(2)

亜州――第38地区。3日目。



『第三十八地区から、巨大な光の柱が何本も目撃された。大規模な爆撃であると予想される。第三十八地区政府との連絡を試みるも、応答なし』



 亜州の各地区からこのような報告を受けてから三日後、欧州陸軍はようやくこの第三十八地区へ向けて、いくつかの派遣隊を上陸させた。何が起こったのかを見極め、被害の様子と、生存者の有無を確かめるために。

 派遣隊員は皆、微粒子を通さないゴム製の防護服に身を包み、首から上を厳めしいガスマスクで覆い、そして肩からは、黒光りする短機関銃を下げていた。

 しかし兵士たち自身は、何故自分たちがこのような服を着なければならないのか皆目分からなかった。単に軍上層部から、指示があるまでこの服は決して脱いではいけないと、そう言われたから従ったまでであった。

 ともかく完全防備のいでたちで上陸した彼らがその地で見たのは、想像を逸した凄惨たる光景だった。

 一面焼け野原と化した大地には、かろうじて残る建造物の残骸がどこまでも続く。元々は、建物が無理やり詰め込まれているような、そんな乱雑とした町だったが、今は少し視線を上げるだけで遥か彼方に赤くかすんだ稜線が見える。

 朽ちた建物の間には、ひしめくように屍の列が続いている。それら屍のほとんどは、真っ黒に焦げて人形のように転がっているか、体のほとんどが高熱で溶けて原形をとどめてはいないかの、どちらかであった。水飲み場と思われる場所に数人分の遺体が重なっていたり、なかには、母親が子どもをかばった姿勢のまま炭化しているものもあった。

 町を蛇行する川の中は無数の死体で埋め尽くされており、それぞれの死体の間から時折見える川の水は、先日降った奇妙な雨のため黒く濁っていた。

 爆撃の時に巻き上げられた噴煙の影響で、空には黒い雲が垂れ込め、陽の光をほとんど遮断していた。辺りを照らし出しているのは、彼方に見える、炎のような赤い光。

 派遣兵士たちは、みな一様に息を呑んだ。

 マスクが邪魔をして互いの表情を読み取ることはできなかったが、全員が同じ気持ちで、この荒廃した町の中、歩を進めていたことだろう。中には、微かに体を震わせている者もあった。

「まさに、地獄だ」

 独白のように、一人がぽつりと呟いた。誰も彼の言葉を否定しなかった。それ以外にふさわしい表現を、思いつかないからだ。

 死の匂いばかりがそこら中に立ち込め、聞こえてくる音といえば、時折吹きすさぶ突風が奏でる、呻き声のような唸りのみ。他には、何もない。無気味なほどの静けさ。互いの息遣いまでもがはっきりと伝わってくるほどだ。皆、緊張のために呼吸が荒いのが分かる。

 ことり、と建物の陰で何かが動いた。

「うわあっ」

 兵士の一人が錯乱し、手にしていた短機関銃を、音のした方向に向ける。タタタっという軽やかな銃声がして、直後にその「影」が前のめりに崩れ落ちた。

「何やってんだ、お前! 生存者かもしれないだろう!」

 隊を統率していると思われる男が、厳しい声で非難する。

「だ、だって、バケモノが生き返ったのかと……」

 バケモノ――気が動転している兵士は、同じ人間である犠牲者のことを、そう呼んだ。統率者は舌打ちをし、倒れた「影」に近付く。背後ではまだ、「だってこんなところに生存者なんているはずない」と言い訳の声が聞こえていたが、もはや誰も聞く耳を持ってはいなかった。

 「影」の正体を確認した男たちは、思わず息を呑む。

 胸の辺りを深紅に染め、瓦礫の間にうずもれるように倒れていたのは、まだ年端も行かぬ少女だったのだ。手にはしっかりと、小さな人形が握られていた。

 皆、言葉を発することができなかった。棒立ちになって、少女を見下ろす。ただ一人統率者の男だけは、彼女の脇にしゃがみこみ、その恐怖に開かれたまま硬直した目を、そっと閉じさせてやった。

 生存者がいた。それはこの地獄と化した地において、奇跡に等しいことだった。おそらくこの少女以外にも、ひっそりと息を潜めて救援を待っている者たちがいるのだろう。

 しかし、男は知っていた。そういった生存者たちに明日はないことを。欧州陸軍が自分たちのような探索隊を派遣したのは、生存者を助けるためではない。今回の爆撃による被害を調べること、それのみだ。自分たちは、その命令に従うただの駒に過ぎない。

「――おい、お前。今発砲した奴」

 統率者の男は、押し殺した声で呟いた。背後から、気弱な返事が聞こえる。男が立ち上がってそいつに近付いていくと、それは「ひぃっ」という悲鳴に変わった。

「トールキン中尉……」

 喉の奥から搾り出すような弱々しい声で、兵士は及び腰になる。男は彼の襟首をつかむと、マスクの触れるぎりぎりまで顔を近付け、思い切り凄んだ。

「帰ったら営倉にぶち込んでやる」

 そして乱暴に襟首を開放してやると、彼はもう一度「ひぃっ」と叫び、その場に崩れ落ちた。他の兵士たちはこの二人のやり取りを黙って見ている。口を挟める者など、いなかった。

 腰を抜かして震えている部下には目もくれず、男は再び少女を見やり、そして破壊し尽くされた町並みへと視線を移した。

 火は収まっているというのに、燃えるように不気味な赤い空。それを背景にたたずむ、焼けた建造物の残骸。肉眼で確認することはできないが、空気中に充満している謎の微粒子。当たり前だが、生物の棲める世界ではなかった。ここには、死の臭いがあるのみ。

 統率者の男は、この地獄の世界を、防護マスクの下から沈痛な面持ちで眺めていた。



世界政府および欧州陸軍総司令部から、第三十八地区全面撤退の命令が下ったのは、その日の夜半だった。異例の速さで、調査は終了。生存者に対する食糧補給や避難所の確保もしないままに、派遣兵士たちはその地を離れた。つまりこの第三十八地区は、世界から見放されたということだった。

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