八話 それが祷りと言うのなら(流血、残酷描写注意)

 馬車を降りたフウとスイは、ベスカ高地の山中を三時間程進み続けていた。

 遠回りではあるが低所の様子に広く気を配れ、高所を取れれば警戒もしやすい。普通ならば進むのが容易でない足場の悪さだが、幼い頃から山の中で駆け回ってきたフウ達は何ともないようにハイペースを保っていた。


「フウ、結構進んできたけど大丈夫?」

「なあに、お父さん特製レグヌム山脈トライアスロン訓練の時に比べれば、これくらいなんてことないって。お兄ちゃんこそ、実は疲れてきたとか?」

「まさか。これくらいでへたばる訳がないことくらい、フウが一番知ってる癖に」


ニタリと笑みを浮かべるフウにスイは強気な声音で返す。


「むひひぃ、そうだったねぇ。お兄ちゃんはへにゃヅラ弱腰もやしっ子の癖に、体力ゴリラだったの忘れてたよー。ところで、」

「ねえ今何かもの凄い勢いでけなされたんだけど。結構傷ついたのだけど!?」 

「人の話を途中でさえぎるなよこのゴリラああっ!」

「ゴリラじゃなあああいっ! それを言うならフウだってゴリ……」

「ゴリラじゃないわああ! か弱くて清廉せいれんな女の子じゃああああああ」


 そんなこんなで数分後。

 落ち着いた二人はようやく真面目な話題へと戻ることにした。


「ところでだよお兄ちゃん、ここら辺なんか……おかしくない?」


 目の前の突き出た岩をひょいと飛び越えたフウ。


「そうだね……こんなに自然豊かな所なのに、これだけうろついてても竜馬どころかウサギ一匹いない。フウ、慎重に行こう。もしかしたら……ん?」


 次いで岩を飛び越えたスイは、先で立ち止まるフウを認め歩を止める。


「お兄ちゃん待って、何か……聞こえる」


 フウの言葉通りに意識を集中させる。すると確かに、自然の山中ではする筈のない音が聞こえてきた。


「……太鼓?」


 スイは表情を引き締めた。

 ──南東の方角。音の具合からして、低所の方からのようだ。  


「フウ、一旦いったんここを登って下の様子を見てみよう」

「ん、了解」


 岩の斜面を登り終えると、スイはフウをその場に待機させゆっくりと崖の縁に寄っていく。

 そして、見下ろした先の風景に言葉を失いかけた。


「っ……!? フウ!」


 スイのただならぬ様子に、フウはうるさいほど脈打つ心臓を無理やり押さえつけて麓を見下ろす。


「──ッ!!」


 そこには、最悪とも言える光景が広がっていた。

こちらに向かって陣を構える兵団。掲げている旗からしてルベルタ王国軍だということが分かるが、軽く見ても七千はいよう兵団には遠目からでも圧倒されざるを得ない迫力があった。


「っ! お母さんっ!!」


 フウの視線の先、兵団の最前線中央部には、対術拘束をされ更に重装兵に槍で押さえつけられるレナリアの姿があった。


「早く助けないとっ……」

「フウだめだ、落ち着いて。これはきっと罠だ」


 岩場を降りようとしたフウをスイが咄嗟とっさに制止する。


「でもっ!!」

「相手は僕たちをおびき出そうとしてるんだよ! ここで飛び出したら思うつぼだ、慎重に行かないと僕たちまでやられてしまう」

「ううっ……そうだけど!」


 フウは追い込まれると混乱し感情に任せて突っ込もうとする癖がある、だからこそ今は自分が冷静さを失わずに動かなければならない。緊張と動揺でどうにかなってしまいそうだったが、そう己の理性に鞭打ったスイは浅くなる呼吸を無理やり整える。


「大丈夫、この太鼓はきっと僕たちに場所を知らせるためのもの。まだ僕たちがここにいるとは気づかれてない筈。落ち着いて、今僕たちがするべき事をしよう」

「……分かった。……ごめん」


 どうにか落ち着いてくれたフウにひとまずは胸を撫で下ろす。だがスイの額には大量の汗が滲んでおり、心臓ははち切れんばかりに大きく波を打ち続けていた。



 先程の高地より一段高度の低い、より兵団に近い場まで降りてきた二人は、息を潜め兵団を観察していた。

 この七千の兵相手に二人で出来ることは何か。いくらフウとスイが並外れた身体能力の持ち主だろうと、二桁台の徒党や村人ならともかく訓練された兵士相手、更に王国軍となれば、踏ん張ればなんとかなるなんて発狂しても言えたものじゃない。加えて相手は恐らくフウらを誘い出そうとしている以上、何か策がある筈、迂闊うかつなことは出来そうにもなかった。


 幸い母であるレナリアの無事は確認でき、距離はあるが走って行けない事もない位置を保っている。父のメドウもここにいるのだろうか、いるとしたら状況を確認すれば案が立てやすくなるかもしれない。スイがそう思っていた時、


