(7)ー4




 店の扉が閉められ、住民と自分たちの間には物理的な隔たりが生じる。それだけでも、デュカスは心持ち安堵した。

 ミトを傍らに伴い、彼女を気遣いながら母屋へと向かう。

 居間のソファにそっと座らせ、顔を覗き込んだ。

「ミト姉、大丈夫か?」

 ミトは力なく微笑み、頷いた。

「さすがにキッツイわぁ。他人から石投げられたん、生まれて初めてや」

 血の気の失せた顔で、それでも気丈に振舞おうとする姿が痛ましかった。額に血が滲んでいる。デュカスは急いで台所に走ると、タオルを濡らし、ミトの元へ戻った。

 かすり傷程度のものであったが、デュカスがタオルを額に当てるとミトは僅かに身じろぎした。痛むのは、傷口だけではないはずだ。

「もう大丈夫やで、デュカくん。自分でできるから。ありがとうな」

 デュカスの手からタオルを受け取ると、ミトはやはり弱々しく笑った。

 二人の様子を見守っていたハルトは、ミトとは離れた席に座り、足を組んだ。

「教えてくれ、コネリー中尉。何故セゲド村が、テト村を襲撃したのかを。これについては当事者のデュカスも知りたがっているはずだ」

 上官からの要請だったが、コネリーは口を閉ざし、デュカスではなくミトを見やる。彼女の今の精神状態をおもんばかったのだ。コネリーの視線に気付いたのか、ミトが顔を上げた。鳶色の瞳で、目の前の軍人を見据える。

「ウチも――詳しい話が聞きたいです」

 その真剣な眼差しに、コネリーは頷いた。大丈夫だ、彼女は自分の同郷人が犯した出来事に、ちゃんと立ち向かうことのできる人間だ。心の中で一人、安堵の息をつく。そして自らも席につくと、室内にいる面々の顔を見渡した。

「ハラルド少尉から、テト村襲撃との連絡を受けた時、真っ先に思い浮かんだのはセゲドとミデアの間で行われている抗争でした」

「ミデア? テト村ではなく?」

 ハルトが怪訝そうな顔をする。コネリーは頷いた。

 ミデアというのは、ここ第十三地区の隣国、第十六地区北部に位置する村の名前だ。デュカスの住んでいたテト村からは、山を一つ越えたところにある。デュカス自身は足を運んだことはないが、村の大人たちの話題にはよく上っていたので、その名前だけは聞き知っている。

「皆さんご存知のように、第十三地区南部にはセゲドやウラカを含め、大小合わせ全部で二十三の集落及び町があります。しかしいにしえの頃の民族分断が原因で、今もなお、それらの集落は大きく二分されている状態が続いています。同じことが隣国第十六地区の北部でも起こっており、ミデア村はその中でもテト村と同じ民族の集落になるのです。つまり――」

 コネリーはデュカスを見やった。

「テト村と同じ民族の人々が、国境を越えた第十六地区でも生活をしていて、同様に、セゲド村と同じ民族の人々も第十六地区に暮らしている、ということです」

 なるほど、とデュカスは黙ったまま頷く。それを確認したコネリーは先を続ける。

「ここでは、そうですね、分かりやすいように、ミデア派、セゲド派と呼ぶことにしましょうか。セゲド派の人々が使用する言葉は他の欧州言語とは強勢の位置が異なるため、耳慣れない者が聞くと理解できないことが多い、というのが特徴です。

 セゲド派各村の主な収入は、香辛料売買によって賄われています。彼らは昔から商才と話術に長けていますから。こちらのお店のように、近隣の町に店舗を開き、それで生計を立てている方が非常に多くいらっしゃいます。ここウラカなどは、セゲド派に限らず各集落の店舗が軒を連ねる町の、典型例ですね。色々な集落から人間が集まってくる為、セゲド、ミデア両派が共存する形となっております」

 そこでコネリーは、一旦言葉を切る。彼にしては珍しく苦々しい表情を浮かべた。

「だからこそ、先ほどのような対立が起こるわけですが」

「民族分断は、遥か昔に起因すると言ったな。抗争が続いていたということは、ここ数年も両派は仲が悪かったのか? 一朝一夕で、ただ民族が違うだけの村同士が、襲撃に発展するほどの仲違いをするとは考えにくい。何かしらの蓄積があって、今回の事態を招いたのだろう」

 ハルトの指摘に、コネリーは曖昧な頷き方をした。

「そう……ですね、セゲド派の人々は、自分たちの民族こそが優れていると考えている方が多いため、ミデア派の村落の人間を蔑視する傾向にあります。そのことが原因で小さな諍いが起こることはしばしばありましたが、それを民族間の対立と呼ぶかどうかと言うと、問題はまた別です。セゲド派の中にも、他民族を蔑する考え方は間違っていると主張する人もいますし。逆に言えば、ミデア派の中にもセゲド派に対する警戒を異常なくらい強めている人もいたりするので、どちらかが一方的に相手を拒絶するというわけではないのです。お互いの歩み寄りが上手くいっていないと言うか」

