(5)ー3




 狭い地下トンネルに、複数の足音が慌ただしく響き渡る。懐中電灯の輪が闇をさまよい、時折怒声が飛んだ。

「いたかっ!? 絶対に逃がすなよ!」

 縦横無尽に入り組んだ道は、まるで大きな迷路のようだ。軍靴を鳴らし、男たちは必死で捜索を続ける。

「まだそんなに遠くには行ってないはずだ! 早く、侵入者を捕まえろ!」

 その声はラウルの耳にも届いていた。反響しながら近付いてくる声の方角を確かめ、そいつから逃れるために迷宮内を駆け抜ける。

「もぉー、ホンマ、しつっこいなぁ! 堪忍してぇや、軍人さん!」

 走りながら後ろを振り返り、舌打ちする。

 そっと、手に握り締めたものを見やった。

「やっぱ、コレ持ってきたんは、ヤバかったかなぁ……」

 しかしこのカルテが、ラウルの探し求める情報を握っていることは間違いない。せっかく大きな収穫を得たのに、こんなところで捕まってたまるか。とにかく逃げ切るのだ。

 何度も角を曲がり、複雑な道筋でトンネル内を南へ向かう。南を目指せば、市街地に出るはずなのだ。方向感覚には絶対の自信を持つラウルは、躊躇うことなく闇を突っ切る。しかし追跡者側も諦めない。確実にラウルの後をついてくる。

 いくら逃げても彼らは追いかけてくるのか。これでは埒が明かない。走りながら、トンネルの壁に注意を向ける。そして見つけた。

 人が一人やっと通れるくらいの狭い通路だ。ラウルは急いでその通路に身を隠す。その直後に、背後から派手な足音が迫ってきた。

 今までラウルのいた場所を、懐中電灯の光が薙ぐ。間一髪だ。

 音を立てないよう、ラウルは通路の更に奥へと体をにじり寄せた。光の輪はまだ同じ場所を往復している。時折、ラウルが隠れた細い通路の中にまで光が届いた。しかしその光がラウルの体を照らし出すことはなかった。

 懐中電灯を手にしている本人は、細い路地には構わずにそのままトンネルを駆けてゆき、光もやがては姿を消した。ラウルは安堵の息をつく。

 気配を殺しながらも、細い通路を更に奥へと向かう。すると袋小路に突き当たった。ただの袋小路ではない。梯子が伸びている。もちろん、地上に向かって。ラウルは顔を輝かせる。駆け寄りたいのをこらえ、足音を立てないよう、そっと梯子に近付いた。

 頭上を仰ぎ、目を細めてじっと闇を見据える。遥か高いところで梯子が途絶えているのが、おぼろげに見えた。あそこに出口があるのか。

 ここから、逃げれるんや。

 梯子の造りは古いが、錆びているわけではない。使えそうだ。

 カルテを無造作に上着のポケットへ突っ込むと、左手で梯子を掴んだ。少々不安定だが仕方ない。せっかくの戦利品を落としたりしないよう、一段ずつ注意しながら地上へと向かう。

 追っ手の声は遠のいていた。どうやらこちらには来ていないと判断されたようだ。彼らの見当違いに感謝する。

 急いで梯子を登りきり、耳を澄ます。地上からは何の音も聞こえなかった。車が通るような大通りではないらしい。安堵の息をつくと、頭上を覆う鉄板の蓋を開けた。

 そっと顔だけを覗かせると、地上の様子をぐるりと観察する。

 どうやら路地裏のようだ。古くなった建物ばかりが、道の両脇にそびえ立っている。路上の隅は塵の吹き溜まりとなっており、使えるのか使えないのか判別できないガラクタが山積になっていた。

 ラウルはまず左半身を乗り出した。続いて体全体を這い上がらせる。忘れないよう、鉄板は元通りに閉めておいた。

 立ち上がると、路地の奥を見つめた。辺りは既に深夜の闇に包まれている。外灯などという洒落た物はなく、その代わりに、月明かりが路地をほのかに照らし出していた。

 遠くで警戒警報の音がこだましていた。夜空に幾筋もの警戒灯が泳ぎ、侵入者の捜索を続けていた。あれが総司令部の施設だということは、随分な距離を走ったものである。

 我ながら感心していると、不意に人の気配を感じた。ラウルは厳しい顔で、瞬時に振り返る。

 しかし暗闇の中にぼんやりと立っている人影を見て、警戒の念を解く。影の形から察するに、女だ。しかもかなり小柄の。追っ手ではないと判断し、息を吐いた。

 女は片手に何かを抱えたまま、ただじっとラウルの方を見ている。暗い上に少し距離があるので、顔までははっきりと分からない。

 ラウルは一歩、女の方に踏み出してみた。女は逃げない。怯えている様子もない。ラウルはもう一歩踏み出す。更にもう一歩。

「何してんの、こんなところで」

 先に口を開いたのは女だった。闇の中、その声は凛と響いた。ラウルは体を強張らせ、歩みを止めた。我が耳を疑う。

 そんなはずはない。しかし。この、声――。

 ラウルは足を速め、女に近付く。そんな、はずはない。何故、「彼女」がこんなところにいるのだ。

 女との距離が縮まり、月明かりの元、お互いの顔がはっきりと照らし出された。ラウルは足を止める。

 少女のように小柄な体。漆黒の長い髪。髪と同じ色の大きな瞳。

 喜びよりも驚きの方がまさっていた。何故彼女が、こんなところに。

 ラウルは女の顔を見つめ、目を見開く。

「カヤさん!?」

 そこにいたのは、彼の――ラウルの想い人であった。

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