三十話 来る日を見ゆる資格は何処

 二時間前、王宮域内東区


 静寂せいじゃくに包まれた会議室、一見すると無人のようにも思える室内には張りつめるような緊張が漂っていた。

 部屋の隅にその理由はあった。大柄な男が、小柄な少女に組み伏せられている。


「十五年前のアレは私も詳しくは知らない。私は作戦に参加させられただけであって、諸事情は一切伝えられなかった……!」


 ファルドは顔を歪めながら言った。


「そんな嘘が通用するとでも?」


 しかしフウは冷たく言うとファルドの腕を捻り上げる。


「がッ!? 本当だ! 同時の私のようないち小隊長に知らされる事など僅かなものしかないっ」

「だったら何故、その一小隊長だったお前が作戦終了直後に大隊長補佐へ昇進した? こんな大出世、減多にお目にかかれるものじゃぁないよな?」

「ッ、それは──」


 ファルドが激しく狼狽ろうばいしたとき、


「──ッ!」


 フウは反射的にその場から飛び退いた。

 頬をかすめたそれは金属めいた音をたて、ずぶりと壁にめり込む。そして息をつかせず再び金属音、一つではない。

 冷気をまとったそれらは、降り注ぐ矢の雨よろしくフウ目がけて飛ばされる。


「ちッ」


 フウは跳躍の勢いを殺さず壁伝いに部屋を駆け抜け、部屋の入り口に佇む狙撃手の姿を目視した。ファルドより少し若いと思われる男が無数の氷柱つららを空中に展開させている。氷と同じ青綠色の瞳が、逃がさんと言わんばかりにこちらへ向けられていた。

 炎焰かえん系のフウにはいささか分が悪い氷術者だが、相手取れない程ではない。入り口の対角付近まで来たところで壁を蹴り男へ肉薄するが、


「どうされましたかっ!!」

「ッ!?」


 男の背後から数十人の警備兵が駆け込んできた。

 その一瞬のすきに、放たれた氷柱がフウの腕を貫通。衝撃でべクトルが反転し、小さな身体は高速で床に叩きつけられた。


「くぅッ――!」


 しかし追撃は止まない、氷の飛礫つぶてが間髪入れずに降り注ぎ続ける。

 穴だらけにされるのはごめんだ、流石に死にかねないとフウは身体をひねり、大量の氷柱を避けながら衝擊を和らげると雷系炎術を強制発動した。


 刹那、視覚を奪う閃光。次いで爆発が起こった。

 部屋中の窓が割れ、熱風が吹き荒れる。爆発は約五秒にも満たない僅かな時間だったが、離脱には十分。一同が再び目を開けた時には、フードの侵入者はその場から姿を消していた。


「……逃がしたか」


 氷術使いの男が呟く。

 煙が晴れた会議室はガラスや机の破片だらけになっており、派手な爆発のせいで外が騒がしくなりつつある。


「静まれ!! この件は私に任せてほしい、各自持ち場に戻れ!」


 男は集まってきた兵達に告げるとファルドの元へ行き手を差し出した。


「何があった。詳しく話せ」

「すまない……ルシア。まさか客人のお前に助けられるとはな」


 自嘲気味に苦笑いを浮かべ、ファルドは男の手を取った。

 この氷術者の男はアランダス三大列強の一つ、『帝国連合』を率いるグランベル大帝国の軍人であり、名はルシア。ルベルタ王国へは使者として来ていたのだが、ファルドとは共に戦場へおもむいたこともあり友人のような間柄だ。

 ファルドは辺りに人がいない事を確認し、口を開いた。


「……『銀の民シロガネ』だ」

「っ!? どこのどこのだッ!?」


 ルシアは思わず声をあげた。と言うのも『銀の民』は十年前に絶滅している筈で、現在確認できるとすればそれは既に保護済み、つまり他国の所有下にあるということ。

 戦闘力の高い『銀の民』は特殊部隊や隠密に使われるのがほとんどであり、表だった外交においてそれはタブーであるものの、政治や軍に関わる者にとっては暗黙の了解となっていた。

 そしてその刺客がファルドを狙ったのであれば、ルベルタ王国への宣戦行為、つまり連合への攻撃行為と取れるだろう。ここ数年は特に列強間の緊張が高まっていたため、いつ第三次の大戦が始まってもおかしくはない。

 ルシアは緊張めいた面持ちで言葉に詰まるファルドの返答を待つ。

 しかし、ファルドから告げられたものは違う意味でルシアの肝を冷やす事になる。


「いや、それが……『野良のら』だ」

「『野良』だと!? まさか、『十五年前』のを逃がしたのか!?」


 完全に意表を突かれたルシアはまたしても瞠目どうもくする。

 十五年前の『総狩り』から生き残り、かつどの国の支配下にも置かれていない『銀の民』の俗称である『野良』。『銀の民』が絶滅して後十年のうちで確認された『野良』はいたものの、その数は十にも満たない程僅かであり最近は完全に狩り尽くしたものと思われていた。


 これは先とは違う意味での問題にも成りうる。貴重な戦力である『銀の民』がもし、他列強の手に渡る事になれば、帝国連合にとって深刻な事態になる可能性さえあるのだ。急かすルシアに対しファルドは尚もが悪そうに答える。


「……そうではない、十年前戦場で消えたんだ。だが先日、生存を確認し拘束した」

「なら先のは……」

「子供だ」

「……っ!?」


 ルシアは青綠の瞳を細めた。そんな筈がない、と言いかけた口を落ち着くように閉じる。

 確かに先程のフードの侵入者はかなり小柄だった。しかし『銀の民』に小柄な者が多いのも事実であり、てっきりその例かと思ったのだ。


「あの練度でか?」


 聞こえるか聞こえないかの声でルシアは呟く。

 彼の氷柱から逃げ切ったのは今までで一人しかいない。先の『銀の民』で二人目。それにあの殺気には、どうも覚えがあった。


「あぁ、あれの親も相当の手練れだったからな。遺伝とは恐ろしいものだ、『銀の民』は若い程能力が高いと聞いてはいたが、まさかここまでとは……たった二人で大隊以上を相手にするなど、未だに信じられん」


 ため息混じりに紡がれた言葉にルシアはまたしても耳を疑った。

 いくら若い『銀の民』とは言え、大隊以上だなんて悪い冗談にも程がある。このファルドの感覚は麻痺してしまったのだろうか、と。

 だが彼はぐにそれどころではないことに気づく。


「ファルド、今二人と言ったか?」

「あぁ、兄妹だそうだ。先程のは恐らく妹……」


 その返答にルシアは眉をしかめる。


(妹? だとすれば兄は……)


 思考を巡らせ、やがてある仮定に行き着いた。確かにそれなら有り得るやもしれないと。

 そして口元を歪めると一言。


「ファルド、各部隊長を集めろ。今直ぐだ。軍議を開く」

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