「諍いの内容は?」

「日常生活に即したことで揉めていたようですね。例えば、物の売り買いに際し相手によって値段を釣り上げたり、もしくは販売を拒否したり。耕地面積を拡大するために、他村の土地を勝手に耕したり。あと、この周辺の集落はお互いの子ども達を労働源として他村に行き来させるのですが、その子ども達が、出自が理由で仕事中に嫌がらせを受けたりなど。それに加えて、子どもに過剰労働を強いる村もあったようです」

 デュカスは心の中で密かに頷く。どれも、被害者として身に覚えのあることばかりだ。

「勿論、どちらかが一方的に加害者だというわけではありません。セゲド派の人間が横暴を振るう時もあれば、反対に彼らが被害を受ける時もありました。いずれにしても、どこの地域でもよくあるような小競り合いばかりだったので、それが今回の襲撃に直接結びついたとは言い難いですね。しかし、彼らの抗争はそれだけではありません」

 含みのある声が三人の耳に響く。テト村襲撃の理由は他にあるのだ。

「先ほど申し上げましたとおり、セゲド派の人々は香辛料の売買によって生計を立てています。それは周知のことであり、この辺りの香辛料交易は全てセゲド派が取り仕切るというのが、古くより暗黙の了解となっています。ところがそこに、横槍を入れる存在が現れた。それが――ミデア村です」

「なるほど。利権争いというわけだな」

 ハルトの言葉にコネリーは頷く。

「長年の間、セゲド派の集落こそが、欧州東部における香辛料の利権を独占していました。ところがここ数年でミデア村も香辛料産業に着手するようになり、その勢力を拡大してセゲド派の市場にも進出を始めたのです。当然のことながらセゲド派の人間はそれを面白くは思いません。彼らセゲド派は香辛料交易に関する規約を提示し、自分たちの持つ市場独占権を主張しました。しかしその規約は今から五十年以上前に定められたもの。ミデア村の人間は、規約が既に無効となっていること、及び自分たちが香辛料市場に介入することの正当性を主張しました」

「え、規約って、もう切れてるんですか?」

 尋ねたのはミトだ。彼女も香辛料店を開いている以上は、この問題に無関係とは言えない。

 だからだろうか、コネリーは少し躊躇う様子を見せた。言葉を濁す。

「それが……」

「規約の有効期限が、条文に明記されていないんだろ? だから両者は、その規約を自分たちの都合のいいように解釈した。おおかたセゲド派の連中は、規約は無期限で有効だとでも言ってるんだろ」

 ハルトがコネリーに代わって答える。コネリーは苦笑した。

「さすがはシュタイナー少佐。少佐の仰るとおりです」

 そして彼はミトの方に向き直った。

「規約が今でも有効か否かは、誰にも判断できません。しかし、少なくともセゲド派の人々にとっては有効なのです。そういうことにしておかないと、他の民族の人間に、利益を奪われてしまう恐れがありますしね」

 確かに、とミトは独りごちた。

「規約の有効期限を証明するものは何もない、そんな状態ですから、お互いが自分たちの権益ばかりを主張していて、この件に関する話し合いは平行線を辿る一方です」

「まあ、そうなるだろうな」

 ハルトも、そしてミトも心得たように頷いた。

 デュカスには、何故彼らがそうも簡単に話を飲み込めるのかが理解できない。会話の流れはもはや、自分にはついていけない領域に入ってしまっている。だがデュカスは何も言わずに彼らの話を聞いていた。おとなしく耳を傾けていれば、ひょっとすると理解できる部分があるかもしれない。

 三人はデュカスの混乱には気付かずに話を進める。

「セゲド派の人々は、急速に進出してきたミデア村に対し、警戒の念を強め始めました。無理もありません。自分たちの商業活動の縄張りが、新参者によって脅かされつつあるのですから。そしてそんな折に起きたのが、ミデア村における事件です」

 デュカスは眉をひそめた。ミデアの村でも、何かあったのか。

「犠牲者の数は三人。いずれもセゲド村の者ばかりです」

 コネリーは重々しく呟く。ミトが瞠目した。

「ひょっとして、それ――」

「やはりご存知ですか」

「知ってる……けど。あれは事故やって聞きましたよ」

「ええ、表向きはね」

「表向き……」

 コネリーの言葉を、ミトは反芻する。二人の会話を聞いていたハルトが口を挟んだ。

「一体、何が起こったんだ?」

 問われ、コネリーはテーブルの上に放置してあった書類を手に取る。読み上げるのかと思われたが、彼は視線を落とさない。内容は完全に記憶してあるのだろう。ゆっくりと口を開いた。

「今から約一か月前のことです。ミデアの村において、セゲド村出身者が経営する香辛料店が、急襲されました。襲撃を行ったのはミデア村の住人。この襲撃の結果、三人の犠牲者が出ました。いずれも店の人間――すなわちセゲド村の者ばかりです」

