(6)ー1
欧州―第十三地区。八日目。
目が覚めたと同時に、デュカスは妙な感覚に囚われた。
まず目に飛び込んできたのは、見慣れない天井。自らの思考を支配しているのは、つい先程までさまよっていた夢の中の残像。
とても長い夢を見ていた気がする。いつもと同じ、村が燃える夢。
ぼんやりと天井を見つめる。
どこからが夢だったのだろう。そしてここは、一体どこなのだろう。何となく見覚えがある場所のような気もするが、自分の部屋でないことは確かだ。あの家はもう、燃えてしまったのだから。いやに冷静に、そんなことを思う。
体中がひどい倦怠感に襲われていた。全てが重たくて、五感がまともに働かない。ようやくのことで手の指先を動かしてみると、うすい毛布に触れたのが分かった。眼球を、天井から自らの胸元へと移動させる。どうやら自分はベッドに横たわり、その上から毛布がかけられているらしかった。ゆっくりと、体を起こしてみる。あちこちで痛覚が過敏に反応した。
デュカスは室内を見渡す。電灯は点いたままだった。
大きな机、その上に散乱した紙とペンと本、本棚に溢れかえり床にまでその領域を広げている書籍類、壁中に貼られた様々な写真。やはり知っている部屋だ。今までに何度となく立ち入らせてもらったことがある。
「ラウル兄ちゃん……」
部屋の主の名を呟いてみる。しかし返事はなかった。
何故自分が彼の部屋で眠っていたのか、デュカスには皆目分からない。窓の方を見やると、外は薄暗かった。夕方なのだろうか、それとも明け方だろうか。
ベッドの上で、記憶の糸を手繰り寄せる。頭の奥が鈍く痛んだ。思い出したくないという感情と、もう逃げてはいけないのだという妙に冷静な感情が、自分の中で葛藤する。デュカスは目を閉じると、大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。
村は――燃えた。みんな死んだ。姉さんも死んでしまった。彼女の亡骸をこの手で埋葬した。そこまで思い出して、胃の辺りが重くなった。もう一度ゆっくりと深呼吸してみる。逃げては、いけない。
埋葬の後は集落で――そう、「あいつ」に会ったんだ。
無意識のうちに、眉根には深い皺が寄せられる。
思い出した。全部思い出した。そうだ、「あいつ」が帰ってきたんだ。だから自分は――。
「毎度、おおきに。ありがとぉ~」
突如、他の部屋から女性の声が聞こえてきた。その直後に、リン、という鈴の揺れる音。デュカスは目を開き、思考を中断する。
聞き慣れた声だ。どうやら階下からのものらしい。デュカスは首を傾げる。
「この声は……」
しばらくすると、誰かが階段を上る軽やかな足音が近付いてきた。そして止まる。この部屋に来るのだろうか。デュカスは食い入るように扉を見つめ、足音の主が入ってくるのを待った。
扉を開けて現れた人物を見て、デュカスは自分の予想が当たったことを知った。
少し跳ね癖のある
「ミト
名を呼ぶと、ミトは顔を上げてこちらを見やり、一瞬だけ驚いた表情をする。しかしすぐにいつもの快活な笑顔を浮かべると、デュカスの座っているベッドまでやってきた。
「おはよ、デュカくん。もう起きて大丈夫なんか?」
ベッドの淵に腰掛け、デュカスの額にそっと触れる。
「ん、熱はないみたいやな。気分悪いとか、そういうのんないか?」
問われ、デュカスは黙ったまま頷いた。それを確かめると、ミトは目を細める。
「よかった。さっきから何回も見に来たんやけど、デュカくんが一向に目ぇ覚まさへんから、ウチ心配で。ここ、ウチの家やで。わかる?」
デュカスは再び頷く。
「今朝早くにな、金髪の背ぇ高い男の人が、デュカくん抱えて山の方から降りて来はってん。それをウチがたまたま見っけたから、ここまで運んでもろたんよ。デュカくんの左腕を手当てしてくれたんも、その人や」
