る、ミトはデュカスの体を支えて横臥させた。そして目の中に飛び込んできた色彩に、息を呑む。

 既に乾燥してはいるものの、赤黒い血の塊が背中全体に広がっていたのだ。

 男はミトの視線の先を辿り、心得たように「あぁ」と呟いた。

「ベッドが汚れてしまうな」

「違う、そういうこと言ってるんやなくて!」

 ミトは半ば呆れ顔で男を見た。

「デュカくん、背中怪我してるんですか?」

「いや、一応確かめてみたが、そうじゃないらしい。恐らくは他の人間の血だろう」

 事もなげに、男は言い放つ。そしてデュカスの靴を脱がす作業に取り掛かった。ミトは無意識のうちに自分の服の胸元を握り締めた。

「他の人間の血って……どういう事ですか? 一体、何があったんですか?」

 押し殺した声で、問いかける。男はちらりとミトの顔を見、そして、

「テトの村が襲撃された」

 再び目を伏せ、抑揚のない声で呟いた。手は依然として、デュカスの靴を触っている。

 あまりに自然な口調だった。

 ミトは男の言葉の意味を図りかねる。眉をひそめたミトには構わず、男はさらに続ける。

「オレはその場に居合わせたわけじゃないが、こいつを残して村人は皆―殺された。家も畑も、燃やされた」

 淡々と、男は語る。脱がし終えた靴を床に向かって無造作に放る。次に片膝を立ててしゃがみこみ、自分の担いでいた背嚢はいのうをまさぐり始めた。

 ややあって、ミトはかすれた声を絞り出す。その口元が不自然に引きつった。

「え、嘘やろ……? だって、そんなん…みんな殺されたって……意味分からへん。ねぇ、嘘でしょ?」

「嘘じゃない」

「え、じゃあ、あの子は? ほら、デュカくんと仲良かった男の子。それとか、ほら……あの人らは大丈夫なんでしょ? もうすぐ結婚する、言うてた二人組。だってあの人ら、めっちゃ幸せそうやったんよ? 殺されたなんて、そんなん…嘘やんね? みんな無事なんでしょ?」

 よそ者であるこの男が、彼らのことを知るはずもない。しかしミトは、男が自分の言葉を肯定してくれることを期待した。しかし男は依然として黙したまま、背嚢を探る。

 ミトの表情に悲愴なものが浮かぶ。

「じゃ、じゃあ、この子の……デュカくんのお姉さんは? ……カヤさんは?」

 ミトの問いにも、男は振り向かない。こちらに背を向けたまま、背嚢から薬品や包帯を取り出す。

「言っただろ。皆――殺されたんだ」

 そう言い捨てた男の声からは、感情が読み取れない。ミトの方を見ようとしないので、その表情も分からない。

 ようやくのことでミトは理解した。デュカスの身に、一体何が起こったのかを。胃の奥が重いもので満たされる。吐き気がこみ上げた。かたかたと、手が震えだす。

「なんでよぉ。なんでそんなことになるんよ…。そんなひどいこと、一体誰が……」

 涙声で言葉を漏らしたミトを、男が一瞥する。そして苛立たしげに大きな溜息をついた。

「オレは襲撃の現場にいたわけじゃない。何が起こったかを正確に知っているのは、こいつだけなんだ。だからと言って叩き起こして尋問するわけにもいかない。ともかく今は、こいつの傷を手当てすることが先決だ」

「それは、そうやけど……」

 男の言っていることはもっともだ。しかし、ミトは感情がついていかない。

 デュカスとその姉のカヤは、両親を亡くしてから、たった二人で支えあって生きてきたのだ。カヤはデュカスに対して母親のごとき慈愛を注ぎ続けていたし、デュカスもまた、そんなカヤをいつもいたわり、よく働いて姉を助けていた。何年も前から彼らを知るミトは、そのことをよく理解している。唯一の肉親である姉を失ったデュカスの悲しみは、想像に難くない。

 それなのに、目の前のこの得体の知れない男は、憐憫の情など持ち合わせていないかのようだ。淡々とデュカスの手当てに取り掛かる。

 そもそもこの男、一体何者なのだ。どう見ても地元の人間ではないのに、何故テト村を知っているのだろう。何故ミトの話すセゲドなまりが分かるのだろう。――何故、彼がデュカスを抱えて降りてきたのだろう。ミトの中で、混乱は募るばかりだ。

