二十七話 仄かな闇夜に投げし身は

 ルべルタ王国王都、王宮。

 その荘厳そうごんな建物は、帝国連合での今後の活躍を期待されつつあるルべルタ王国の権力の象徴。そして同時に王国内の政治や軍を統括、指揮する重要な機関でもある。


「…………」


 路地裏を抜け、中央道に出たフウは足を止めた。

 父親のメドウから少しばかり話を聞いていた通り、王宮の回りは深い堀で囲まれていた。その内側を城壁が二重に固め、唯一の出入口となる正門の吊り橋を設ける厳重な防御体制がなされているようだ。

 凱旋祭前日ということもあってか外側の城壁の門は開け放たれており、フウのいる吊り橋からは内側の門との間にある広場の噴水庭園が見える。橋には常に五十人程の警備兵が待機していると見える。

 矢張り一つしかない出入口なだけあり警備は厚い。――なんて残念ながら微塵も思わないが。

 ぷくく、とフードの下で笑うフウ。その少々ずれた感覚的に言うと恐らくは当日も大したことはないだろうが、前日故の比較的緩い警戒体制の橋を渡り広場に入る。


「ふわおぉっ!」


 噴水の前に来ると、生まれて初めて見る水の造形の美しさにフウは感嘆の声を上げた。

 きらめく飛沫しぶき耳朶じだを打つ心地よい水音を楽しんでいる最中、何やら芝居めいた口調で声をかけられる。


「旅人さん、凱旋祭を観に来たのですかい?」

「? え、えぇ。王都に来るのは初めてで……にしても、立派な王宮ですね。この大きな門は明日の式典でも閉じたままで?」


 どうやら旅人だと判断されたらしいので警戒は解かないままたずねてみる。フウに話しかけてきた男は騎士の鎧を真似た格好をし、片手には紙の束を持っていた。


「おお、よくぞ聞いてくれた! 小さな旅人さんっ!! いいかい、明日の凱旋祭が最も盛り上がるのは式典の後! 国王から勝利の功績を称えられた第四王軍長様が第四王軍かれの兵と共に王都中を凱旋するのだ!」


 男は相変わらずの演技がかった調子で両手を広げる。それが彼の仕事と分かっていても、フウはいささか引いてしまいそうになる。


「我々国民は、この門から勇ましい王軍長様とその兵達が現れる瞬間を心待ちにしているのだ!」


 極めつけに腰に挿した剣に模した木刀を引き抜き、大空へ掲げる。しゃきーん、と効果音をつけてはやし立てたくなったが完全に茶番になるので止めておいた。


「あー成程。つまり王宮内での式典が終われば、この門が開くと」


 その分かりにく過ぎる回答を何とか解読したフウは苦笑いをしながら確認する。


「その通り! 凱旋にあたり国王陛下があのバルコニーから国民に向け、勝利の演説を行うのだ!」


 男は全く尖っていない木刀の剣先でびしり、と門の方を指し示した。恐らく門が開くとあの辺りに王宮の演説用バルコニーが見えるのだろう。


「そこでだ、旅人さん! このルベルタ誌号外『勝利の英雄特別号』はどうだい!? 平民出の英雄とも称される第四王軍長殿の活躍などなどの噂を詰め込んだこれを読めば、旅人さんもこのルベルタ王国と彼の素晴らしさに釘付けになるに違いない!」

「あははっ、商売上手ですね。色々と教えて頂いたことですし、一つ頂きます」


 フウはそのうたい文句に大笑いしそうになる。何とか不自然にならない程度に笑いを堪えると、銅貨を売り子の男に渡しビラを受け取った。

 自ら噂と言ってしまっていた上、そもそも最初からこの手の情報の正確性に期待はしていなかったものの、まあ火のない所に煙は立たぬと言うし『気になる事』の参考程度にもなれば良いと思ったのだ。


