十話 贖罪は己が為に(流血、残酷描写注意)

五時間前。


 その男は、狂ったように山道を走っていた。

 しきりに背後を振り返りながら、ひたすら足を動かし続ける男の顔面は蒼白で身に着けているよろいは所々が壊れ、脱げてしまっている。


 男はルベルタ王国第四王軍、第三部隊隊長ラルド率いる兵の一人。

 五日前にライゼール公国との戦いで功績こうせきをあげた彼は、王都で凱旋がいせんをするにあたり国王からの勅命ちょくめいがあると言われ、ラルドと共にベスカ付近に留まっていた。

 その内容は耳を疑うほど簡単で褒美は確実だと思っていたのだが、決してそうではなかった。


 一体、あれ程いた兵はどこへ行ったのだろう。

 五百もの兵がたったひとりに、それも子供に、傷ひとつ与えることなく殺されたのだ。始めのうちは幻覚でも見ているのかとも思ったが仲間から噴き出す鮮血や悲鳴は、まぎれもなくそれが現実であるということを示していた。

 ならば、あれは人の姿をした化け物に違いない。そんなものに人間がかなう筈ないのだから、ただただ逃げるしかないのだ。

 ふと、男は足を止めた。背後から微かに聞こえていた悲鳴が、いつの間にか止んでいる。


「……逃げ切れたか?」


 岩陰に腰を下ろし深呼吸をする。

 この後はどうするべきか、一刻も早く崖下の本隊、第一部隊と合流し報告をすべきだ。

 彼は息を整えながら、この僅かな時間に起こった事を脳内で整理する。


「何だったんだよ……あれは……」


 思い出すだけで身の毛がよだつ恐怖に襲われる。

 隊を前に投降とうこうした銀髪の少年を捕らえようとしたラルド隊長の腕が、一瞬で切断されたのだ。

 少年は武器も何も持っていなかったというのに。


 そこからはもう、──地獄だった。

 腕を失ったラルドは少年に突き落とされ仲間を巻き込んで斜面を転がり落ち、体勢を崩した兵団の中層にいた兵のほとんどが圧死。少年に斬りかかった者は一人残らずほふられ、逃げた者は背後からの投擲とうてきで頭や胸を貫かれた。

 何より、あっさりと人を殺していく少年の口元は、確かに笑っていたのだ。

 その光景を思い出し、男は全身から血の気が引いていくのを感じる。

 こんな筈じゃなかった。いくら勅命と言えど、たった二人の子供を捕らえるだけだったのに。

 冷や汗を拭い目を閉じる。

 風に乗って聞こえてきたのは、足音。


「──っっ!!」


 男は思わず口を押さえた。血生臭い、生ぬるい風が肌をでていく。

 頭を抱え、震える身体でうずくってからどれ程の時間が経っただろうか。

 男は恐る恐る、ゆっくりと顔を上げ、


「ひっ……!」


 ──そこにはあの少年がいた。


「……好きな方を選んでくれないかな。自害するか、僕に殺されるか」

「ゆっ、許してくれッ! 抵抗はしないから、どうか見逃してくれ!!」


 地面に手をつく男を無機質な瞳で見下ろす少年は、何故? とでも言うように首をかしげた。


「抵抗しないのなら、さっさと死んでくれないかな?」

「そっ、それは──がっ!?」


 男は唐突とうとつに首を掴まれ、無理矢理立たされる。

 この細い腕のどこにこんな力があるのか、少年の華奢きゃしゃな指が男の首に食い込み、めりめりと音を立てる。


「か、はっ……やめて、くれッ! このことは誰にも、言わない! だから頼むっ、殺さないでくれっ!!」

「黙れ。きみ達は僕の両親を殺した。フウを……傷つけた。目障めざわりなんだよ」


 視界の下の方で、白い光が熱を放ち始める。


「や、やめっ……ぶふぅっ!?」


 目映まばゆ白雷びゃくらいが彼の頸動脈と頸椎を切り裂き、首から下の身体が重力に引かれゆっくり皮膚ごと千切れていく。

 視界が揺らぎ意識が遠退とおのいていく中、男は眼前の化け物を見た。

 しろがねの瞳を細めるソレはこちらを見つめ、寒気がする程に美しい笑みを浮かべていた。



***



 現在。

 ルベルタ王国領内、ベスカ高地。


「何だと!? 逃がした? たかが子供二人だろう、ラルドは何をしていた!?」

「そ、それが、生き残った者は一人もおらず何が起こったのかさえ不明で……」


 ライゼール公国からの帰還中、『銀の民シロガネ』の子供二人を捕らえろという国王からの勅命ちょくめいを受けたルベルタ王国軍。合計約九千の兵を率いて計画を実行したのは、ルベルタ王国第四王軍長兼第一部隊隊長であるファルドだった。


