(7)ー7
出発の身支度はすぐにできた。デュカスの私物といえば、剣が一振りだけなのだ。それを握り締めたまま居間で座っていると、ミトが、ハルトの持っているような
「これ、兄貴のんやけど」
苦笑し、袋をデュカスに手渡す。中には着替えとタオルが入っていた。デュカスのために旅装をととのえてくれたのだ。
「ありがとう、ミト姉」
「あかんあかん、そんなんやったら、ありがたみ感じへんで。ほら、笑顔で言うてくれやな」
ミトはわざとらしく頬を膨らます。そんな彼女に、デュカスは少しだけ口元を緩めた。
「本当に、ありがとう」
「どういたしまして。気を付けて行っておいでや」
「うん。ミト姉も、元気で」
「ウチはいつでも元気やから、心配せんとって。デュカくんこそ、元気でな」
首都に行き、それから自分はどうするのだろう。ハルトからは何の説明もない。だからと言って、デュカスも彼に聞こうとは思わない。住み慣れた土地を離れ、馴染みの人々とも別れ、自分は一体どうなってゆくのだろう。先の見えない生活が待ち受けていることは、否が応でもデュカスの不安を掻き立てる。ミトやラウルにだって、もう会えなくなるのだろうか。
デュカスの考えていることを読み取ったかのように、ミトはいつも通りの快活な笑みを浮かべた。
「また、こっちに帰る事もあるやろ? そん時は、絶対に寄ってってな。お茶くらいは出すよ。そん代わり、手土産持参でよろしゅう」
その言葉にデュカスは安堵した。破顔する。
その時、ハルトが居間に現れた。来た時と同じ背嚢一つを手に、ソファに座る。彼はデュカスの剣をちらりと見やっただけで、何も言わなかった。
やがてコネリーが、店に戻ってくる。
デュカスとハルトは表に出て、コネリーの運転する軍用ジープに乗り込んだ。ハルトはミトに、一言だけ挨拶する。
「世話になったな」
ミトは苦笑し、手を振った。コネリーもミトに会釈すると、ジープを発進させる。エンジンがうなり、車は動き出した。デュカスは後部座席に座り、小さくなってゆくミトを見つめた。
しばらく走ると車は角を曲がり、ミトの姿は不意に見えなくなった。その瞬間、心の中の何かが、小さく疼いた。緩慢な動作で、デュカスは後部座席に体を沈めた。
列車の駅は、ウラカの町から車を十分ほど走らせたところにあった。
既に老朽化が進み、傾きかけている木造の駅舎。それは、山の麓と草原の境目、低い
駅舎の周囲に柵はなく、単線の線路が大草原の中を南北に伸びている様子が、遥か先まで見渡せた。
改札に駅員の姿はない。彼は日に四回、列車が到着する時にだけ、ここへ来るのだ。改札で切符を切り、駅員室で切符を販売し、そして構内では旗を振って列車を誘導する。彼はこの駅での仕事を全て一人でこなしているのだ。今は恐らく、駅員室の中だろう。
コネリーは改札の前にジープを停めた。ここからは駅構内の様子が見える。列車はまだ来ていなかった。
デュカスとハルトはそれぞれの荷物を持ち、地面に降り立つ。
西の山に隠れかけた太陽が、駅舎周辺に橙色の影を落としていた。
「この時間帯ですと、もうしばらくすればカストヴァール行きの列車が来ます。それが今日の最終便になりますから、乗り遅れないよう、お気を付けくださいね」
コネリーの親切な忠告に、ハルトが了解の意を示す。
「襲撃事件に関して、また何か調査の進展があれば教えてくれ。ハラルドの奴に連絡を取ってくれればいい」
「承知いたしました」
「今日は、色々とありがとうな」
「いえ、こちらこそ。少佐とお話することができて光栄でした」
そしてコネリーは、運転席で敬礼する。
「道中、お気を付けて。デュカスくんも、お元気で」
デュカスは黙ったまま頷いた。心の中はまだ悶々としていたが、だからと言ってコネリーを邪険にするのは気が引けた。彼は、本当にいい人間なのだ。ハルトなんかよりよっぽど「ショウサ」が合っているのではないか。勝手にそんなことを考える。
そのハルトは、片手を軽く上げてコネリーの敬礼に応えた。
「では、失礼いたします」
コネリーは右手でギアを動かす。彼がアクセルを踏み込むと同時にエンジン音が鳴り、ジープが発進する。最後に一礼すると、彼はジープとともに遠ざかっていった。彼の走った後に、土埃が舞う。
デュカスはしばらくそれを見つめていた。
もう会うことはないのかもしれない、柔和な軍人。彼のような軍人もいるのだと、デュカスは改めて思う。やはり、一人の人間を枠に当て嵌めてはいけないのだ。
「行くぞ」
隣から声が降ってきたので振り返る。ハルトは既に歩き出していた。追いつかないように距離を取りながら、デュカスもその後に続いた。
窓口で二人分の切符を買い、改札をくぐった。待合室で列車の到着を待つ。その間も、二人は一言も喋らなかった。気まずい沈黙だけが流れ、空気が静止しているかのようだった。
列車が構内に入ってきたので、二人はそれに乗り込む。自分たち以外にこの駅からの乗客はいなかった。二人を飲み込むと、黒い鉄の塊はまず蒸気を上げた。次に、ゆっくりと車輪を動かし始める。その回転が次第に速くなり、そして列車は線路の上を滑り出した。
車内にも人はまばらだった。
二人が座ったのは、四人がけの席だ。ハルトは通路側に座り、デュカスは剣を抱いたまま、ハルトとは斜向かいの窓際を陣取った。
二人して、外の景色を見やる。夕日を受けて幻想的な色を織り成す大草原が、左から右へと流れていった。ただひたすらに、それを目で追った。他にすることもなかった。お互い、目の前の人間と話す気も湧かなかった。
列車が動き出して十分ほど経った頃、ハルトが突如立ち上がった。デュカスは一瞬だけそれを目で追うが、すぐに窓の外へと視線を戻した。
「すぐに戻る」
しかしデュカスはそれを無視した。ハルトも彼の反応を期待していたわけではなかったので、そのまま席を離れる。
昇降口へと向かうと、扉についている窓を開けた。しばらくの間はトンネルもないから、大丈夫だろう。風を受けながら、煙草に火を点ける。ゆっくりと吸い込むと、少しだけ煙を吐き出す。続いて、大きな溜息を吐き出した。例の倦怠感が体中を支配する。
もう一度煙草を吹かし、窓の外を見つめる。ハルトはげんなりと呟いた。
「……疲れた…」
窓の外には夕闇が訪れつつあった。東の空から徐々に、紺碧の絨毯が敷かれている。不可思議な色の変化を頭上に見ながら、列車は汽笛を上げ、大草原の中を北上していった。
(第二章 了)
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