「まいどっ! 良い凱旋祭を!」


 色んな意味で騎士になりきれなかった売り子を見送ると、話題に上げた門を見上げる。

 フウの身長の六倍はあろう鉄製の門は先端部が槍のようにとがっており、その重厚感を感じさせる門の前には衛兵が隙間なく整列している。


「ふぅ、どれどれ……」


 庭園の木陰の方へ行き、ノリで入手したビラに軽く目を通すフウ。

 文字を追っていた碧眼はある記載の箇所でピタリと止まる。怪訝けげんな顔で今一度その文を読み直したフウは、ゆっくりと口角を吊り上げた。


「へぇー、これはこれは便利なこと……予想通り、いい感じっすねぇ」



***



「……なまじ、たれ……んんなあぁ、よおぉ。んんぉぉ……」


 夕焼けの中から浮かび上がるように朱く照らされた部屋。

 そこにはベッドが二つ。一つは空で、もう片方にはもみくちゃの毛布にくるまって眠る少年の姿があった。


「お……ふゃ? れっ、れれれれっレスポンスたぁぁあ~いむっ、うわああぁぁっ?!」


 自分の寝言で目を覚ました彼は、がばりと起き上がりその勢いでベッドから転げ落ちた。


「ぁいった……」


 腰を擦る少年の肩に零れる白銀の髪が、夕陽の赤い光を浴びて輝く。


「あれ? フウ……?」


 静かすぎる空気に違和感を覚えた少年、スイは顔を上げた。

 部屋を見渡すがフウの姿はない。何気なく足元へ目をやるとぐるぐるになった毛布が二枚重なっていたことに気づき、フウが掛けてくれたのだとぐに察した。

 と、部屋に差し込んできた夕陽の眩しさにスイは目を細める。


「もう……本当に君は、」


 虚空へ微笑むと、目頭を軽く揉む。


「……嘘ばっかりだね」


 頭の奥がちくりとうずいたのはきっと気のせいだろう。

 その言葉の意味はもう、彼自身にも分からないのだから。



***



 夕暮れ。

 彼者誰時かわたれどきとも呼ばれるこの頃は、夕陽のあかを夜影が光と共にき消す魔の時分。その薄暗い残照は街中の闇を覆い、あらゆる光、意識、認識までもを屈折させる。

 故に身を隠して動くには最適な頃合いで、碧の光が宵空よいぞらにきらめこうと、民家の屋根を駆ける者がいようと、道行く人々がその存在に気づくことはほぼないと言って良い。それが、彼者誰時かわたれどきというものなのだから。


「やっぱりなぁ」


 仄暗ほのぐらい闇に呑まれた王都の北部にある門。その巨大な門の見張り台で、少女は眼下に広がる都市を見下ろしていた。

 外套がいとうのフードを深く被った碧の瞳に映されているのは王宮。その唯一の出入口とされている吊り橋の反対側――そこにはひっそりと隠されるように、だが厳重に警備されたもうひとつの跳ね橋があった。


「ねぇ、期待しないで聞くけど第四王軍長は今どこ?」


 そう言って少女は足元に視線を落とした。

 その先、両手足を折られた衛兵が小さな悲鳴を漏らす。


「しっ、知らないっ! 俺たちは内部のことは何も知らされていない! 本当だ!」

「あっそ。期待しないで正解だね」


 つまらなそうに目を細めると、少女は躊躇ちゅうちょなく衛兵の腹に蹴りを打ち込む。


「ぐはっ!?」


 めりりという音と共に意識を飛ばされた衛兵は、糸の切れた人形のように上半身を折って倒れ込んだ。少女はそれを確認する間もなく身をひるがえしたかと思うと、気絶させた八人の衛兵が眠る高台から飛び降りた。

 重力に引かれる感覚を伴いながら民家めがけて落ちていく。

 そして屋根に衝突する直前――たん、と軽やかに跳躍する。蒼い火花を足元に散らしながら跳ねるように屋根の上を駆けていくと、先程の高台から見えた隠し跳ね橋が近づいてきた。警備兵はざっと三十人、楽勝だ。

 口元を歪めた少女は両腕に蒼のほのおまとい、屋根瓦を蹴り上げた。跳ね橋前の小門を軽々飛び越え着地すると、橋を警備する兵士達からどよめきが起きる。


「貴様一体どこからっ……ごっ!?」

「はい五月蠅うるさいから黙ってて」


 手慣れた様子で兵に肉薄し、意識を刈り取る。わらわらと集まってくる兵達も同様、内部に気づかれぬよう一瞬で黙らせていく。

 その間僅か六十秒足らず。瞬く間に地面に臥され、残った兵の数は一人のみとなっていた。


「ひっ……!」


 最後が自分であると気づいた男はそれでも力強く踏み込み、少女に斬りかかろうとしたが足払いを食らい背中を橋桁に打ち付けた。


「さぁて、あなたに質問。あ、分かってるとは思うけど拒否権はないから」


 仰向けに倒れた男の首元に、少女は先程彼の手からひねり取った剣を突きつける。


「第四王軍長はどこ?」

「っ! ファルド大佐の……!?」

「へぇ。ファルドって言うんだ」


 しまった、と男が肩を震わせ目を見開いた。


「で? その大佐はどこにいるの?」


 剣の刃を皮膚に押し付けると一筋ひとすじの赤い液体が喉元を伝っていく。男は涙目になりながら口を開いた。


「ひっ、東……王軍住居訓練区の中央棟……です」

「ほほぉ、明日の調整ってか。仕事熱心なようで結構」


 にこりと微笑んだ少女はくるりと剣を半回転させ、男の腹部に押し込む。


「ごふっ……!?」


 剣の柄が鎧の合間にめり込み、何やら鈍い音を奏でた後、男は白目をいて気絶した。


「……あ、肋骨折っちゃったかも」


 手の感覚からして何本か男の骨をへし折ったことを悟った少女は、剣を投げ捨て一人でうへぺろポーズをする。


「うーん。肺に行ってるかもしれないけど、いっか。事故だ事故」


 直接殺そうとはしていなかったのだから、と心の中で言い訳を呟くと無邪気に笑いながらフードを深く被り直した。

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