二話 虚空は碧く、霞は遠く澄み渡る

「たっだいまぁ~!」


「ただいま~」


 ようやく体力が回復した二人は夕暮れ時、使い古した雑巾さながらのぼろぼろぶりで帰宅した。フウとスイが毎日『模擬戦遊び』をしているのは両親も知っているため、服の汚れや多少の怪我は大目に見てくれていたのだが、流石に今回はやり過ぎだと注意をされた。


 その後、体を洗って着替えを済ましたフウは「大切な話がある」と母のレナリアに呼び出された。妙に勿体振もったいぶった、真剣な面持ちで。

 大切な話とは一体何だろうか。このような形で呼び出される事は初めてだったので、違和感を覚えつつフウがリビングへ行くと、そこにはスイも同席していた。

 両親と向かい合う形で座っており、どうやらフウを待っていたようである。


「う、……遅れてないよね? なんか、スゴイ申し訳ない気分に……」


 いつもならここで誰かしら軽いツッコミを入れてくるのだが、今日に限っては重い雰囲気が漂っていて、無言で席に着くよう促される。

 窓の外では初春独特の肌寒い風が吹いており、木々の若葉をいたずらもてあそんでいた。


「これを見てほしい」


 フウが座ってから一拍置いて、父親のメドウが一封の手紙を二人に差し出した。


「……っ!」

「国王……から?」


 一見何の変哲へんてつもないように思われる手紙、しかし留められた封蝋ふうろうと印から確かに現国王のものだと分かった。

 王の印がされた手紙など普通であれば名誉この上ないことなのだが、フウの違和感はより確実なものへと変わっていく。

 両親に開くよう促され、手紙の内容を目にしたスイとフウは絶句した。


「父さんが……強制召喚しょうかん……?」

「どういうこと!?」


 フウは机を叩き、身を乗り上げた。


「またお父さんに戦地に行けってこと!? どうして? 今度の戦いが長引いてるからって、後遺症で術の連続行使が困難なお父さんを呼ぶなんてどうかしてる!! だってそんなの……」


 ──死にに行くようなものだ。


 唇を噛み締め、黙り込む両親を睨み付けるフウの双眸そうぼうは怒りに満ちている。


「二人して黙ってないで、何か言ってよ。ねえっ!!」


 机に着いた両手から蒼炎そうえんが巻き上がった。


「フウっ! やめなって!!」


 両親に掴みかかろうとしたフウをスイが押さえ込む。


「……断れば父さんだけじゃない、四人共、勅命ちょくめいに逆らったとして不敬罪。……死刑になる」


 重苦しい空気の中でメドウが声を絞り出す。


「父さん……」

「……お父さん」

「すまない。こうすることでしかお前達を守れないような父親で……。スイ、フウ、父さんは明日の朝にも発たなくてはならない。急で本当にすまないと思っている。必ず戻ってくる。それまで、母さんの言うことを良く聞いて過ごして欲しい。不自由な思いをさせるが、どうか乗り切ってくれ」


 メドウは椅子から立ち上がり、二人に深く頭を下げた。

 沈黙に、窓を叩く風の音が静かに響く。

 フウとスイは余りにも突然だったこの状況にどうすれば良いのか分からず、ただその場に立ち尽くしていた。



***



 月明かりが差し込む自室で、フウは一人ベッドに横になっていた。


「…………」


(なんだろう、この違和感は)


 唐突に聞かされた父親の召喚は途轍とてつもなく衝撃的で、眠れないのもうなずける。

 しかしそれ以上に得体の知れない漠然ばくぜんとした不安……何か重要なことを見逃しているような気がしてならなかった。


 ──なぜ?


 若い頃のように戦闘能力が卓越たくえつしている訳でもなく、過去に負った怪我のせいで長時間の術力使用が不可能な父に、何故今になって国王自みずから召喚状を出したのだろう。

