遙かなる皨の双灮で

祕空

第一章 前編 帰趨への幕開け

プロローグ 

「アポックアポックアポックアポックアポックアポックアポックあぽくぽぽぽあぽっ……ぶえええぇぃくしょ~いっっ!! こんちくしょーっ!」


 人里離れた山麓の森の中、まるで隠れるように佇む一軒家。その部屋の一つで、椅子に座る少女は怪奇めいた言葉を口ずさんでいた。

 ろれつが回らなくなったのか途中から語尾を噛みまくったその少女は、中年おじさんも顔負けのザ・親父くしゃみを軽快にやってのけると、部屋の一角へ顔を向けた。


「おいおいおいおい……何意味不明な事を言っているんだ……」


 少女の視線の先、開けられたドアの前にいたのは一人の男性。


「あ、お父さん。おかえり。う~んとね、何か唱えたい気分だったから取りあえず言ってみたの。心の思うままに」

「そ、そうか……だが良い加減そのくしゃみはどうにかした方が良いと思うぞ、フウ」

「えへへっ、またその話? だいじょーぶ! そのうち直すって。……ん?」


 フウと呼ばれたその少女は無邪気に笑うと、父親の脇をすり抜け部屋を飛び出した。


「お~お~お~どこ行くどこ行くどこいくんだ~?」


 腑抜ふぬけた声を出しながらフウを目で追っていくと、


「外、誰かいるよ」

「えっ……?」


 そう言ってすこし離れた玄関の扉を指差した。フウの父は、いぶかしげな顔で扉を見つめる。

 誰かいる、と言うことはけられていたのだろうか。いやそれはないだろう、もしそうなら気づいていた筈だ。


 ──余程よほどの手練れでなければ。


「フウ、奥にいなさい」


 フウを部屋へ戻し玄関へ行くと、彼は剣の柄に右手を添え左手で扉に手を掛ける。


「っ!?」


 どさっ


 扉を開けるのとほぼ同時、外にいた人影が地面に倒れ込んだ。


「なっ、お前っ…………まさかスイか!? おい! 大丈夫か!? しっかりしろ!!」


 父親は倒れたその人物を抱き上げ、家の奥へと叫ぶ。


「フウ! 母さんを呼んでくれっ!! 早く手当てをしなくては!」

「ええっ!? う、うん。分かった!」


 こっそりドアの隙間から覗き見をしていたフウが慌てて母親の部屋へと向かう。


「スイ! スイだろう? どうしたんだ、何があった!?」


 フウの父に抱えられたその人物は衰弱すいじゃくしきっていて、手足を放ったままぴくりとも動かない。


「お父さん! 連れてきたよ!」


 母の腕を引っ張りながらフウが走ってくる。


「母さんっ、スイだ! どういうことだか、酷い状態だ」

「……スイ!? 嘘っ!!」


 フウの母親は『スイ』と聞いた途端、怪訝けげんそうだった表情を一変させ二人の元に走り寄った。母に追い抜かされたフウはスイと呼ばれた人物が気になり両親の背後から覗こうとするものの、二人があれよあれよと移動に手当てにせわしなく動くため全く見えない。


「私、邪魔だね……」


 ようやく気づいた。いや、諦めたといった方が正しいフウは、しょんぼりオーラを全毛穴から放出させそそくさと自室へ去っていった。



 それから五日もの間、フウはスイというらしいその人物を一目たりとも見ることが出来ないでいた。

 彼が目覚めなかったからというのもあるが、両親に彼が寝かされている部屋への立ち入りを固く禁止されていたからというのが主な理由だろう。


「ぬあああぁぁっ! けちぃ~ケチケチケチケチケチケチけちぃぃいいぃいっ!!」


 この五日間、フウは幾度いくどとなく隠れて部屋へ侵入しようと試みたが、その度に両親に見つかり叱られる、そして愚痴ぐちるというまるで無意味なルーティンを飽きることなく繰り返していた。