 ファルドは今、予想外の事態に顔をしかめていた。

 用意した『銀の民』の夫婦は焼身自殺してしまった。夫婦はおとりとして、少々手荒に痛めつけても子供を捕獲した後に治療させようと思っていたのだが、まさか己の炎で死ぬとは想定していなかったのだ。『銀の民』の業炎で燃されてしまえば、肉体は跡形もなく燃え失せる。いくら治療班といえど灰になった人間を治療することなどできまい。

 それにしても、ファルドにとってこれが惨憺さんたんたる状況であることに変わりはなかった。子供を逃がした上に夫婦も無駄にしてしまうとは、一体国王に何と報告すればいいのか。


「ちっ……」


 ファルドは己の不運を呪った。平原こちらに飛び込んで来なかった場合に備え、付近にラルドら五百人の二個中隊を待機させていたがまさか──


「まさか突破されるとは、他にも仲間がいる可能性があるか……。どちらにせよ、たかが子供とあなどっていたようだ。ラルドの件は今一度本隊から調査隊を送らせる」


 崖へ様子を見させに行った兵士を一旦下げると、竜馬に乗って到着したばかりの連絡兵を呼ぶ。


「報告致します! レグヌム山脈中部に第二部隊大隊、約千五百人が昨晩到着。くだんの家屋を発見し配置完了しました」

「いいだろう、子供は家へ向かう可能性が高い。ラルドの第三部隊が突破されている、問題はないと思うが、警戒するよう伝えておけ」

「はっ!」


 報告を終えた連絡兵は再び竜馬にまたがり来た方向へと駆けていった。

 その姿を見送るとファルドは陣を見渡す。未だに負傷者たちの処置や死亡した者の確認が続けられており、彼の額のしわが深くなる。

 王都への道中で捕獲されたという『銀のシロガネ』の女は、対術手錠で拘束されていたにも関わらず炎術えんじゅつを発動した。その一撃で兵士の首十をね跳ばし、そのまま夫もろともこちらの陣に火を放ってきた。


 親が親ならば子も子なのだろう。

 十年前に絶滅したと言われている『銀の民』の戦闘力を甘く見ていたと痛感させられた。まさか五百人、通常の術者でさえ二十人を相手に出来れば上等だと言うのに、それを遥かにしのぐ力を有するとは。

 だが次は千を越える兵からなる第二部隊。始めこそ多すぎではないかと思ったが今となっては丁度良い。いくら『銀の民』と言えども、ここまでの疲労が残る中で千の兵を相手取れるとは考えにくい。

 更に国境付近には第三王軍が配置されており、逃げ道は全て塞いでいる。少し予定よりは遅れるが『銀の民』が国王の元へ届けられるのは確実。損害が想像以上に多くなってしまったものの、そうなれば国王からの勅命ちょくめいを果たし褒美は確定、部隊の兵達にも褒美を与えることができよう。

 ファルドは近い将来を想像し胸を張ると、兵達に向け声を張り上げた。


「全兵に告ぐ! 明日より我ら第一部隊は凱旋がいせんのため王都へ向かう!! ライゼール公国戦の勝利、そして此度こたびの作戦参加、ご苦労であった。じき日が暮れる、各隊夜営の支度をしろ!」


 兵士達はその言葉を受けると一斉に敬礼をし、夜営の準備を始める。

 ファルドは大きく息を吐くと、空をあおぐ。

 ベスカの高地から見えるレグヌム山脈は夕陽に染められ、不気味な程に美しい赤の稜線りょうせん闇空やみぞらに浮かび上がらせていた。

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