十一話 揺蕩う碧に、微笑みを(流血、残酷描写注意)

 レグヌム山脈付近の隘路あいろは起伏が激しく足場が悪い。追っ手を警戒していたこともあり、いくら竜馬の足でもフウとスイが家の近くまで辿り着く頃にはすっかり夜更けになってしまっていた。  地面に降りて竜馬を離すと、フウはそのまま走り始めた。


「フウ! 待って!! 待ち伏せされてるかもしれないっ!!」


 スイが後を追うものの追いつけない。徐々じょじょに近づく家の周囲に警戒するが、それらしき人影は見当たらなかった。


「はぁ、はぁっ……」


 家の前まで来たフウは扉に手をかけ、立ち止まった。肩で息をしながら、懐郷かいきょうと僅かな期待のこもった眼差まなざしで我が家を見上げる。


 ──夢であってほしい。


 そんなあり得る筈のない願望は、スイでさえ捨てきれないでいた。

 フウは瞼を閉じると半ば力ずくで扉をこじ開けた。

 まだ温もりが残る家に二人の足音だけが響く。その暖かい雰囲気が静けさをたずさえ、吸い込まれるような虚無感と一層の悲しみに襲われるようだった。


「フウ……」


 つい数日前まで四人で会話を弾ませていたリビング。机の上に置いていったレナリアの手紙を握り締め、フウは何もない空間を見つめていた。


「お父さん、お母さん……」

 ──分かってる。


 泣いても何も変わらないのは、フウにだって分かっていた。だというのに、悔しさと悲しみが押し寄せてきてどうしようもなかった。


「っ、うあぁっ……」


 くずおれたままむせび泣く姿は、酷く痛々しい。


「……っ」


 何もしてやれない己の無力さにスイは唇を噛み締める。


「うぅっ、ごめんなさい……」


 静まり返った部屋にはフウの嗚咽おえつのみが響いていたが、その静寂せいじゃくぐに破られた。


「っ!? フウっ、王国軍だ!!」


 玄関の扉が力強く開け放たれ、兵達が続々と中に雪崩れ込んでくる。

 スイは抜け殻のようにそこから動こうとしないフウをかばいながら、剣やゆみを携えた兵を片っ端から白雷びゃくらいで斬り伏せていく。

 しかし兵の数は全く減らない。兵士らは少人数ごと、かつ幾度いくどにも分かれて突入して来るため総数が把握できず、いくらほふろうとスイの疲労が無駄に多く蓄積されていく。


 そして何より、迎撃げいげきすればする程に思い出の詰まった家が衝撃に耐えられず形を変えていく。家具が破壊され、物が割れる度にスイの心は強く締めつけられる。

 そこに、隙が生まれてしまう。

 斬り倒した兵にレナリアのミシンが倒された際、部隊長らしき男の攻撃がスイの足元をすくった。


「しまっ……」


 バランスを崩したスイは続けざまに放たれた突きを避けきれず壁に叩きつけられた。


「かはッ!?」


 予想以上の衝撃に視界が歪む。

 咄嗟とっさに反撃すべく両手に術を展開させたが、


「ぅぐっ!?」


 回し蹴りを食らい、今度は窓側の壁に吹っ飛ばされた。

 息もつかせず割れた窓の向こうから放たれた矢が右腕を貫く。次々と全身を襲う痛みに意識が飛びそうになるが、攻撃の矛先ほこさきがフウに向けられたのに気づいたスイは強引にでも持ち直そうとする。


「フウ……っ!!」


 辛うじて動く左腕を伸ばすものの、むなしく空を切る。


 ──また、同じように?


 うの昔に忘れた筈の恐怖が、スイの脳裏をう。


 ──また自分は、目の前で大切な者を見殺しにするというのか?


