(6)ー4



 デュカスの体を気遣ったミトが作ってくれたのは、消化によい食べ物ばかりであった。

 また炎を見て錯乱してはいけないからと、ミトが食事を準備する間、デュカスは二階へと避難していた。ハルトは台所の真向かいにある居間で時間を潰す。

 夕飯の支度ができたと言われ、二人とも台所に戻った。

 奇妙な顔ぶれでの食事が始まった。

 しかしミトの言葉どおり、食物を体に摂取するというただそれだけの行為で、混濁していた気持ちが徐々に落ち着きを取り戻していくのが分かった。食事というのは、生命活動を維持するだけではない。また別の役割も担っているのだと、デュカスは初めて知った。

 とはいえ、ここ数日空洞に等しかったデュカスの胃袋は、あまり多くの食物を受け入れはしなかった。申し訳程度に口をつけただけで、皿を下げてもらう。

 ハルトの方も、食欲がないようだった。朝から何も食べていないと言ったわりには、食が進んでいない。まあ、デュカスにとってはどうでもよいことだが。

 ともあれ、少しだけ心に余裕ができた。先ほどから気になっていたことをミトに尋ねる。

「おじさんとおばさんは? 留守?」

「うん。この間からちょっと、首都の方に出てるねん」

「ラウル兄ちゃんは?」

 その質問に、ミトはわざとらしく顔をしかめた。

「それがな~、あのバカ兄貴、また行方知れずやねん」

 ラウルというのは、ミトの兄のことだ。幼い頃から彼に懐いているデュカスにとっても兄同然の存在であり、昔から「兄ちゃん」と呼び慕っている。そのラウルが、今ここにいない。心細いような、少しだけほっとしたような複雑な心境で、デュカスは唇を噛み締める。ラウルには襲撃のことを――カヤの死のことを、必ず伝えなければならない。カヤの弟である、デュカス自身の口から。

「ホンマやったら、仕事の方はとっくに終わってるはずやねんけどなぁ。どこほっつき歩いてるんか知らんけど、例によって連絡もろくに寄越さへんねん。どっかで野垂れ死んでるんちゃうか? もぉ、あんな奴、知らんわ。帰ってきていらんし」

 ミトの口からは辛辣な言葉が飛び出てくる。しかしラウルの身を一番案じているのはミトだということを、デュカスは知っている。ここの兄妹は、お互いに毒舌を振るうのが日常茶飯なのだ。

「そのうちにひょっこり帰ってくるよ、きっと」

 ラウルという男はいつもそうなのだ。急に姿を消して音信不通になったかと思うと、ある日突然帰ってきて、以前と変わらぬ陽気さでデュカスたちと接する。その大半が「取材」という用事で出かけていることが多い。帰って来る度に色々な土産話を聞かせてくれるのだが、今回は一体どこへ行っているのだろう。

 デュカスの考えていることを読み取ったかのように、ミトは頬を膨らませ、憤慨する。

「行き先も教えてくれへんかってん。詳しいことも言われへんって。まぁ、いつものことやけどな」

「へぇ」

 デュカスは頷く。仕事一筋の彼なら、ありえそうなことだ。

 ずっと沈黙を守っていたハルトが、突如立ち上がる。デュカスとミトは話を中断し、彼を見上げた。

「飯、うまかった。ありがとうな」

 愛想のない声で一応の礼を述べると、さっさと二階へ上がっていってしまった。二人の視線がその背を追う。

「……ハルトさんって、いっつもあんな感じなん?」

 ミトに訊かれたので、デュカスは頷く。

「なんか、カヤさんから聞いてた『ハルト』さんとは、えらい違いやわぁ」

 残念そうに、ミトが息を吐いた。姉はミトに対し、一体どんな紹介をしていたのだろう。少し気になったが、敢えて訊かなかった。

 その後ミトも食べ終わり、全員が食器を空けたので、二人は食器を流し台に運ぶ。桶の中に用意した水に食器を浸しながら、柔らかい布で洗ってゆく。デュカスはミトの洗った食器を、乾いた布で拭き取って棚に並べていった。

 しばらくして、ハルトが階段を降りてくる足音が聞こえた。

 手には薬品とタオルを用意し、再び台所に姿を現す。

 デュカスもミトも、彼を振り返った。

「残りの傷も手当てをした方がいい」

 言われ、デュカスは顔中で不快感を表した。こいつに、手当てされるなんて。眉間に皺を寄せ、口を尖らせる。だがハルトはそんなことに構いはしない。

「ほれ、その左耳。膿が出てるだろ、見せてみろ」

「嫌だ」

 あまりの即答に、ハルトのこめかみが引きつる。薬品をテーブルの上に置くと、こちらに近付いてくる。

「あのなぁ、駄々こねてる場合か? 自分じゃ分かってないかもしれねぇけど、相当腫れてるんだぞ、お前の耳――」

 伸ばしかけたハルトの手を、デュカスは強くはじき返した。

「っせーな、触んじゃねぇ! 嫌なもんは嫌なんだよ!」

「相変わらず頑固な奴だな。成長したのは外見みてくれだけか? 中身はちっとも変わってないじゃねぇか」

 しかしデュカスはそっぽを向いたまま、ハルトの言葉を完全に無視する。ハルトは更にこめかみを引きつらせた。

「このクソガキが……」

 青筋を立てながらも口の端を上げ、ハルトはデュカスの左耳を無理やりに引っ張った。

「……っ!!」

 デュカスの口から、声にならない悲鳴が漏れる。患部を直接刺激されたのだ。無理もない。涙目になりながらも、再びハルトを邪険にする。

「何すんだよ、痛ぇじゃねぇか!」

 今度は体ごと突き飛ばされ、ハルトは大げさによろよろと二、三歩後退した。そして黙ったままデュカスを見下ろす。デュカスもまた顔を逸らして黙り込む。ミトは、そんな二人の様子を先ほどから見守っている。口を挟むことはしなかった。

