九話 愛し想ひに贄を捧げん(流血、残酷描写注意)
「……あ?」
いつまでも感触の伝わって来ないそれに疑問を覚えたラルドは、
そこでやっと右肘から下、そこに本来あるべきものが無くなっていることに気づいた。
「っ!? 腕がっ、腕がああっっ!?」
噴き出す血を止めようとしたのか残った手を断面に当てがうものの、指の隙間から
「ぐぁぁっ……お前っ!?」
痛みに足を
その視線の先にいたのは、一人の少年。
銀色の髪を風に
「とっ、突撃しろォォッ!!」
兵団の中から
「お前らっ、早くこいつを……がぁッ!?」
仲間の元へ行かんとしたラルドはしかし、凄まじい力で身体を持ち上げられた。
鼻の先に現れたのは、凍えるような殺気を
「……僕はきみ達に謝ったんじゃない。父さんと、母さんに謝ったんだ」
「ひッ……」
ラルドの
そしてそのまま彼は静かに、
「……ははっ」
──自分の中の『何か』が壊れたのが分かった。
今まで必死に押し込め、
「…………」
岩の周囲から兵団が迫る中、スイは掴んでいた
「がはっ……! はっ、はぁ……」
倒れ込んだラルドを無表情のまま見下ろすと、ゆっくりと足を上げて、一言。
「さようなら」
「ッ!?」
岩下へと突き落とした。
「ぐあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ──」
斜面を勢いよく転がり落ちていくラルド。
その先には岩場を凄まじい勢いで駆け上がる兵の大群があった。
落下してくる隊長に気づいた先頭の兵が
「おいだめだっ! やめろッ、前進停止だ!! 頼むから止ま──ぐああああぁぁぁぁッ!?」
そんな
「止まるなぁっ! 隊長の仇を取るのだ!!」
しかしながら、例え落石の雨中と言え母数が多ければ
スイは足元に突き刺さる矢を引き抜き、迫り来る兵へ目を向けた。
先鋒の一人が剣を振り上げた
「ウオオォォッ……!?」
「なっ!?」
手首を
「嘘、だろ……?」
一人の兵が震える声を
「ぐあぁッ、ぁぁぁ」
恐怖に足を止めた兵達の視線の先で、また一人。
副隊長の腹部が貫かれ、そのまま胴が真っ二つに斬り裂かれた。
湿った熱気と
「…………」
──頭が冴えていき、身体が軽くなるのが分かる。
ひとり佇む少年。
彼は、忘れもしない『あの臭い』を思い出していた。
怒りとも絶望とも言えぬ情動に身を
***
「……んん?」
耳元で
「お兄ちゃん……?」
顔を上げると見慣れた青い輝きを放つ銀髪が目に映った。
「フウッ! 大丈夫? どこか痛いところとかない!?」
フウが起きたことに気づいたスイはそう言ってぺたぺたと肩や腕に手を当ててくる。
いつものテンションであれば、何すんじゃいっ! と叫びながらどつく所だが状況が呑み込めていないフウは疑問符を浮かべながらされるがままになっている。
「あ、うん。大丈夫だけど……竜馬? えっ、と……」
二人は竜馬に乗り、レグヌム山脈付近の
頭上を
「ねぇ、お父さんとお母さんは……? 私たち、軍から逃げて、それで……」
スイが
「…………」
黙り込むフウにスイが口を開いた。
「ごめん……父さんと母さんを、助けられなかった。僕が見たときにはもう……」
「……っ、いいよ。分かってる。お兄ちゃんのせいじゃない」
両親は言っていた『逃げろ』と。『愛してる』と。
そして、『生きて幸せになって』と。
それはきっと己を
ならば自分達のせいで彼らが危険を
──だが、
「……もう、遅いよ」
スイの頬へと手を伸ばし、そこに残る乾いた血痕を指で
──己の中にある何かが
「……向かって」
「……え?」
そしてそれは餓えた『彼女』を呑み込んでいく。
「家に、向かって」
スイが目を見開いた。その表情は
「フウ……? 何言ってるの、僕たちは追われてるんだよ!? 家に戻るなんて自分から捕まりに行くようなものだよ!!」
「…………」
──そんなことは分かっている。
「父さんと母さんは、そんなこと望んでな……」
「分かってるよ!」
スイの言葉を遮って声を荒げる。出来るものならば、フウだってそうしたかった。両親の想いを無駄になどしたくなかったというのに。
「
血のついた指を差し出す。
それはまるで、スイを指差すように。
「もう、壊れちゃったんだから」
フウの顔には先程まであった幼さがなくなっていた。
「っ……」
虚ろに開かれた
フウは拭った指の血を燃やすと瞳を細め、笑みを浮かべる。
「家に、向かって?」
「……ッ」
その瞬間、
少女を照らしていた燃えるような朱は陰に溶け、冷たい
──それは静かに、確実に広がり始めた。
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