エピローグ 其れは共に紅く、渇きを欲し醒めていく

 帝道から外れた林の中を駆ける竜馬の背に揺られながら、フウは空を見上げていた。

 視界の後方へと過ぎ去っていく若葉の間から見える空の碧はまた憎らしい程に透き通っており、陽の輝く空はメドウが家を出たあの日とまるで同じ色を作り出していた。


「…………」


 その眩しさに目を細めながら、フウは静かに息を吐く。

 思えばあの日からまだひと月も経っていないというのに、こんなにも短い期間で世界は変わってしまった。今までの平凡だった世界はほんの少しの憎しみと狂気、そして膨大な空虚によって姿を変えた。

 あの穏やかだった記憶の中の風景にはもう、二度と戻ることはできない。

 世界も等しく、自分というものでさえ、こんなにも簡単に変わってしまうものなのだろうか。 ふとフウの中で、ある感情が波打った。


「ねぇ――」


 自然と口から漏れた想いの断片は、過ぎゆく風にさらわれて消えてしまう。

 ならばいっそのこと、溶かしてしまおう。

 あの日と同じ色をした空の下ならば、何故だか伝わるような気がした。


 ――ねぇ、お父さん、お母さん。


 例え誰にも届かないことも、届くはずがないと分かっていても、己の中でけじめをつけなければならないと思っていた。


 ――私、知ってるよ。


 フウは知っていた。

 メドウとレナリアが、フウとスイに『何か』を隠していたことを。そしてそれが、スイの過去、更には『銀の民シロガネ』そのものに繋がることだということを。

 両親はとうとう最期までそれを二人には教えなかった。

 だが、それがいけなかった。

 彼らは気づいていなかったのだ。二人に隠したまま闇に葬ったそれにしかし、フウは彼らが思っていた以上に深く興味を抱いてしまっていたことに。


 両親が命を懸けてまで守ったその『真実』。その想いは痛いほど分かっているし、それを無下にするつもりもフウにはなかった。


 ――しかし、だからこそ二人は知らなくてはならなかったのだ。


 それがどんな真実だとしても、己の目で確かめねばならない。確かめて、己の歩む未来を、すべき事を己の意志で選択するべきだ、と。

 これが両親の意志――自分たちを愛してくれた彼らの最期の言葉にさえも、反することだというのも、フウ達は判っていた。


 それでも、フウは。

 いや、二人はめようとはしなかった。止められなかった。

 覚悟はしたつもりだったが、それでも脆い人の心は揺るいでしまうように出来ているらしい。 叶うものならばどうか赦してもらいたかった。優しいあの声と温もりで、このどこまでも冷たく凍えていく心ごと、もう一度だけでいいから抱きしめてほしかった。

 なんてどうしようもないのだろう、そんなものにすがりたくなってしまう自分にほとほと嫌気が差すと、フウは自嘲の笑いを漏らした。


「……っ!」


 急に頭上が明るくなり、フウは驚いて顔を上げた。

 飛び込んできたのは、視界いっぱいに広がる虚空の天球。

 森林の切れ目、その一瞬にだけ姿を見せた碧の美しさに何故か涙が零れそうになった。

 また、空が見えなくなる。

 風にさらわれていくなみだの意味さえも、もう分からなくなっていた。


「……さようなら」


 そんなどうしようもない己をわらいながら。

 まだ覚えているうちにあの温もりを、彼等がくれた愛と呼ぶのであろう感情を空にうたう。

 僅かに見えていた碧空の残像が、再び木々の影に呑み込まれていく。


 ――お父さん、お母さん。


 ごめんね。本当に、ごめんなさい。

 暗い影の落とされた瞳を細め、一方でフウは心から愉しそうに口端を吊り上げた。

 こんな自分でさえをも愛してくれたあなた達が、私は大好きでした、と。

 だから、故にこそあなた達はこんな自分ひとを赦すべきではない、と。

 相反する想いに等しく冷たい笑みを浮かべるフウの瞳からは、やけに熱いしずくあふれ出ていた。







 ある時二人は──二人きりになった彼らは晴れやかに笑いながら言った。


『僕らはこの世界を絶対に赦さない』と。


 これは、とる世界のふたりの話。

 狂おしい程に滑稽こっけいで単純な、血塗られた舞台せかいで躍る――彼らの生きた物語。

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