(4)-2


 ウラカとテトを結ぶのは、一本の林道である。

 山の中を曲がりくねって頂上を目指し、そしてまた下降する。そうやって小さな山を二つほど越えると、テト村が見えてくるのだ。

 林道の両側にはもみの木が迫り、道に影を落としていた。昼間といえども、樅の木のトンネルをくぐっていると暗くて視界が悪くなるほどだ。

 谷側を見やれば、木々の合間に麓が一望できた。ウラカの町並み、そしてその向こうに広がる大草原。それらはまるで、一つの風景画のようだ。時を止め、額縁の中に収まるのがふさわしい景観である。

 時折、ウサギやリスなどの小動物が木の根元から顔を覗かせ、小さな瞳で道行く男たちを眺めていた。

 背の高い樅の木に頭上を覆われ、自警団の一行は鬱々と林道を歩く。各々の手にはスコップやくわが握られていた。ハルトが、テト村の住人を埋葬して欲しい、と要請したからである。

 一同の間には重苦しい空気が漂っている。それはそうであろう。自分たちの近隣の村が一つ、何者かによって壊滅させられたのだから。

 沈黙の中に身を置きながら、ハルトは襲撃について考え込む。

 いくら小規模とは言え、テト村にだって十数戸の家があった。そこに住まう人間全てを殺害したとなると、当然のことながら複数、しかも大人数による凶行と見て間違いないだろう。組織立った連中の仕業なのか。しかもあれだけ徹底した虐殺である。生半可な武器では実行不可能だ。となるとやはり、襲撃した連中は銃火器を使用したことになるのか。

 ハルトは眉間に皺を寄せる。

 銃は軍属の人間以外が手にできる代物ではない。仮に虐殺に銃が使われたとして、何故民間人の間に流布しているのだ。

 そっと、自警団の人々に目を配る。

 この周辺地域に、そういった銃器を扱う武装集団がいるのだとすれば、ウラカなどの地元の人間も、その存在を知っている可能性がある。もしかすると、襲撃に発展した経緯なども知っているのかもしれない。

 しかし今はそんなことを聞けるような雰囲気ではなかった。みな黙々と、林道を急ぐ。ハルトもその流れに乗って歩いた。

 重い沈黙に耐えられないのだろう。男たちのうちの何人かが、道中、物珍しげにハルトに声を掛けてきた。その度にテト村との関係や出身地について尋ねられたが、ハルトは適当に愛想を振りまき、それらの質問をやんわりとかわした。好奇の目に晒されるのは好きではないし、彼らの口調に、よそ者に対する警戒心があらわだったせいもある。

 必要以上に詮索されているような不快感を覚えたので、ハルトはさり気なく列の後方へと移動し、最後尾に落ち着いた。

 そこからは前を歩く自警団の連中の様子が一望できた。

 ハルトはふと眉をひそめる。ウラカを出発してから数十分、彼らの挙動に少しだけ変化が見られた気がする。

 林道を一歩進むごとに、テト村に一歩近付くごとに、彼らを包む緊張感が異様に高まってゆくのだ。皆、時折お互いの顔を見やっては、気まずそうに目を逸らす。それによく見ると、それぞれまばらに歩いていたはずの彼らは、いつの間にか幾つかの小集団を形成しながら山を登っていた。

 集団ごとに顔を寄せ合い、小声で相談していたかと思うと、他集団の連中をちらりと見やり、不意に言葉を途切れさせる。そんな光景がそこここで見受けられた。一体何を話しているのだろうか。陽気な世間話などではないことだけは、確かである。そしてその輪の中には、工房の主人の姿も見られた。

