三十三話 流した泪は疾うの昔に腐敗して

 白雷と肉片が宙を舞う一方的な虐殺が始まっていた。

 戦闘はついさっき始まったばかりだというのに、その少年の周囲にはおびただしい数の死体の山が築かれていた。


「怯むな!! 相手は子供一人、囲い込め!」

「良いのかな、そんなこと言っちゃって」


 声を荒げる部隊長を遠目に眺めながら、スイは迫り来る敵の胴を斬り捨てた。怒気を放つ兵の大群が四方を埋め尽くし、鎧の音と雄叫びが大気を震わせている。

 この場合は槍を持たせた兵か重装兵などで距離を取りつつ囲い込み術者をぶつけるのが理想的ではあるが、スイらが朝礼中に飛び込んでしまったため直ぐには隊列が整わず、しかも弓兵および高台の兵は優先的に潰してしまっているため王国兵にとっては大分酷い状況だろう。


 それでも逃げ道がないからか、躍起やっきになっているのか、はたまた両方からか、尚も旺盛おうせい過ぎる程の士気を保つ彼らに、スイは全く想定通り過ぎると内心で呆れていた。

 白光を纏った腕を振れば、次々と首がね跳び純白のタイルに鮮血が降り注ぐ。


「ほら、待たなくて良いからおいでよ。『銀のぼく』を捕らえるのがあなた方の仕事でしょうに」


 血のついた頬を吊り上げて挑発的に微笑むと、再び雄叫びを上げて兵が雪崩れ込んでくる。


「……はあ」


 呆れと、確かな憤怒を滲ませたため息が漏れる。

 どうやら本当に数で押せばどうにかなると思っているらしい、このような者達に両親は殺されたのだ。ふつふつと沸き上がる怒りを理性で沈めると、スイは再び軽々とした身のこなしで迫る敵をほふっていく。

 潰した数はまだ三百、次の行動に出るにはもう少し削った方が良い。二千の兵からなる兵団全体の動きと数を把握しながら、あくまで冷静に状況と頃合いを見計らうよう努める。


「そろそろかな」


 力強く地を踏み締めると、前方を塞ぐ兵数十人を鎧ごと白雷で撃ち抜く。崩れ落ちる兵の背から弓矢を抜き取り、先程のフウと同じく道端の柵へ飛び乗るとそのまま走り出した。

 再び放たれる矢を避けながら弓に矢をつがえると、


「……母さん」


 弓術を教えてくれたレナリアの姿がふと頭によぎった。

 突然転がり込んできた自分を暖かく迎え入れ、まるで実の子供のように接しここまで育ててくれたレナリアとメドウはもういない。

 再び込み上がる想いを噛み締めたスイだったが、動きを鈍らせることはない。一秒とかけずに目標との距離を測り、指を放す。

 空気を唸らせ山なりに飛んだ矢は百数メートル以上離れた場にいた部隊長の頸部へと吸い込まれ、頭部のみを綺麗にさらっていった。


「ヒィっ!?」


 弾かれたように騎馬から転げ落ちる部隊長を目にし、兵達の顔は青ざめ、身は強張る。

 それでも尚飛んでくる矢をスイは先程と同じように素手で掴んでは続けて放っていく。動揺する敵兵に面白い程矢が当たり次々と骸が増えていき、矢が尽きかけた頃に再び兵団へ舞い戻ってはまるで赤子の集団と遊ぶかのように軽々と兵士達を殺していく。

 そんなことを繰り返していると、後方に控えていた指揮官と思われる男と目が合った。


「……見つけた」


 酷く嬉しそうに呟き、柵から飛び降りたスイは進路を司令部へ向かうため変更する。

 標的にされたと気づいた指揮官が何やら兵達に指示しているが、後の祭り。


「雑魚の群れで勝てるとでも思った?」

「なッ――」


 彼が気づいた時には、ソレは目の前にいた。

 その柔和な顔立ちに凍えるような殺意を携え、ゆっくりと歩み寄る。


「確かに数の優位は最も単純で相手の脅威になるものだけど、何事も時と場合によるんじゃないかな。流石にここまで押されてたら気づかないと、そんな無能のために死んだ貴方の部下が余りにも可哀想ですよ。……それとも、貴方達は囮で本命は別だったりします?」