 両親は何かを隠している。

 自分は何かを見逃してしまっているのではないか。


「それは、……何?」


 思考を巡らすもむなしく、深まる夜の闇につられてフウは眠りに落ちていった。



***



 ベットから転げ落ちているにも関わらず絶賛ぜっさん爆睡中ばくすいちゅうだったフウは、顔に照りつけてくる朝陽あさひによって目を覚ました。


「いつの間にか寝ちゃったし……」


 事の深刻さとは裏腹に、身体はどうしてこうも素直なものなのだろうか。

 ずるずると布団からい出て、何となくぼーっとしていたフウだったがぐにそんなことをしている場合ではないと気づく。

 急いで着替えを済ませ部屋のドアに手を伸ばすと、向こう側から開けられた。


「おっ、……お兄ちゃん、おはよっ」


 現れたのはいつも以上に貧弱そうな顔色のスイ。


「おはよう……フウ」


 目の下にくまが出来ているのは良く眠れなかったからだろう。フウは昨日、素直に寝てしまったことを少しだけ後悔した。


「いや、てかノックしてよ。一応これでも十五歳のお年頃なんだけど」

「あ……ごめん」


 半分は冗談のつもりで言ったのだが、今の彼には通じなかったようだ。

 スイは気がかりなことがある時や不安な時、必ずといって良い程このようになる。

 例を出せば自室とトイレのドアを間違えたり、フウの皿の料理をつまんでしまったりといつにも増してぼんやりしてしまうような、そんな感じ。

 それだけ父親のことが心配なのだろう。


「……で、部屋間違えたの?」


 スイを自室から押し出しながら、廊下に出るフウ。


「いや、違うよ。母さんからフウを呼んでくるよう言われたんだ。ノックは……ごめん、忘れてた」

「……ふくくっ、ダイジョーブ! そんな事だろうと思ってた。ほれ、ネガティブにいちゃん! しゃんとして行くよっ」


 どんどん元気がなくなっていくスイの背中に跳び乗り、にかりと微笑ほほえんで見せた。

 フウだって本当は辛い。しかし、実の両親の行方ゆくえ安否あんぴも分からないスイは一層に辛い筈だ。

 二人揃って悲しみに暮れていても仕方がない。せめてスイの心が少しでも軽くなればと思い、フウはなるべくいつも通りに振る舞うことにした。


 リビングに行くと、レナリアがメドウに荷物を渡すところだった。メドウはもう身支度を終えていたようで、旧王国軍の軍服にフードがついたマントを羽織っている。


「お、フウも起きたか。おはよう」

「おはよう、お父さんっ」


 ──冗談とかだったら良かったのに。

 もしかしたらと淡い期待を寄せていたがそんな事がある筈もなく、認めたくない現実がただそこにあるだけだった。


「もう行くの?」


 フウを背中から降ろしたスイが不安げにたずねる。


「あぁ、そうだな」


「お父さんっ」

「わぁっ!?」


 フウとスイが同時にメドウに抱きついた。

 正確にはフウが抱きつきぎわにわざとスイを巻き込んだのだが、両親は気づいていない。


「……っ」


 フウは何も言わず、回した腕の力を強くする。

 隣のスイも少しはにかみながら、メドウの懐に顔をうずめた。


「よしよし、二人共。やっぱりまだ子供だなぁ」


 暖かい手が二人の頭に乗せられる。


「絶対に、帰ってくるからな。元気にしてるんだぞ?」

「お父さん……気をつけてね。名誉とか、功績とか、そんなのどうでもいいから絶対に……絶対に帰ってきてね。この家で、待ってるから」


 しっかりした声音だったが、フウの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。普段は透き通るように白い肌が、れて紅潮こうちょうしている。


「分かってるよ。ほれ泣くな泣くな」


 泣き顔に頬をつままれ、更にひどい有り様になる。


「父さん……ごめん。フウに全部言われた。本当に、本当に気をつけて……」


 スイは必死に涙を堪えているようだが、その声は震えていた。


「スイ、無理することはない。ありがとな」


 青みがかった銀髪を撫でてやると、涙を隠すためか再びマントに顔を突っ込んだ。


「…………」


 メドウは片膝をつき、スイとフウを思いっきり抱き締めた。


「じゃあな。……愛してる」

「っ……」


 見送りのために家から少し離れた草原に来ると、強い風が吹き服があおられる。

 凛々しくも、どこか寂寥せきりょうとした瞳を携えてメドウは竜馬りゅうばまたがった。


 竜馬は鳥と竜の中間の姿をした生物で、王族や官僚かんりょうのみが騎乗を許されている希少種でもある。王国軍の紋が刻まれた装備を纏う竜馬は、メドウが軽く腹を蹴ると一声咆哮ほうこうし力強く地面を蹴った。竜馬は草原の空を切り裂くように駆け、みるみるうちに遠ざかっていく。

 その姿が丘の向こうへと消える直前、マントが大きくひるがえった。

 一瞬だが、笑顔で手を振るメドウの姿が見えた。

 彼の淡い紫色の瞳が涙で光っていたように思えたのは、フウの気のせいだったのだろうか。


「お父さん……」

「…………」


 朝靄あさもやはすっかり消え去り、雲一つない虚空は眩い朝陽あさひに照らされている。

 吸い込まれるような青に染まった空は高くて、どこまでも澄み渡っていた。

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