二十四話 沈めたこの聲は、届いているか

「っ……!」


 竜車から降りたフィアは目の前に広がる凄惨せいさんな光景に言葉を失った。

 立ち込める血と臓物の臭いもあいまって吐き気を覚えかけたものの、両手で口を塞ぎ込み上げてくるものを必死で抑える。


「大丈夫ですか? フィア様」


 後方からかけられた感情の感じられない声音にフィアは反射的に振り返った。が、そこにいたのは竜車を降りた小柄なフードの旅人。

 顔が見えなくとも、雰囲気からフィアを心配していることが分かる。しかし、先の彼女の声からは人を寄せ付けない、底冷えするような何かを感じたように思えた。


「はい……何とひどいことを……」


 しかしそれに疑問を覚えられる程、フィアは冷静ではいられなかった。

 初めて見る惨状。

 赤く染まった帝道に散らばる臓物と、転がる頭部。

 そのどれもが驚愕や苦痛に満ちた表情で冷たい血の海に浸っていた。

 恐怖よりも、深い哀しみがフィアの胸を強く締め付ける。彼らに祈りを捧げようとした直後に、全身をぞわりとした寒気が襲った。


「あぐっ!?」


 振り返る間も与えられず、背後からの衝撃によってフィアは意識を刈り取られた。

 金髪の少女が地面に崩れ落ちた。

 フウはその光景を、酷く覚めた目で見下ろしていたような気がしていた。


「お兄ちゃん、ありがとう」


 気絶した少女の側に佇むスイに歩み寄ると小さく呟く。


「ううん、大丈夫だよ。僕もこの子は殺さない方が良いと思ったから」

「…………」


 何故かスイの言葉にうまく応答ができなかった。

 傾き始めた夕陽が、赤に塗れた道を一層紅く染めていく。


「行こうか」


 その場に立ち尽くしたままのフウの肩に、スイが手を置いた。


「……うん」


 フウはおもむろに片手を上げ、巨大な蒼のほのおてのひらに出現させる。

 小さく雷霆らいてい音をたてる焰に息を吹き掛けると、それは命を授けられたかのように舞い上がった。蒼炎は碧い光の尾を引きながら、二人が摘み取った命の殻を呑み込んでいく。

 竜車を囲むように広がった炎の威力は通常の火とさほど変わりはなく、中央にいる三人だけを避けるように燃えていた。


「さて行くかっ! 早くしないとまた面倒なことになるね!」


 スイの手を取ったフウが近づくと炎は道を空けるようにその形を変えた。主が通り抜けるとそれは再び塞がり、何事も無かったかのように燃え上がる。

 フウは振り返らず、いつも通りの笑顔でスイの手を引いていた。

 そうして二人は馬車に戻ると馭者にもう一芝居を打ち、その場を後にしたのだった。



 陽が沈み、辺りが夜のとばりに包まれた頃。

 一行が去った帝道では、焼かれた斬殺死体と気を失った『使徒様』が発見され、大きな騒ぎとなった。


 凱旋式典まで、あと三日。



***



 薄暗い廊下に、軽やかな足音が響く。

 所々が崩れ、荒れ果てた通路の奥。一際頑丈に作られていたであろう巨大な扉のようなものの前に辿り着くと、その人物はゆっくりと扉を引き開けた。


「やっと、か」


 小さく呟いて、先に広がる空間を見渡す。

 赫い瞳に映るのは、等間隔に並べられた灰色の山。

 それらは全て瓦礫で出来ており、千切れた糸のようなものと粉々になった金属片が黒緋くろあけの床に散らばっていた。


「あれからどれくらい経ったのかな……とても長かったような気がする。……でも、お陰でボクも準備が出来た。やっとキミに、『お礼』が出来そうだ」


 誰に聞かせるでもなく言うと、足元に転がる血のついた瓦礫を拾い上げる。含み笑いで細められた瞳は深く濃い憎悪に満ちていた。


「ねぇ、どうして? どうしてボクを置いていった……?」


 不意に顔を歪めた彼。瓦礫を握り締めたその手から、一筋の血液が流れる。


「許さないよ……キミのせいで、――は往ってしまったんだ」


 かつての悲劇、忘れられた記憶が刻まれた空間をめつけ、歯噛みする。

 ばきり、と音を立て手の中の瓦礫が砕けた。

 彼は一瞬不快そうに眉をひそめたがぐに表情を戻し、それを指から溢すように捨てていく。

 乾いた音を立てながら落ちる破片と己の血液を眺めて、見蕩みとれるように目を細めた少年は闇に微笑んだ。


「待っててね、…………兄さん」



***



 凱旋式典前日ということもあり、王都の門は大きく開け放たれていた。

 アグスティとは比べ物にならない程の騒がしさに馬車の荷台で眠っていたフウとスイは目を覚ました。


「ううぅぅぅぅ……やっべぇよ、全身いてぇぇ」


 まだ早朝だというのに昼過ぎのような賑やかさに驚きつつ、フウは両腕を上げて伸びをする。慣れない馬車での長旅で身体は鉛のように重い。


「流石に疲れたね……僕も寝不足みたいだ」


 向かいに座っていたスイも疲労が溜まっているようで目をしょぼしょぼとさせている。

 いつかのヨユー持て余したムカつく顔を思い出したフウがからかおうとした時、馬車がゆっくりと停車した。


「お客さん達、到着だ」


 馭者の声に混じって周囲から馬のいななきが聞こえてくる。どうやら王都の駅付近だろう。

 荷物を背負った二人は礼を言い馬車を降りると、──余りの人の多さに面食らってしまう。


「うっえぇ……都会だぁ。アグスティも人多かったけどそれ以上じゃん」


 駅は様々な職の人々で溢れていた。芋洗い状態の駅を出れば、心地よい風が肌を撫でる……ことなどはなく、これまた人でごった返した中央道に出る。


「これはすごいね……人酔いしそうだ」


 思わず苦笑いをするスイ。

 小柄なフウは人混みに流されないようスイの腕を鷲掴みにしていた。しかし平均的に見るとサイズが小さいのはスイも同じため、二人は何度も人波に潰されそうになる。


「おぉぉおおおお……」


 腕に大きな荷物がくっついたスイは何とか人の流れを縫って進んでいく。人の密度の高さに何度かフードが取れそうになったが、その度にフウが身体をひねって被せ直していた。


「ぐっはあぁ……」


 追いやられるようにして脇道に出た二人は完全にダウンしていた。

 建物の壁に背を預けぐったりするスイとその足元にへたり込むフウ。一見すると何かの中毒者か危ない人のように見える。まあ、ある意味二人が危ない人であることに変わりはないのだが。


「やっべぇよぉぉ、気持ち悪い……。私、人混みムリだ。酔うれす。いだべすりーれす」


 後半支離滅裂しりめつれつの泣き言を言いながら顔を上げたフウはぎょっとした。


「…………ぅぷ」


 涙目のスイが壁に頭を擦り付けていたからだ。

 真っ白な瞳は充血し、ぽろぽろと涙が零れている。


「え、嘘だろ」


 フウが頬を引きつらせた次の瞬間、


「ぃぎやぁぁああああああああああっっ!?」


 きらめくモザイクが補正でかけられるであろう代物がフウの頭上に降り注いだ。

 少女の悲鳴は、中央道のざわめきに虚しく吸い込まれていった。

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