二十六話 棄てた決意の対價なんて

 二人が駆け込んだ宿屋は中央道から少し離れた区画にある。

 一人で宿から出たフウは中央道と平行に走る細い路地を進んでいた。

 確か王都は中央道と大門通が十字に通っていて、その交点に王宮があった筈。レナリアから「完全暗記ね?」と満面の笑みで脳内に叩き込まれたアランダス中枢の都市地図を思いだしつつ、フウはその中からルベルタ王国王都のものを引っ張り出す。

 まだ日没までかなりの時間がある。取り敢えず明日の下見も含めて、式典会場――王宮へ向かうことにした。


「おぉ……」


 路地の先は露店が所せましと並んだ街路だった。どの店も客で溢れており、アグスティとはまた違う賑わいを見せている。

 この通りを抜ければ王宮は目の前、フウはフードの下から辺りを見回しつつ歩き始める。

 すると、屋台で酒を片手に騒いでいる集団のうち、ひとつが目に入った。

 今日は王都のそこら中で目にする光景。特に気にもせず酒気の漂う店の前を通り過ぎようとして、――その会話を聞いてしまう。


「なあ聞いたか、あのライゼール戦で活躍した隊長の話!」

「あぁ勿論だ、知らない訳がない! あの第四王軍の隊長だろう!?」

「お前ら隊長様を呼び捨てにするなって! その隊長様はなぁ、あの第四王軍を立て直して、その軍勢で国王様に認められて、更に更にはライゼールとの戦の勝利に貢献した戦士なんだぞ? しかも、出身は俺らと同じ平民って話だ」

「本当か、そりゃあすげぇや。まさに第四王軍長様は俺達庶民の英雄って訳だな!」


(――は?)


 笑い声の湧き上がる一帯から早足で過ぎ去ったフウの手は怒りと苛立ちで震えていた。

 鼓動が速くなり、体内の術力が何倍にも膨れ上がる。


(あの王軍長が、英雄だと?)


 王軍長に対しての国民の評価が高かろうと低かろうと、正直そんなことはどうでも良かった。だが、あの戦争の勝利でそこまで能天気になれるとはどういう神経をしているのか。

 確かに、ライゼール公国は帝国連合加入への意向を示していながら他列強との交渉も続けていた。それが帝国に対しての裏切りと捉えられてもおかしくはないが、あくまで公国は当時では中立国であった筈。

 ルベルタ王国は互いに不可侵条約を結んでいたライゼール公国に一方的に進軍、更に公国が行おうとしていた『奴隷階級の解放宣言』を『他列強民の不正な解放宣言』と解釈してまで攻め込むという手段をとったのだ。

 無論、フウにとってはそれだけではない。

 その王軍長サマとやらはレナリアとメドウ――フウの両親を散々利用し痛ぶった揚げ句、ゴミのように捨て殺した男。


(――憎い)


 この世界は何故こんなにもどうしようもないことばかりなのか。苛立ちにフウが歯を食い縛った時、


『――だったら壊せばいいよ』


 耳元で声が囁いた。

 フウは顔を上げるものの、予想通り声の主はどこにも見当たらない。

 その間にも、壊せ。抹殺しろ。一人残さず息の根を止めろ。塵も残さず無に還してしまえばいいと、声はしつこく頭に響き続ける。


「お前はっ……」


 それは、幼い頃から影のようにフウの意識にこびりついてきた声。眩暈めまいと共に脳を揺らされるような数年ぶりの感覚に、意識が混濁する心地に襲われる。


『憎いなら殺せばいいだけだ』


「――この仕組まれた、クソみたいな世界を」


 と、口が勝手に動いていた。

 口角が無意識に上がり、炎を勝手に纏おうとする拳を必死に押さえ付ける。


「……ぅるさいッ!!」


 口内を噛み切り強制的に意識を戻すと、フウは全力で走り出した。

 何を考えていた、何をしようとしていた。考えれば考えるほど息が浅くなっていく。


「黙れ……まだ、私はまだ大丈夫――私には……」


 呼吸が苦しい。咄嗟とっさに駆け込んだ路地裏で首元を抑えた。刹那せつな


「あぁっ……!?」


 悪夢のような映像がフウの脳裏を駆け抜けた。首を絞める両手が震え、力が入らない。

 狂ったような叫び声と、聞き覚えのある笑声が頭の中に木霊し、自我と他の領域が曖昧になる程の何かが脳を圧迫していく。


「ううぅっ、あああああぁぁぁっっ!!」


 気づけばフウは己で己の喉を焼いていた。

 痛みを認知すると同時に脳内を火花が飛び、再び頭痛と激しい眩暈めまいに襲われる。


「くっ……あぐッ!?」


 しかしまわしいことに焼けただれた喉笛は一瞬で再生。脳の損傷により一時的に平衡感覚を失ったフウは頭を抱えたまま倒れ込んだ。

 頭蓋ずがいが割れるような、それでいて脳が引き裂かれるような激痛の中、目を回したように視界が狂い、視えた筈の何かが視る筈ではなかったとばかりに消えていく。

 目を閉じようとも險の裏を焼くような閃光が絶えず駆ける。


「はっ、はっ、はぁッ……」


 雷電の眩しさに耐えかね目を開けた時には、身体の異常はなくなっていた。

 余りに酷い痛みだったせいか、先まで脳裏に刻みつけられていた情景の断片は頭に残っていてもどんな内容だったかは思い出せない。ただ、視るなという強迫観念にも似た感情だけが残り火のようにくすぶっている。


「ああっ、もう……」


 フウは滝のように流した額の冷や汗を前髪ごと拭うと、路面に座り込んで空を見上げた。先程シャワーを浴びたばかりだというのに、なんて妙に腑抜ふぬけたつまらないことを思う。

 狭い路地裏。建物同士の僅かな隙間からは、目が覚めるほどの蒼穹がこちらを覗いている。


 『フウのは本当に綺麗だよね。こんなにも深く透き通っていて、空の表情全てを閉じ込めた宝石みたいだ』


 ふと、昔スイに言われた言葉を思い出した。


「ふ、はははっ……」


 自分の瞳は本当にあんなにも透き通った美しい色をしているのだろうかと、フウからは自然と自嘲染みた笑いが漏れる。

 頭痛と目眩の余韻よいんに浸りながらぼーっと空を仰ぐ。


「…………嘘ばっかり」


 口をついて出たその言葉に、不思議と疑問は覚えなかった

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