 警戒の目で見つめていると、再び男が振り返った。

「タオルはあるか?」

 男の声に、ミトは我に返る。

「え、あ、うん。ちょっと待っとってください」

 慌てて階下の台所に走り、棚からタオルを取り出した。すぐさま部屋に戻り、男に手渡す。男は無言でそれを受け取ると、まずはデュカスの左腕を捲り上げた。

 ミトは思わず小さく悲鳴を上げた。

 デュカスの二の腕は、火傷で赤く腫れ上がっていたのだ。

「このバカ、ずっと放ったらかしにしてたな」

 男が一人呟く。確かに、火傷の度合いはひどくないようだが、ちゃんとした手当てが施されていないため、周りの皮膚までもが腫れてしまっている。

 タオルを腕の下に敷いてやると、男は早速消毒を開始した。

 慣れた手つきで薬品を扱いながら、目はデュカスの火傷から離さずに、話を切り出す。その横顔に表情は見られない。

「襲撃について、あんたは初めて聞いたんだな? この町で話題になったりもしていないのか?」

「……はい。きっと、このウラカの人らもみんな、知らんと思います。そんな大きい事件、もし誰か知っとったら、絶対大騒ぎになってるはずですし」

「村は焼け落ちていた。誰かが火を放ったことは明らかだ。山火事に至るほどではなかったようだが、それについても、誰も知らないということか?」

 ひどく事務的な口調。まるで尋問されているような心地だ。少しだけ不快感を抱きながらも、ミトはちゃんと答えてやった。

「え、あ、はい。ウラカとテトは結構離れてますから。途中、二つほど山があるでしょう? せやから火ぃとか煙とか出ても、よっぽど大きい火事やない限り、ここからは見えへんと思います」

「じゃあ、テトの村がいつ襲撃されたかは、不明か……」

 依然として感情の宿らない声で呟き、男はデュカスの腕に包帯を巻き始める。デュカスが微かに呻き声を上げたが、そんなことはお構いなしだ。乱暴に、しかし手際よく、巻きつけてゆく。

「この町に警察機関のようなものはあるか? こういった、地元の問題を管轄する組織なら何でもいいんだが」

「自警団やったら、ありますけど」

 ウラカも含め周辺の村々を統括するために、町の男衆が集まって組織している集団である。有事の際は勿論のこと、祝祭が行われるときや土木工事を進めるときにも、皆を代表して立ち回ってくれる人々である。あくまで町の人間が自主的に集まっているだけなので、第十三地区の政府や欧州陸軍とは何の関係もない。単なる地元の民間組織だ。

 ミトがそう説明すると、男は頷いた。そして包帯を最後まで巻きつけ、きちんと縛り上げる。一通りの応急処置は済んだようだ。男は使い終わった薬品を再び背嚢の中へと戻す。

「あとの傷は、こいつが目を覚ましてから手当てすればいいだろう。……で、その本部はどこにある?」

「え?」

「自警団の本部だ。代表者に会って話がしたい」

 何の話を、というのは愚問だろう。彼は自警団にテト村のことを報告し、処置を頼むつもりなのだ。確かにそれが一番適切な判断だ。自分達だけではどうすることもできないのだから。

 ミトは、自警団をまとめている男の家の場所を教えてやる。男はミトの言葉を反芻し、場所を頭の中に記憶した。そして立ち上がる。

「こいつ――デュカスのことを、しばらく看てやってくれるか。オレも、用が済めばすぐ戻ってくる」

「はい、デュカくんのことはウチに任せとってください」

 頷いてから、ミトはふと心に引っかかるものを感じた。軽く首を傾げ、頭の中で今の会話を反芻する。そして気付いた。

 この男は、「デュカス」という名前を知っている。それは、つまり――。

 困惑して、ベッドに横たわるデュカスと、その傍らで包帯の様子を確かめている男を交互に見やる。

 彼は、最初からデュカスのことを知っているのか。

「ありがとうな」

 男はこちらに向き直ると、少しだけ目元を和らげてミトに礼を言う。

 ミトはこの時改めて、男の顔を見た。

 整った顔立ちをしている。素直にそう思った。と同時に、脳裏をかすめるものがある。

 自分も、この男を知っている。いや、直接面識があったわけではない。思い出すのは、セピア色の写真。――いつも、カヤが大切に持っていた。

 ミトの双眸が大きく見開かれる。

「あ、あのっ……」

 扉に向かって出て行きかける男を、ミトは呼び止める。男が振り返った。

 あなたは、もしかして。

 喉元まで出かかった言葉。しかしミトはそれをぐっと飲み込む。

「あ、その。ウチの名前、ミトっていいます。自警団の人に伝えてください。協力してくれはるはずですから」

 その言葉に、ハルトはもう一度目元を和らげる。頷くと、無言のままに部屋を出て行った。

 しばらくして店の方から、風鈴が揺れる音、それに続いて扉の閉まる音が聞こえた。

 ミトはデュカスの傍らで一人、自らの胸元を握り締めた。


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