「貴様っ……」


 動揺と緊張で震える彼に微笑みかけるスイの手には、指揮官の見覚えのある剣が握られていた。

 あれは副官の愛用していた剣、――それに滴る血と臓物を目にし、彼は固まる。

 底冷えするような純白の瞳が指揮官を見据えた。次の瞬間、上下逆に持ち替えられた剣が勢いよく振り下ろされた。


「あ――があああァッ!?」


 血塗れの刃は噴き出した血液によって一層紅く染められ、指揮官のももを貫いた剣は鋭い音をたて地の奥深くまでめり込む。


「これくらいで喚かないでくれないかな。仮にも一軍の指揮官なら、黙って耐えるくらいしてもらわないと」


 腿を地面に縫い付けられた指揮官を見下ろしたスイは彼の手から新たに剣を抜き取り、


「ひぃッ!?」


 それを彼の背後の地面に対し斜めになるよう突き刺した。

 後方にも剣を固定され、上半身を強制的に起こされる体勢となった指揮官。耐えかねて身体を倒せば煌々と待ち構える刃によって首ごと背面を切り裂かれるのは明白だ。


「はい。と言うわけで、あなたには指揮官として最後までここで見届けてもらいますよ」


 その淡々とした口調とは裏腹に、がくがくと全身を震わす指揮官を見て、スイは笑う。


「目の前で部下達が蹂躙され、やがて己に迫る死に怯えればいい。全てを悔いて、何もかもが嫌になった頃にでも、僕が殺してあげますね」


 その狂気に満ちた残酷な笑みに、指揮官は絶望で顔を歪める。

 ――しかし、彼がその地獄を見ることはなかった。


「へぇ……。まさか当たりだとは思わなかったよ」


 ごとん、と音をたて転がったのは指揮官の頭部。

 力なく倒れた首無しの身体はそのまま背後の剣に斬り裂かれ、朱色の華を咲かせた。

 同時に己へ飛ばされた大量の矢の雨と攻撃を雷炎で打ち消したスイは、指揮官の首を射抜いたモノが飛ばされた方へ視線を向ける。

 そこにいたのは、一人の男。

 そして彼が引き連れていたのは一個大隊――千を越える新たな兵の大群だった。



***



「投降? 何をふざけたこと――」


 フウが眉をひそめた、その時。


「ッ!?」


 閃光と爆音がとどろき地面が大きく揺れた。爆発かとも思うそれは一瞬、何の音か分からなかったものの、この光の色と術圧をフウが間違う筈はなかった。

 咄嗟とっさに王宮の外を見ると、


「っ!? あれはっ……」


 巨大な雷霆らいていが空を貫いていた。

 無数に分かれた白雷は地上へと容赦なく降り注ぎ、身を震わすような殺気と共に大量の絶叫を生み出し、せいを喰らっている。


「……お兄、ちゃん……?」


 真っ先にフウの脳裏に浮かんだのは疑問符。


(これは、一体何だ?)


 えも言われぬ違和感がある。

 空間を震わす術圧は間違いなくスイのもの、しかしそれに伴う殺気はまるで別人のそれのよう。

 絶望と渇望に満ちた、凍えるような狂気はスイのものであって、だが確実にスイではない。フウの知っているの気とは、決定的に何かが違う気がした。


「っ……」


 フウは強く唇を噛み締める。


「ハハハハッ。素晴らしい、実に素晴らしいッ!! あれがルシアの言っていたハイマティの力かっ!!」


 大気を裂くように荒れ狂う白雷を仰ぐ国王は手を広げ、笑い声を上げる。先程まで臨戦体勢を取っていたサイラスとファルドは、ただただ呆然と雷撃の暴雨に目を見開くばかりだ。


「ルシア……?」


 フウは小さく呟く。


 ──そう言えば、あの男はどこだろうか。


 混乱していた思考が徐々に落ち着きを取り戻していく。

 昨晩出くわした氷術使いの男がいない。宣戦布告の意も兼ねて侵入したにも関わらず、守るべき王のいる玉座の間ここにいないのは余りにも不自然ではないか。


「……『ハイマティ』?」


 古い言葉で、『血塗られた』を意味する語。

 この場でそれを示すのは、フウが知る限りただ一人。

 何か、知りたくもなかった事実がぐそこまで忍び寄っている気がした。

 考えたくもない程に、腐敗した現実が。


「まさか――」


 寒くなどない筈なのに冷や汗が背を伝い、手先が勝手に震えだす。点で示された状況がひとりでに線で繫がれ、一つのしんじつが姿を現すような心地がした。


 ――嫌だ。ひとりになるのは。


 恐怖と焦燥にも似た何かが身を焼いていき、意識が荒れ狂う気の波に呑まれていく。


「黙れよ」

 

 ――スイは、渡さない。


 一瞬の術力の交錯の後、翡翠の残像を残して冴えるような鮮血あかが噴き上がった。

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