(7)ー2

 懸念していたとおり、道路の状態は悪かった。

 青年がかなりの速度で運転していることもあり、三人を乗せたジープは、常にがたごとと飛び跳ねながら走行する。助手席に座っている李などは、いつ車外に放り出されるや知れないと、しっかり扉につかまって身体を硬くしていた。

 道路の両脇には、荒れた土地が広がっている。時折、申し訳程度に民家が数件、立ち並ぶくらいだ。土壌が貧しいのか、小麦や果樹など、作物の類は一切見られない。家畜を放牧している様子でもない。この国の人々は、いったい何を食べて生きているのだろう。李はぼんやりとそんなことを思った。

 車中では誰も口を開かなかった。

 例の寡黙な青年はもとより、後部座席に座っている少女も、余計な会話は慎めとでも言われているのか、やけにおとなしい。風を切る乾いた音と車のエンジン音だけが、李の耳を打つ。

 傾きかけの太陽が右手に見えることからも、この車が南の方角へ向けて走っていることだけは分かるが、行き先についてや李の今後の処置についてなどは、一切の説明がされていない。

 景色はいつの間にか、雑木林のような場所に変わっていた。相変わらず凹凸おうとつの多い車道の両脇を、葉の枯れて細々とした白樺の樹が等間隔で並んでいる。植わっている密度が低いので、その向こう側に広がる荒地の様子が、木々の合間からよく見えた。

「君、は……」

 気が付くと、無意識のうちに李は言葉を漏らしていた。青年が、ちらりとこちらを一瞥して、そしてまたすぐに進行方向を見る。李は、構わずに続けた。身体ごと、青年の方へ向けて座り直し、わずかに身を乗り出した。一度口を開くと、止まらなかった。

「君は、チョウ博士を知っているのか? 彼はどこにいて、何をしているんだ? 君たちゲリラと協力して放射能兵器の研究をしていると聞いたが、それは本当なのか? もしそうだとしたら、一体いつから? 欧州陸軍からの依頼なんだろう? 一体どこを狙って投下するつもりなんだ? あの兵器の恐ろしさを、君たちは本当に分かっているのか?」

 矢継ぎ早に、質問を浴びせかけた。一気に言葉を継いで、そして肩で大きく息をする。そんな李を、青年はやはり、一瞥しただけであった。

「言ったはずだ、訊かれたことだけに答えろと。お前から質問することは――」

「答えてくれ!」

 その顔は、自分でも驚くほど滑稽に歪んでいたことだろう。

 しかし運転席の青年は、ただじっと、進行方向を見つめている。表情も顔色も一切変わらない。変わらぬままに、それでも彼は口を開いてくれた。

「俺は、お前を駅に迎えに行けと命令されただけだ。チョウという人間のことは知らない」

 淡々とした声。李は眉をひそめる。

「命令って、誰が――」

 その時、だった。

 突如、左手前方の空が白く光った。眼前を染め上げる、真っ白な世界。眩(まばゆ)いまでの閃光に、李は思わず目をすがめる。

 するとその視界が、ぐらり、と大きく揺れた。大地が震撼したのだ。続いて、凄まじい轟音と共に、激しい風が左から横殴りに吹き付けた。砂嵐のような風だった。思わず自らの頭を抱え込んだ李の腕に、砂つぶてが激しく打ち付ける。後部座席からは、少女の短い悲鳴が聞こえた。三人の乗ったジープが道の上で大きく横滑りをする。運転席の青年が、車が転倒しないように慌ててハンドルを操舵した。

 しかし、なす術もない。ジープはそのまま横滑りを続け、ややあってから、車体の右側面を、重い衝撃音と共に並木にぶつけ、そしてようやく止まった。その時には、砂嵐もやんでいた。

「なに? なに? 今の、なに?」

 後部座席から聞こえる少女の不安そうな声は、その場にいた全員の心境を代弁していた。いったい、今この瞬間、何が起こったのだ。

 三人は揃って、風が吹いてきた東の方角を見やる。そして、絶句した。

 東の空は、真っ赤に燃えていた。

 連なる山だけを影絵のように黒く残し、目に痛いくらいの赤が、空を染め上げていた。この色を、李は知っている。

『いいかい、尊燕』

 壊れた笑顔。窓辺に佇む彼の、その向こう側。

『人は、痛みを知らずして――……』

 彼の向こう側に見えたのは、例の島国。島国の空を覆いつくしていたのは、真っ赤な、それは真っ赤な、業火の色。そして今、自分たちの目の前に広がっている色は、まさにあの日のものと同じで――。

「一体、何が……」

 震える声で、李は東の空を見つめた。

「工場だ……」

 傍らの青年が、うめくように呟く。そして、眉間に皺を刻んだ。

 この青年でも、表情を変えることがあるのか。このような状況なのに、李はそんなことを思った。そして、青年の言ったことを、頭の中で反芻はんすうする。思わず目を見開いた。

「工場? 何の工場だ? まさか……」

 李の言葉に、青年は空を睨んだまま頷いた。

「例の、放射能兵器の工場だ。あの方角には、他に建物はない」

 苦々しく呟くと、彼は突如ギアを乱暴に動かし、勢いよくアクセルを踏み込んだ。エンジンが、攻撃的なまでに低く唸る。車が急発進したことで、李と少女が短く悲鳴を上げた。

 助手席の中で体勢を立て直すと、李は、慌てて青年へ向き直った。

「な、何をするつもりだ!? 現場へ行くのはやめろ! 危険すぎる! この場からだって、一刻も早く遠ざかった方が……」

「お前は黙ってろ」

 有無を言わせぬその口調に、李は気圧される。青年の、その横顔を呆然と見つめた。

 青年は、依然として眉間に皺を刻んだままだった。険しい顔で、進行方向を睨んでいる。彼の視線の先には、大きな、とても大きな白いキノコ雲が空に立ち昇っていた。




(第三章 了)

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