 三人が三人とも、押し黙る。

 少しの沈黙の後、ハルトがぼそりと呟いた。

「そのまま放っとくと、耳が腐ってポロッと取れちまうんだぞ」

 その言葉に、デュカスは思わず後退さる。恐る恐る、ハルトを見上げた。

「ホ…ホントか?」

「本当だ」

 いやに真面目くさった顔をして、ハルトは重々しく頷く。

 ポロッと耳が取れる。それは痛い。あまりにも痛そうだ。今こいつに引っ張られただけでも激痛が走ったのに、そのうえ耳が取れてしまうなんて。想像して、デュカスは思わず体をぶるりと震わせた。とんでもない事になるじゃないか。

 そんなデュカスの様子を、ハルトは楽しそうに見つめる。ハルトには、今この少年の考えていることが手に取るように分かった。

 単純なところも相変わらずだな。

 しかし真剣に考え込んでいるデュカスには、ハルトが必死で笑いを噛み殺していることになど、気付くはずもない。再び恐る恐るハルトを見上げたかと思うと、すぐに目を伏せた。

 ハルトは溜息をつき、苦笑する。

「ほれ、観念して見せてみろ」

 言われ、デュカスは不承不承、椅子に腰掛けた。耳が取れるのが、相当に恐ろしいようだ。

 ハルトは薬品を手に取るとしゃがみ込み、デュカスの横髪を掻き分ける。ピアスのことについては、敢えて何も言及しなかった。

「自分の指で、耳の穴を塞いでおけ」

 デュカスはその言葉に従う。それを確かめると、ハルトはデュカスの耳元にタオルをあてがった。

「少しだけしみるぞ」

 言うが早いか、液体薬品を患部に直接、それも勢いよくぶちまけた。

 それは、「少しだけしみる」などというものではなかった。痛さのあまり、デュカスは息を呑む。自分で穴を穿うがった時と同じくらいの、激しい痛覚。これが手当てと呼べるものなのだろうか。あまりにも乱暴すぎる。

 必死で耐えているデュカスを尻目に、ハルトは続いて右手の手当てにも取り掛かる。あちこちに叩きつけたため、傷だらけになった手の甲。ここにも耳と同様の消毒を施すと、乱暴な手つきで包帯を巻きつけた。

「手の方はすぐ治るが、耳はしばらくの間消毒が必要だ。まぁ、これでやり方は分かっただろ? 次からは自分でやれ」

 言うと、薬品の入った瓶をデュカスに渡す。デュカスはおとなしくそれを受け取った。それを見て、ミトが初めて口を挟んだ。

「ね、薬って、すごい貴重やんね? なんでそんないっぱい持ってるんですか?」

 それに対し、ハルトは事もなげに答えた。

「施設病院から幾つか掻っ払って来たからな。あそこに行きゃ、薬なんて腐るほどある。奴らは出し惜しみしてるだけだ」

 デュカスとミトは顔を見合わせる。彼の言葉の意味が理解できなかったのだ。施設病院とは、一体どこのことを指しているのだろう。

 しかしハルトはそれ以上の説明を行わなかった。代わりに新たな包帯を取り出すと、それもデュカスに手渡した。そしてミトを見やる。

「悪ぃけど、今夜一晩だけ、オレもこいつも、あんたの家に泊めてもらうことはできるか? この町、宿屋がないみたいでな。だからと言って隣町に行くための足も持ってない。実はちょっと―途方に暮れている」

 しかし二人から見る限りでは、ちっとも途方に暮れているようには見えなかった。彼は最初から、ミトの家に世話になる気だったのだろう。デュカスは渋面を作り、ミトは呆れ顔になった。しかしハルトは二人の様子には構わず、先を続ける。

「しかも、明日この町で人と落ち合うことになっているんだが、町の勝手が分からないんで、この店を待ち合わせ場所に指定した」

「えらい、一方的に決めてくれはったんですねぇ。そんなん言われたら、断るわけにはいかんでしょう。他に泊まるとこもないんやし」

 ミトの嫌味に、ハルトは苦笑した。弁解するつもりはないようだ。

「まぁ、ウチん家は大丈夫ですけど。幸いと言うか何と言うか、家の者はみんな、今日も帰って来ぇへんから。たいしたおもてなしはできませんけど、それでよかったらどうぞ」

 悪ぃな、とハルトは再び呟いた。ミトは、やれやれといった風に溜息をつく。

「じゃあ、デュカくんは兄貴の部屋、あなたは両親の部屋を使つこてくださいね。布団の用意は自分ですること。いいですか?」

 ミトの言葉に、二人は揃って素直に頷く。その素振りが幼い子どものようだったので、ミトは思わず吹き出した。二人は顔を見合わせ、そしてお互い渋面になってから逸らす。ミトが更に笑みを漏らした。

 デュカスとハルトは、そんなミトの様子を困ったように見つめ、これまた揃って溜息をついた。

 三人の間に流れていた緊張が、少しだけ和らいだ。ミトにはそんな、気がした。

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