 ハルトの目の前には、若い二人組が歩いていた。出発の時から居心地が悪そうにしている青年達だ。彼らはどの集団にも属さずに押し黙って歩いていた。

 不意に一人が、口を開いた。先を行く先輩達に声が届かぬよう、囁くように話す。言葉遣いから察するに、セゲド村出身者のようである。

「なぁ。テト村を襲撃したんって、やっぱり……」

 言い終わる前に、もう一人がぴしゃりと否定する。

「やめや、そんなワケあらへんやろ」

「そんなん言うたかて、他に考えられへんやん。ついにあいつら、やりよったんやで」

「やめって。もしもあいつらの仕業やったとしてもやな、先に手ぇ出したんは、セゲドと違う」

「せやんな。俺らかて、仲間殺されたんや。これは報復や。テト村襲撃は見せしめなんや」

 意気込む若者を、その相方はやはり牽制する。

「やめ、言うてるやろ。あいつらがやったって、まだ決まったワケ違う。根拠のないこと口にすんなや」

 厳しい口調で咎められたが、若者は喋るのをやめない。更に熱がこもる。

「だって俺、聞いてんって。この間会うた時、言うとったもん。あいつら、銃を仕入れたって……」

「お前、声大きいわ。おっさんらに聞こえたら、どないすんねん。自警団のほとんどはテト村の味方やねんぞ」

 そして二人は、初めてハルトの存在を思い出したかのように、肩をびくりと震わせる。恐る恐る、後ろを振り返った。しかしハルトは俯き加減に歩きながら、それに気付かないふりをした。まるで、青年たちの会話など耳に入っていないかのように。

 首の向きを前方に戻すと、青年達は足を速めた。ハルトから少しでも遠ざかろうとしたのだろう。

 ハルトは二人組を一瞥し、また目を伏せた。

 今の、会話。仲間が殺された、銃を仕入れた――若者達は確かにそう言った。訛りが強いので細かいところまでは理解できなかったが、どうやらテト村襲撃の背景にあるのは、かなり複雑な事情のようだ。ハルトは確信する。やはりこの問題は、軍に委ねるべきだ。

 あの青年達の同郷人が、テト村を襲撃したのか。彼らはそれを、事前に知っていたのか。

 そっと息を吸い込み、そして吐き出す。

 私情に走ってはいけない。心を動かしては、いけない。

 やがて林道の先に、石垣の門が姿を表した。それと同時に、鼻を覆いたくなる悪臭が漂ってきた。原因など考えるまでもない。ハルトを除く全員が、苦虫を噛み潰したような顔で、手に持った道具をそれぞれ握り直した。

 重い足取りで一同は石垣をくぐる。その奥に広がる光景に、息を呑んだ。

 本来ならむねを並べているはずの、赤屋根の家々。実り豊かな緑の畑。立派に咲き乱れる色とりどりの花たち。そんなものはみな、消え去っていた。代わりに人々の目に映るのは、延々と続く瓦礫の山ばかり。村の背後にそびえる山がその全貌を晒し、鮮やかな緑を痛いほどに強調していた。

 これがあのテト村なのか。あの、緑と花に囲まれていたテト村なのか。

 感情の宿らないハルトの眼差しに、焼け野原と化した土地が映し出される。こんな村は、知らない。ハルトの記憶の中にあるテト村ではない。まるで別の集落に足を踏み入れたかのようだ。

 誰もが、言葉を失って入り口に立ち尽くしていた。村中を埋め尽くす家屋の残骸を、ただ呆然と眺める。

 ややあって、一人が右手にある畑の中を指差した。指先が震えている。彼が示したのは、既に腐敗が進んだ一つの肉の塊。元は人間であったものだ。僅かだが、肉の下に白いものが覗いている。周囲には漆黒のカラスたちが群がり、食事をしていた。それを見た何人かが喉を鳴らし、口元を押さえる。耐え切れずに、若者が一人、石垣の陰で嘔吐した。他の男たちも皆青い顔で、すぐに畑から目を逸らす。

 腐臭を漂わせているのは、その肉塊だけではない。村のいたる所に、同じようなものがごろごろしているのだ。

 口にはしなくとも、全員がそれを理解していた。

 誰ともなく、緩慢に動き始める。畑を通り過ぎ、集落内へと足を進めた。

 汗拭き用に持ってきたタオルで鼻と口を覆い、手にはスコップや鍬を持ち、遺体の埋葬に向かう。この悪臭の中では、思考もまともに働かない。男たちはただ黙々と、瓦礫を取り除ける作業へと入った。

 ハルトも彼らと一緒に、焼け落ちた家屋に手をかける。まずは細かい木片や石を脇に寄せて、作業がしやすいようにする。ある程度の足場を作り、家の支柱と思われる木片を皆で持ち上げた瞬間、腐臭の濃度は濃くなる。その下から、数人分の大小様々な焼死体が姿を見せた。親子、だろうか。