 スイは歯を食い縛り、迫り来る得物の切っ先を素手で掴むと、雷炎を暴発させ取り囲んでいた兵をぎ倒した。左手までもが使い物にならなくなるが構わない。

 フウに手は出させまいと震える足に力を込めたが、まだ息のある兵に腱ごと足をがれ、再び体勢を崩してしまう。

 床にうずくまったまま、全く動こうともしないフウに兵達の刃が迫った刹那せつな──

 あおの業火が視界を覆い尽くした。


 目が覚めるような蒼は家全体を呑み込み、灼熱を咆哮ほうこうしながらあらゆるものを燃やしていく。 反射的に白雷の盾を展開させたスイは荒れ狂う炎の中心に、輝く白銀を見た。


「こんな家なんて、もういらない」


 小さく、それでいて確かに少女はそう呟いた。

 悲しみを吐き出すように。

 絶望を吐露とろするように。

 次の瞬間、蒼い炎はフラッシュオーバーを誘発させ爆発的な轟炎ごうえんが一同を襲った。


「……っ!?」


 凄まじい暴風と熱さにスイは思わず目をつむる。

 次に目を開けたとき、周りには何もなくなっていた。あるのは岩石に揺らめく余焰と、熱風にぎ倒され燃える木々。そして灰となって消えた死体の焦げた臭いだけ。


「……なっ!?」


 周囲を包囲していた王国軍兵士らの視線は、仲間ごと家屋を焼き消したソレ一点へ向けられていた。

 闇夜に揺蕩たゆたう銀髪。

 虚ろに開かれた蒼穹そうきゅうを細めて、狂気に顔を歪ませた。その転瞬てんしゅんに、


 ──白銀が舞った。


 円形の陣の内側をあおが駆け抜けたかと思えば、いくつもの頭が宙を飛ぶ。

 あふれる鮮血が地面を赤く染め上げ、仲間だったそれの血を浴びた兵達は一様いちように目を見開いている。ある者は肩ごと頭が空を舞い、ある者は頭蓋の半分を元の身体に残したまま、一体どれほどの威力でげばこのようなことになるのか。

 まるで積木を落とすように、いとも簡単に肉体を吹き飛ばされた仲間を目の当たりにした彼らの思考は完全に止まってしまっていた。

 そしてそれは、スイもまた同じだった。

 五十を越える数の人の頭部が一瞬で弾き跳んだ。ぐには何が起こったのかが分からなかった。

 だがこんなことが出来るのは、この場に一人しかいないことは分かる。


「……フウ」


 スイが、その名を口にした。

 兵達はまるで時間が止まったかのように茫然ぼうぜんと立ち尽くしていたが、フウはそんな彼らをゆっくりと見回し、一言。


「さ、おいで?」


 そこでようやく、軍勢から雄叫びが上がった。

 フウの体が吹き飛ばされるのではと思う程の声量。


「突撃いぃぃッ!!」

「ウオオォォォォォォォッ!!」


 怒りをあらわにした兵達はスイには目もくれず、一斉にフウへと斬りかかった。

 押し寄せる兵団を物ともせずに、その中央で舞う少女。

 長い銀色の髪を風に踊らせ、迫り来る者を見据みすえる碧眼は爛々らんらん耀かがやき続けている。


「…………」


 ──美しいと思った。

 そうさせた当人、きっかけを作ったのが自分だとスイは分かっていた。しかしながら、何かが壊れたように突き動かされるフウの姿を見て、彼は純粋に美しいと思ってしまったのだ。


「ははっ、はははははッ……」


 スイの口から乾いた笑いがれる。

 何故だかは分からない。嬉しさではない、面白くもない筈なのに、こんなにも愉悦に満ちた心地は初めてだった。


「……良かった」


 それは安堵あんどの色に染められた、場違いな程に穏やかな声音。


「これでキミはもう、何処どこにも行かない」


 血に塗れる少女を映す彼の瞳はその柔らかな笑顔とはかけ離れた、余りにも鮮やかな狂気に彩られていた。

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