二十三話 囁く歪みに笑みを送る

 対術手錠は術を使える者、『術者』の拘束に使われる物である。

 付けられた術者が術を発動させようと術力を体内に流すことで、手錠内側にある無数の針が術力を吸収して伸び、手首に棘が食い込む仕組みになっている。

 術者は一般的に非術者よりも回復能力や身体能力が高く、手首に針が食い込むくらい大したことはないため、罪を犯した術者や奴隷として闇市で売買される術者はこの対術手錠により拘束される。


 また先日の戦闘で二人が分かったことではあるが、この対術手錠には術力吸収に欠点があり、一気に莫大な術力を流すとその圧に耐えきれず自壊するらしい。

 さらに細かい調節さえ上手く行けば、針を一寸も伸ばさずに外すことも出来るという事も分かった。

 だが一般的に考えればこれらの実行は不可能で、前者の場合、普通の術者がそれほどの術力を発動させようとすれば術圧に耐えられず肉体が先に限界を迎えるし、万が一耐え切れたとしても動脈に達した針による出血多量で死亡する。後者の場合でも、術力の加減をほんの少し間違えば失敗するため、術力の扱いに長けている者でもかなり難しいだろう。

 ちなみに後者は言わずもがなフウの苦手分野。数日前に嵌められた対術手錠は、動脈を針が貫通し手首を血塗れにしながらも強引にフウ自身で壊したのだが、その後スイに「何でも力任せにしない!」と叱られていた。

 そんなことをフウが思い出していると、軽い音と共に少女に付けられた対術手錠がきれいに外された。


「んん……」


 割れた手錠から白いもやのようなものが空間に滲み、それが消えると入れ替わるように少女が目を開けた。

 血塗れのフウとスイふたりを視界に捉えた少女は、少しだけ驚いたような顔をするが、


「おはようございます。王都に着いたのですね」


 と笑顔で一言。


「は?」

「へ?」


 二人は拍子抜けした。ひゅうぅ、と吹かない筈の風が車内を通り抜ける。

 目を覚ました時、全身血だらけのフードを被った二人組が目の前にいたら普通は叫ぶなり怯えるなり驚くなりするものではないのか。

 勿論そうなるだろうと警戒していたフウとスイはしばし呆気にとられてしまったが、ぐに気を取り戻す。


「えっ、と……ごほん。大変失礼なのですが、御名を伺っても宜しいでしょうか?」


 先に口を開いたのはスイだった。

 相手が貴族の場合、下手な言葉遣いをすれば情報はおろか警戒されて口すら聞いて貰えないこともある。スイの仰々ぎょうぎょうしい態度と言葉遣いに、フウは笑いそうになったが何とか堪える。


「……? 構いませんが。私はフィアです。……もしかして、まだ王都ではないのですか?」

「っ……」


 ――やっぱり。

 フウが思っていた通り、少女はやはりフィアだった。花があるとでも言うのか、小首を傾げものをたずねる仕草だけでも絵になりそうな華やかな雰囲気があった。


「はい。ここは王都への道中、帝道です」


 フウはなるべく顔を見られないよう俯き、事務的に対応する。


「私共は辺境の村から来たのですが、周辺に人の姿が見当たらなく不審に思いこの竜車に辿り着きました……しかし、外は酷いあり様で……」


 スイはフードの下で遣りきれないといった風に歯を食いしばる。無論これも演技なのだが。

 フィアはスイの様子から衛兵が全滅したと分かり、居たたまれない顔をした。自分を貴めるような、謝罪をする時にするような、そんな表情。

 そしてゆっくり瞬きをすると、彼女は何かを決意したかのようにしかと据わった瞳で二人を見つめた。


「あなた方は術者ですね」


 ぴく、とフードに隠れたスイの頬が動いたのが分かった。


「何故、そう思われるのです?」


 スイの動揺をさとられるより先にフウの口が勝手に動いた。

 フィアの纏う雰囲気が先程とは一転していた。その変化に無意識に警戒するスイを見て、まるで彼女と初めて会ったときの自分を見ているようだとフウは思った。


「それはっ、……この竜車の扉と対術手錠です」


 フードの下でほくそ笑んだフウに気づいたのか、フィアが僅かにたじろぎながら続ける。


「その扉は……術力に反応して、開く仕組みになっています。そしてこの対術手錠は王都にある鍵がなくては外せません。もし外せる者がいるとしたら、その方は対術手錠専門の解錠術者以外、あり得ません」

「…………」


 なるほど扉が勝手に開いたことに納得したフウ。

 しかし対象者フィアに自分達が術者だとバレてしまった上、二人とも初耳の存在である『対術手錠専門の解錠術者』と警戒されてしまっている。

 フィアの様子から察するに、解錠術者はまともな者ではないのだろう。確かに術者に対する唯一の拘束具である対術手錠の解錠術者など、いれば直ぐに国に目を付けられる。

 ――面白いことになってきた。

 事態の雲行きとは真反対に、フウは妙な高揚を感じていた。


「だとしたら、……どうなさいます?」


 挑発的に、それでいて丁寧に言葉を返す。

 フィアは少しだけ黙り込むと、深呼吸をひとつ。


「例えそうだとしても……私はあなた方に対して、何もするつもりはありませんよ」


 笑顔で答えた。

 今度はフウとスイがたじろぐ番だった。


「あなた方が術者でしょうとそうでなくとも、私を助けて下さったことに変わりはありません。あなた方が来てくださらなかったら、私は私を守って下さった方々の死に気づかず、この竜車で眠ったままだったでしょうから……」


 フードで顔を隠した二人の表情がフィアに見えているかどうかは定かではないが、彼女は驚くほどに落ち着いていた。

 ――この子は澄み過ぎている。

 フウは直感的にそう思った。

 どこか人為的なものを感じる程の透明感に、異様なまでの違和感を覚えた。

 彼女一体何者なのだろうか。少なくともそこら辺にごろごろといるような、普通の人ではないことは間違いないだろう。


「あの……旅の方。お願いがあります」


 思考を巡らすフウを余所よそにフィアが口を開いた。


「はい、何でしょうか」


 スイを制して一歩、前に出る。


「亡くなられた皆様に、手を合わさせて下さい」

「…………かしこまりました」


 フウの口元は僅かに歪められ、影が落とされた碧の瞳は静かに闇を携え光を放っていた。

 フードに隠されその変化は傍目からは微々たるものでしかなかったが、フウの隣で佇むスイの表情もまた、場違いなまでに穏やかな笑みで塗り固められていた。

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