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欧州――第13地区。7日目。


 夢を、見るのだ。

 炎に包まれた村、火だるまの人間、落ちてくる天井、腕の中で冷たくなるイニャキ――そして、穏やかに微笑む姉カヤ。

 そのたびにデュカスは飛び起きて、辺りを見渡し、それが夢ではないことを痛感する。覚醒してから胸の中に広がってゆくのは、言いようのない孤独感。

 何度同じ悪夢にうなされたことだろう。何度この孤独を感じたことだろう。一体何度、自分は、姉やイニャキの死を見つめなければならないのだろう。――もう、たくさんだ。たくさんなのに、目を閉じればあの出来事が否応なしによみがえる。

 デュカスは横たわったまま長い息を吐いた。

 悪夢のため体中から冷や汗が吹き出して、どんどんと彼の体温を奪ってゆく。この季節、朝晩は冷え込みが激しいため、上着も何もない状態のデュカスには、非常につらかった。

 ぶるりと体を震わせ、デュカスは自分の体を掻き抱いた。靴を履いたままの足先をこすり合わせる。

 彼は今、巨木の根元の奥、大きなうろの中にいる。地上から見た限りでは分からぬくらい深く根を張ったこの木は、地下に大人二人分くらいは入れそうなほどの空間を作り出しているのだ。土の壁と根の屋根に守られたここならば、雨風くらいは凌げるし、身の安全も確保できる。ただし、身を刺すようなこの冷え込みまでは防ぐことはできないが。

 頭上の光源へと目をやると、外は次第に明るくなってきているらしかった。

 デュカスは依然横たわっていた。

 あの日から――村が襲撃されてから、一体どれくらい経ったのだろう。少なくとも、もう五、六回は太陽が昇ってまた沈んでいくのを見たと思うが、実際のところ正式な日数は把握できていない。

 やはり、山を降りて助けを求めるべきなのだろう。そうすれば、飢えや寒さも我慢しなくて済むのだから。

 しかしデュカスは、それをする気になれなかった。イニャキの亡骸を埋葬したと同時に、デュカスの心の中で張り詰めていたものは途切れてしまった。以来、体を動かしたり物を考えたりするのがひどく億劫で、無気力な状態が続いている。

 これではいけない、とは自分でも思う。

 山の木の実で空腹を凌ぐのにも限界があるし、日に日に増してゆく冷え込みにも、耐えられようはずもない。山の寒さの厳しさは、今までの生活の中から身を以て知っている。第一――。

「姉さんが、まだだ」

 狭い洞の中に、かすれた声が反響した。

 姉であるカヤの亡骸は、今もなお村の焼け跡に埋もれたままだ。彼女をどうにかして埋葬しなければならない。分かっているのに、デュカスの体は村へと降りていくことを拒むのだ。目を背けることはできない現実から、逃げている。

 デュカスは横たわったまま、目を閉じた。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 デュカスが暮らすテト村と、その隣のセゲド村の折り合いが悪いことは、以前より知っていた。だがお互い、生活のためとはいえ、子どもを労働源として行き来させていたし、穀物や野菜などの物々交換だって頻繁に行っていた。

 セゲド村は、テト村からは西の方角に山を一つ越えた所にある。ここよりは少し大きめの集落で、住人の数も多い。テト村にこれといった特産物がないのに比べ、セゲド村ではその土地の地質上、珍しい香辛料が取れる。ゆえに彼らは、その香辛料を周辺の街に売って、生活の糧としているのだ。

 デュカスも、その香辛料の収穫や運搬のために、労働力として何度もセゲド村に駆り出されている。その時に、テト村の子どもだからというだけの理由で、数名の大人から嫌がらせを受けた経験もある。しかし皆が皆、不親切な人ばかりではなかった。中には村や言葉の隔てなく、親切に接してくれる人もいた。それが、何故急にこんなことに。

 目を閉じたまま、デュカスは再び自分の体を掻き抱いた。

 難しい事はデュカスもよく分からない。しかしセゲド村と自分たちの村とでは、民族性や言語に少々の違いがあり、それが原因で不仲な状態が続いているのだと、大人たちが話していたのを覚えている。

 デュカス達子どもは、頻繁にセゲド村に行くため、向こうの言葉も自然と理解できるようになった。しかし大人たち、特に年寄り連中は互いの村へ足を運ぶことがなく、頭から拒絶しあっていた。言葉の違いも乗り越えようとしないので、きちんとした意思疎通もできず、それが故に揉め事が起こることもしばしばあった。

 それにいつだったか、村長むらおさが教えてくれた。このような確執が生まれたのは、もう遥か昔のことなのだと。

 実は元を辿れば両村とも、何百年も前にこの地に侵入してきた騎馬民族の末裔なのだ。馬を駆り、武器を携えて東の平原からやってきた彼らは、この地で集落を築き、子孫を繁栄していった。しかしやがて、現在の第十三地区を含む周辺地域を、西方から来た大国が支配することとなる。無論彼ら騎馬民族も、その傘下に入ることを強いられた。

 ここで、今まで団結していた騎馬民族が二分してしまう。すなわち、大国支配下においても、自らの騎馬民族としての文化や言語を誇りにし、維持していった人々と。そして大国の強大な権力の前に屈し、彼ら強者の文化へと溶け込んでしまった人々と。前者は、いくら大国が懐柔を試みても決して従わず、自らの独自性を貫こうとした。業を煮やしたその大国は彼らの討伐を企て、力によって反乱因子をねじ伏せようとしたが、戦いを専門とする騎馬民族は、最後まで徹底抗戦を続けた。結果的には物量で勝る大国が勝利したものの、その支配下においても騎馬民族独自の文化や風習は守られることが約束された。

 その子孫が、現在のセゲド村を中心とする集落の人々なのである。自分達は命がけで騎馬民族の文化を守った、そのことを彼らは永年誇りにしてきている。反対に、やすやすと大国の権力に屈した人々、つまりはテト村周辺の人々のことは、民族の誇りを捨てた者達として嘲っていた。何かにつけてはテト村の欠点をあげつらい、蔑視する。民族分断の原因はもう遥か昔の話であるにもかかわらず、その嫌悪感はいまだ拭えていない。

 だが今のデュカスにとって大切なのは、そんな昔のことではなかった。

 セゲド村の人間はデュカスたちの村を襲撃し、多くの人を虐殺した、その事実こそが彼にとっては重要だった。奴らは、何の罪もない子どもや老人を殺し、デュカスの唯一の肉親である最愛の姉をも奪ったのだ。

 目を開くと、じっとくうを見据える。本人でも気付かぬうちに、その瞳の奥には、強い炎が宿っていた。赤く、そして黒い、憎悪の色。デュカスはこぶしを強く握り締めた。これは逃れようのない現実なのだ。姉は、もういないのだ。

 もう一度長い息を吐くと、ゆっくりと身を起こす。頭上を見やると、外の世界から小鳥の声が聞こえてきた。夜はとっくに明けた。

 今日こそは姉さんを埋葬するのだ。埋葬して、それから――。

 デュカスは立ち上がった。

 それからのことは、後から考えればいい。今自分のなすべきことは、ただ一つ。

 頭上の光源へと向けて、デュカスは足を踏み出した。

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