 デュカスは息を呑み、ミトは顔を歪めて自らの膝に視線を落とした。対して、ハルトは表情を崩さない。彼は軽く頷くと、コネリーに先を促した。それを受け、コネリーは再び一同を見渡す。

「セゲド派が各集落に香辛料の店舗を構えているのは、先に述べた通りです。そして問題のミデア村にも、そのうちの一つがありました。襲撃を傍観していた住人の話によると、まずは店に向かって石が投げ込まれたそうです」

 ミトの肩が、びくりと震える。先ほどの恐怖はまだ生々しい。

「以前より彼ら住人は、自分たちの村にセゲド村の店舗があることを快く思っていなかったようですね。セゲドの商才に敵うことはできないと思っていたのでしょうか。実際その店にはミデア村周辺の集落から固定客も付き、かなり繁盛していたと聞きます。石を投げ込んだ人々は、しばらくの間は家人をなじるような言葉を店に向かってぶつけ、出て行け、と叫んでいたそうです。ところが、店の方からも反撃があった。従業員が石を投げ返してきたのですね。それを機に、本格的な襲撃が開始します」

 ミトは俯いたまま、顔を上げない。

「店の中に次々と住人がなだれ込み、商品として陳列してある香辛料の瓶を、手当たり次第地面に叩き落しました。店の従業員二人――彼らもセゲド村出身者でした――が止めに入ったのですが、ミデアの人々は彼らの襟首を掴むと店の外に引きずり出したのです。騒ぎを聞いて駆けつけた店の主人も、従業員同様住人に取り囲まれ、村からの撤退を迫られました。しかし主人は首を縦には振らず、反対にミデア村の住人を煽るような暴言を吐いたそうです。何と言ったのかまでは分からないのですが、その言葉が人々の逆鱗に触れたのでしょう。人々は主人及び従業員に更に詰め寄り――そして、制裁が始まった」

「集団私刑だな」

 ハルトが呟く。

「ええ。その場にいたほぼ全員が、彼らに対して暴行を加えたようです。多勢に無勢と言いましょうか、セゲド村の三人にはなす術もなく、抗うことができませんでした」

「で、気が付いた時には、人間の輪の中に三人分の遺体が転がってたってことか。胸が悪くなる話だな」

 ハルトは顔を歪めて吐き捨てた。コネリーの顔からも神妙な表情は消えない。

「じゃ、じゃあ……」

 震える声で呟いたのは、ミトだ。蒼白のまま、コネリーを見つめる。その顔には悲愴感が漂っていた。

「じゃあ、あの店のおっちゃん等はみんな、ミデアの人に殺されたってことですか? 事故やなくて?」

 彼女は、被害者と知り合いなのか。コネリーは一瞬だけ言葉に詰まる。しかしじっとミトの目を見据えると、そうです、と小さく呟いた。そして目を伏せる。

「この暴行事件に関しては、彼らは村の土木作業中に転落死したのだという苦しい報告がなされました。しかし人の口に戸は立てられません。事の真相はすぐに広がりました。当然のことながら、セゲド派の人間は同族を殺されたことに激怒し、両派の溝は更に深まりました。ミデア派の人間は報復を恐れ、今度は彼らが警戒を強めることとなったのです」

「だからウラカの人間は皆、テト村の襲撃事件を、セゲドによる報復行為だと推測することができたのか」

 ハルトが一人納得する。

 しかしデュカスには、何故彼がそのような結論に至ったのかが分からなかった。おずおすと、口を挟む。

「なんで分かったんだ? えぇと、その、ウラカの人たちが…セゲドの……えぇと」

 その言葉に、ハルトは一瞬だけ虚を衝かれた表情になり、次に渋面を作った。

「お前なぁ……、もう少しまともな言葉は使えないのかよ。質問の意味が分からない」

 言われ、デュカスは口を尖らせた。せっかく発言したのに、何だと言うのだ。こいつの高圧的な態度にはやはり腹が立つ。

 デュカスの心境を察したのだろうか。コネリーがやんわりと微笑み、ハルトに代わって説明を行う。

「テト村には、ミデア村と同じ民族の人々が暮らしていますよね。つまりセゲド村の人にしてみれば、自分たちの同胞を殺害した人間と同じ民族が、テト村にいるのだということになるのです。事件とは無関係のテト村が報復行為の捌け口に利用されたとなると、ミデア派の人間は精神的な意味でも衝撃を受けますよね。次は自分たちの村が本格的な報復を受けるかもしれない、そう考えるのが普通ですから。そのようにして彼らを萎縮させることが、セゲド派の狙いなのでしょう」

「いわば見せしめだな」

 ハルトが付け足す。デュカスは頷いた。しかし。彼らがテト村を襲撃したことについて納得したわけではない。心の中では様々な思いが渦巻いていたが、口にはしなかった。

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