 ハルトは眉間に皺を寄せ、奥歯に力を入れる。苦い唾を飲み込んだ。何の感傷も湧いてこないよう、自制した。遺体が出てくる度に嘆いていたのでは、心がもたない。

 他の連中も同じような心境なのだろう。悲嘆の声を上げる者はいない。機械的に遺体を外に運び出し、一所ひとところに集めた。遺体の回収作業が終わると、今度はそれを山の方へと運んでゆく。先行の穴掘り班が作った無数の穴に、遺体を一つずつ投げ入れる。腐乱死体を見ただけで、どこの誰だと分かるはずもない。名もなき遺体たちは、狭い穴の中で体を不自然に折り曲げ、上から容赦なく土を被せられた。同じ家屋から出てきた遺体は、全て同じ穴に埋められる。せめてもの心遣いだ。

 しかしそれは、埋葬などではない。荘厳さのかけらもなく、死者への敬意もない。悪臭の元を断ち切るための除去作業とでも言うべき無感動さが、人々の全身を包んでいた。みな表情をなくしたまま、淡々と遺体を運び、投げ入れ、土を被せた。延々と、それを繰り返した。

 これらの肉塊も数日前までは自分達と同じように生きていたのだ、そう考える者はいなかった。

 墓標のない盛山が、足元に幾つも出来上がった。

 全ての作業が終わる頃には、既に空が朱に染まりつつあった。何の達成感も湧かなかった。ただ空しさだけが、心を捕えて放さなかった。

 往路以上の重苦しさを抱え、一向は下山する。ウラカに帰り着くと、言葉少なに各家へと散っていった。

 他の連中同様、さっさと帰路に着こうとしている工房の主人を、ハルトは呼び止める。

 襲撃の原因に心当たりはあるかと尋ねると、主人は明らかに狼狽した。しかしハルトの質問には答えず、後のことは私たちに任せてくれと、目を泳がせながらハルトの肩を叩いただけであった。地元の問題は、地元の人間で解決するから、と。

 ハルトは片眉を上げる。しかし納得したふりをして頷いておいた。

 足早に去ろうとする男を更に引き止め、この町で電話機のある場所はどこかと訊いてみた。男は疲れた顔で怪訝そうにハルトを見上げたが、この質問にはちゃんと答えてくれた。やぐらの近くの食堂になら置いてあると教えてくれた。

 男の言葉通り、ハルトは食堂へ向かう。

 もうすぐ日は暮れる。ウラカの町は、夕飯の支度をする女たちの活気で賑わっていた。彼女たちは今夜、疲れた顔で帰ってきた男たちから、テト村の惨劇を聞かされるのだろう。

 まずいな、とハルトは思った。テト村の生き残りがデュカスだと漏らしたのは、まずかったかもしれない。

 先ほど、テト村へ向かう道中の時点で既に、町の連中は数組の集団に分かれ始めていた。誰も表立って口にはしなかったが、皆あの若者二人同様、テト村を襲撃したのがセゲド村の人間だと考えているのではないだろうか。

 彼らはやはり、テト村襲撃に至った原因を知っている――。

 だから出身の村ごとに集団を形成し、セゲドに対しての警戒を強めていたのではないだろうか。だとしたら、ウラカの町そのものが大きく分派してゆくのも時間の問題だ。

 そうなった場合、デュカスの立場はどうなるのだろう。彼本人はまだ心の傷が癒えていない状態だ。しかし周囲の大人たちはそんなことに構いはしないだろう。唯一の生き残りであるデュカスを、分派の火種に仕立て上げたりはしないだろうか。

 同族のみで群れた人間というのは、最も厄介な生き物なのだ。

 彼らの勝手な都合にデュカスを巻き込ませるわけにはいかない。あの少年の心を無闇に踏みにじるだけだ。

 ハルトは、本日何度目かの溜息をついた。倦怠感が朝よりもひどくなった気がする。やはり疲労が蓄積されているようだ。

 大通りを歩きながら、一人苦笑し、呟いた。

「落ちたよなぁ、体力……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る