 奇声と共に呪詛めいた言葉を吐き出して項垂うなだれるこの光景も、なかなか見慣れたものとなってきていた。



 更に四日後。

 スイが家に来てから九日が経ったこの日も、フウは朝方早々に侵入未遂を発見され父親に連行、腹筋百回の実刑判決を食らっていた。


 しかしめげない。というより諦めが悪い。ここまで来たらもはや天邪鬼あまのじゃくとも言うフウの悪癖あくへきが暴走し始めていた。


 何が何でも覗き見してやる、という思春期真っ盛りな男子さながらの闘志を燃やし、フウは本日二回目となる侵入作戦を実行しようとしていた。尚、これまでの一日のノルマは八回だ。

 しかし、今回は絶対に成功するという自信がフウにはあった。と言うのも幸運な事に両親が先程急用で外出したのだ。しばらくは帰って来ないだろう。


 こんなチャンスは滅多めったにない。

 いるかどうかはさておき天とやらは、ちゃんと日頃の行いを見てくれているんだ、多分。


 鼻唄を歌い、スキップをしながら因縁の場所へと向かう。

 部屋には鍵がかかっているやもしれないが、扉ごとぶち壊せば良いだけのこと。何の問題もない。ノープロブレム、ノンチェプロブレーマだ。

 フウは口角を吊り上げニヤリと笑みを浮かべた。


「スイ、かぁ。どんな人なんだろ。お父さんとお母さんの反応からして知り合いみたいだったけど……」


 それにしても、自分に何も話さないのは気に食わなかった。何かを隠されることはフウが最も嫌いなことの一つなのだから。

 少々不貞腐ふてくされながら、フウは部屋の扉へと手を伸ばした。


「おっ、開いて……ぶおおぉぉっっ!?」

「うわぁっ!?」


 ドアが勝手に開いた、かと思えば勢い良く飛び出してきた人物とぶつかり、互いに尻餅をついてしまう。


「いっ、ててて……へ?」

「……?」


 フウは衝突した相手を見て、目を丸くした。


 ──少年だった。


 髪はフウや両親と同じ銀色で瞳は藍白あいじろがかった銀色、性別を判断しかねる中性的な顔つきが彼の雰囲気をより幼く見せていた。


「…………わっゆあねーむ?」

「へ?」


「ごめん、ふざけた忘れて。私はフウ、この家のひとりっ子! う~んとあなたがスイ?」


 少年へ手を差し出し、引っ張り合うようにして一緒に腰を上げる。少年はフウを見て不思議そうな顔をしていたが、ふらつきながらも両足で立つと口を開いた。


「うん、スイは僕だよ。えっと……ごめん、何だか記憶が曖昧で……」

「フフン、問題ないね! 私は『ふかいり』しない主義だからね。心が広い人間なのだからね。でもやっと会えたぁ~っ! これでお父さんとお母さんを出し抜ける!! やったぜぇっ! フォォォォォーっ!!」


 色々と良く分からないが、いきなり高速ガッツポーズを繰り出し一人で興奮し出すフウに驚くスイ。しかしふと口から笑いが漏れる。


「ふふっ」

「……んぉ?」


 現実に引き戻されたフウがやらかしてしまった感あふれる目でスイを見上げた。ちなみに顔色は蒼白である。


「フウは面白いね。何か、僕に妹がいたらこんな感じなのかなって思ったんだ」


 細められた瞳と柔和にゅうわな笑顔に、フウはどこか懐かしさを感じたような気がした。


「ふへへっ、ありがと。よろしくね、スイ……お兄ちゃんっ!」


 花が咲くような満面の笑みで『お兄ちゃん』と呼ばれたスイは驚きながらも頬を赤く染めた。


「こっ、こちらこそッよろしく、フウ……あっ」

「……ん?」


 スイの視線の先、つまりはフウの背後にあったのは、恐ろしい気配を放つ二つの影。

 びくりとフウの全身が大きく震え、分かりやすく引きつった顔で恐る恐る振り返ると、


「あ……」


 この後ぐに、フウが両親にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。















──そして六年後、世界は再びまわり出す。

 

 ふたりの運命は予定調和とも言うべき軌蹟みらいを描き始める。




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