「あいつ」だ。デュカスは思った。そして自分の左腕を見やる。確かにそこには、意識を失う前にはなかった白い包帯が巻きつけられていた。火傷を負った箇所だ。
あいつが、自分に手当てを施したのか。屈辱にも似た感情が胸の内に広がった。
なおも黙ったままでいると、ミトはデュカスの手をとり、軽く上下に揺する。デュカスはされるがままになって、その動きに自らの手を委ねた。
「でもホンマ、よかったぁ。ひどい怪我もないみたいやし。体の様子も大丈夫そうやし。ホンマ、無事でよかった。デュカくんだけでも無事で、よかっ……」
手の動きが止む。ミトは俯いていた。言葉を詰まらせたまま、デュカスの手を強く握り締める。その肩は震えていた。デュカスはミトの鳶色の髪をじっと見つめた。
ミトが口を閉ざしたので、二人の間に沈黙が訪れる。
「……ミト姉、知ってるんだな」
ぽつりと呟いてみた。その言葉に、ミトは顔を伏せたまま頷く。
「あいつから聞いたのか」
しかしミトは答えない。代わりに顔を上げると、デュカスの目を見据えた。そして、苦笑する。
「……あの人やろ?」
質問の意味が分からず、デュカスは眉をひそめる。
「あの人が、カヤさんのいつも言うてはった『ハルト』さんやろ?」
デュカスの顔が一瞬だけ強張る。しかしミトは、自分の質問がデュカスの神経を逆撫でしたことに気付かない。泣き出すのをこらえているような顔で、無理やりに微笑んでいた。
そんな表情をされてしまうと、デュカスも何も言えなくなる。彼女から目を逸らして窓の方を見やると、黙ったまま頷いた。
そっか、とミトがぽつり呟く。そして立ち上がり、出し抜けに明るい声を出した。
「なぁデュカくん、お腹すいたんちゃう? ウチ、何か作るわな。何やったら食べれそう?」
「え、何でも食べられる……と思う」
病人のように扱われるのが嫌なのと、そしてミトにこれ以上心配をかけたくないのとで、デュカスは嘘をつく。本当は、食欲なんて全くなかった。ここ何日もろくに食べていないのだ。体の方が、食べ物を受け付けなくなっている。
ミトはそんなデュカスの嘘も見抜いていた。優しく目を細める。
「ん、よっしゃ、野菜スープやったら大丈夫やろ。ウチが腕ふるって作るわな。ま、スープに腕ふるうも何もないけどな。――え~と、そしたらデュカくん、とりあえずこれに着替えとき」
ミトはきちんと折りたたまれた服をデュカスに手渡す。
「兄貴のんやから、ちょっと大きいかもしれんけど」
「ありがとう、ミト姉」
「着替えたら、下に降りといで」
「わかった」
デュカスが頷くのを確かめると、ミトは部屋を出た。階段を降りてゆく軽やかな足音が遠ざかっていった。
デュカスはベッドの上でラウルの服を握り締め、ぼんやりと
着替え終わってから、今まで来ていた服をたたみ始める。こんなにも汚れて擦り切れた服など、もう着る必要もないのだと分かっている。しかしいつもの癖で、手は勝手に動いていた。たたみながら、背中に付着した血痕の大きさに改めて驚く。イニャキは、こんなにも出血していたのか。
胸が詰まった。顔を歪め、それ以上の感情が湧いてこないよう、心に歯止めをかける。
やがて、ゆっくりと息を吐き出した。喉の奥が微かに震えた。
デュカスは自分の左腕を見やる。白い包帯が巻かれているのは、ハルトが手当てしたものだという。
あいつなんかに。
唇を噛み締めた。そしてふと気付く。
そういえば、そのハルト自身の姿が見えない。一階にいるのだろうか。それともデュカスを置いてどこかに行ったのだろうか。どちらでもよい。ともかく彼に顔を合わせないで済むことに、デュカスは安堵する。
まさか、あのような状況下で再会することになろうとは、思いもよらなかったのだ。しかも八年ぶりに――姉を、失った後で。
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