「フウ、あれは……」


 指差したのは、兵団の後方から走って来ていた一台の竜車。合流した竜車の中からは、麻袋あさぶくろを被せられた人物が降ろされる。

 そして引きずるようにして前線に連れられたその人物の頭から、麻袋が外された。


「父さんっ!?」

「お父さんっ!!」


 あらわになった銀髪が、乾いた風にさらわれる。

 黒ずんだそれに以前の美しい輝きはなく、所々が赤黒く染まった身体からは様々な拷問ごうもんを受けたのが一目で分かる程にメドウの姿は変わり果ててしまっていた。


『──っッ!!』


 レナリアの悲鳴にも似た声が響く。メドウの側に佇む指揮官の顔が愉悦ゆえつで歪んだように見えた。

 再び太鼓が打ち鳴らされ、指揮官はレナリアとメドウへ向け何かを言い始めた。


「あの指揮官……何て言ってる?」

「……わからない。太鼓の音で聞きとれない」


 あふれ出る怒りを必死に押さえるフウとスイ。位置的にも読唇術どくしんじゅつは使えなさそうだった。

 指揮官の言葉にレナリアは首を振り、必死に叫んでいる。と、


「っ!?」

「父さんっ!!」


 指揮官がメドウの頭を蹴りつけた。そしてレナリアをあおるように、土にまみれた銀色の髪を掴んで酷くれた顔を上げさせる。

 レナリアの表情は隠れていて見えないものの、兵士に押さえ込まれている事から抵抗しているのだろう。


「奴らまさか──」


 スイが顔をしかめる。王国軍の意図が脳裏のうりよぎった、その時。


『ぐぁぁあああっ!!』


 指揮官の抜いた剣がメドウの肩へと振り下ろされた。


「っっ!!」


 思わず叫びそうになったフウが咄嗟とっさに口を塞ぐ。

 噴き出た血液と共に切り離された右腕が空高く跳ね上がり、ぼとりと地に落ちる。


「なっ……!!」


 スイは目を見開き、茫然ぼうぜんとメドウを見つめていた。

 その拍子、ほんの一瞬だが、薄紫が藍白あいじろを捉える。驚いたように見開かれた紫の瞳はぐに、哀しみをともなって細められた。


「ッ…………」


 意志を伝えるにはそれだけで充分だった。

 スイは歯を食い縛ると、顔を歪め鮮血を大量に流しながらも痛みに耐える父にこたえるよう、メドウを見つめ返した。腕をひとつ失ったのだ、痛みで意識が飛んでも不思議ではないだろうに。

 必死に声を上げるレナリアを見て、指揮官は笑いをこらえられないといった表情をしていた。


「……許さない」


 フウが震えるこぶしを握り締めた時だった。


「逃げよう」

「──え?」


 スイから告げられた言葉に、フウは耳を疑った。


「気持ちは僕も同じだ。でもフウ、思い出して。父さんたちがどうして僕たちを置いていったのか。母さんが最後に僕たちに言ったことは──」

「最後なんかじゃない」


 掴まれた腕を強引に振り払う。


「まだ終わってなんかない。そうやって逃げ続けてきたから、お兄ちゃんは何もかもを失ったんだ」

「──っ」 


 低く、禍々しいまでの怒りに染められたその声音にスイが怯んだ一瞬の隙を突き、フウは走り出してしまっていた。


「はああああああああッッ!!」

「フウッ!!」


 木々を揺らす太鼓の音を掻き消す程の雄叫びを上げ、恐ろしい勢いで兵団へ突進していく。

 見晴らしの良い平原に自ら飛び出てきた得物に兵が気づかない訳もなく、直ぐさま左翼さよくから声が上がり一斉に矢が放たれた。

 青空を覆い尽くさんばかりの数の矢が一人の少女めがけて殺到さっとうする。

 フウは怯まず空を仰視ぎょうし、矢の軌道きどうを予測しては避けつつ、避けられないものは蒼炎で焼き払い一直線に走り続けようとした──だが、


「無理だ」

『無駄だ』


 絶望に満ちた表情のスイと笑みを深めた指揮官の呟きが重なる。

矢は二波三波と次々に放たれ続け、弓隊の後方には騎馬隊が動き始めていた。

 フウを止めるべくスイが後を追おうとした時に、それは起こった。


『~っっ!!』


 メドウが大声で叫んだのだ。

 何と言っているかは分からなかったが、その言葉を聞いたレナリアの顔つきが変わった。

 指揮官はメドウを嘲笑あざわらうかのように足で押さえつけ、力ずくで頭を下げさせる。


「やめっ──!!」


 フウとスイの目にもその光景が映される。

 血に塗れた刃が降り下ろされる次の瞬間、戦場に白銀が駆けた。


「っ?」


 柔らかな風が、その残像を追い兵団の間をすり抜けていく。

 一拍遅れたその刹那せつな。気づいたときには、幾人いくにんもの兵から血飛沫ちしぶきが上がっていた。

 またたく間に兵団の前線を染め上げた朱紅の中心には、白が美しくなびいている。

 ──メドウとレナリアだった。

 肩を寄せ、互いに支え合う二人を兵士達は驚愕きょうがくの表情で見つめる。

 レナリアの手に白炎が揺らめき、彼らが身を強張こわばらせたかと思えば弓隊に炎の波が襲いかかる。

フウは兵らを牽制けんせいする両親の元へと必死に駆け寄ろうとする。

 しかし、


「来るなッ!!」

「……っ!?」


 兵団の行く手をさえぎるように放たれた炎によって両親への進路が塞がれてしまう。


「お母さん……? なんで!? なんでこんなことっ!?」

「逃げなさい」


 信じられないとばかりに見開かれた碧眼へきがんが大きく揺れる。


「いやだ!! どうしてお母さんまでそんなこと言っ──」

さいのお願いだから! 行きなさい!!」

「っ!?」


 レナリアの必死の叫びに、フウは理解が出来ないといった風にただただ震えながら立ちすくんでいた。そうしている間にも兵達は迂回うかいをし距離を縮めてきている。

 このままでは牽制けんせいや炎の壁の時間稼ぎもそう長くは持ちそうにない。レナリアは歯を食い縛りながらもフウの説得を続けようとしていた。

 そんな中、後方から駆けつけていたスイが茫然自失ぼうぜんじしつとするフウを無理やりに抱き上げた。


「離してっ! お兄ちゃん離してよねえっ!! ……っ」


 そのまま両親に背を向け、一目散いちもくさんに走り始めた彼に抵抗しようとしたフウだったが、その苦渋くじゅうに歪んだ表情を目にすると、言葉を呑み込んだ。


「ごめん……フウ」


 喉から絞り出したスイの謝罪は、背後からの爆発音によって掻き消された。

 爆心は先程フウ達がいた所。兵団から随分離れた崖の上まで走ってきていた二人は音のした方を振り返り、そして──見てしまった。

 

 メドウとレナリアは、炎に包まれていた。


「嘘っ……!?」

「なっ……!?」


 その火柱は、崖の上からでもよく見えた。フウとスイは余りの衝撃に足を止めて目を見開く。

 メドウとレナリア、彼らの両親が飾った掉尾ちょうびは攻勢をかけることではなく、たった一振りの

攻撃の後に兵団の一角もろとも自害することだった。


「だめっ……ダメだよ!! お父さん!! お母さんっ!!」


 純白の炎に身を焼かれていく両親は二人のいる崖上の方を見つめていた。

 穏やかな笑顔で、瞳を涙にらしながら、そこにいる我が子を映すように、


『愛してる』


 と、ゆっくり口元を動かした。

 そして燃え上がる火柱の勢いが強くなると、メドウとレナリアの身体は姿を変えていく。


「やだっ……お父さんっ! お母さっ……ぐっ!?」

「……ッ!?」


 崖から身を乗り出したと同時、フウの肩に矢が突き刺さった。


「何、でっ──」

「フウ!? ……っはぁっ!」


 間髪入れず背後から続けて射られた矢を白雷で打ち払ったスイは、気を失ったフウを引き寄せ振り返る。


「なっ……王国軍!?」


 そこにいたのは、五百人はいるであろうルベルタ王国兵の集団。いつの間にか後方を完全に包囲されてしまっていた。二人が崖側に逃走することを予想し、身をひそめていたのだろう。


「その銀髪、『銀の民シロガネ』で間違いないな」


 弓を構える兵列の間から一人の男が現れる。


「待ち伏せかっ……フウに何をした!?」


 スイの被っていたフードは先の攻撃によりめくれてしまい、目立つ銀髪があらわになっていた。


「俺の名はラルド。ルベルタ王国第四王軍、第三部隊隊長だ」


 ラルドと名乗った男は余裕綽々よゆうしゃくしゃくと、それでいて挑発的な笑みをスイへ向ける。


貴方あなたのことは聞いてない。フウに何をしたか聞いている!」

「ハハハッ、流石は『銀のシロガネ』。子供の癖に根性がわっている。それとも、自分の状況も分からないただの馬鹿か」

「……」

「まあそうピリピリするな。子供にしては良くやったが、大人に勝てるとつけ上がらないことだ。大人しく我々に従うのであれば、お前は勿論その連れにだって危害は加えないでやるぞ?」


 先程放たれた矢には睡眠薬が塗られていたようで、フウはスイの腕の中で静かに寝息をたてていた。


「…………」


 うつむいたまま黙り込む少年を見て、ラルドは自分の手柄を確信した。

 いくら『銀の民』と言えど所詮しょせんは子供。目の前で両親が殺害され、この数の兵に再び迫られればもはや逆らう気力も湧くまい。

 部下に目配せをすると、ラルドに対術者用の手錠が渡される。念のため警戒をしつつゆっくり少年へ近づき、その細い手首を掴み上げた。

 案の定、少年は抵抗する素振りを見せない。それどころか掴まれた腕は恐怖からなのか小刻みに震えていた。


「……ごめん……なさい」


 少年が小さく呟く。


「今更何を言っても遅いだろうよ。親の代わりにしっかり使ってやるから、安心しろ」


 笑みを一層深めたラルドは無抵抗の少年の手首を締め上げ、対術手錠をかけた。

 ──筈だった。

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