五話 愛しき我が子に、願うは平穏

 翌日。

 メドウが徴兵されてから四日が経とうとしていた日の朝、フウは珍しくスイの声で起こされた。


「フウ、起きて!! 大変なんだ! 母さんがっ、母さんが!!」


 自室の扉がけたたましく開け放たれ、朝特有の冷たい空気が入り込んでくる。


「んん……。なんだよぉ、あっしはまだ、ねむいん……ぬごおぉぉぉっっ!?」


 布団に潜り込もうとしたが腕を捕まれ引っ張り出された。そのまま猛スピードでリビングへ連れていかれたフウ。──しかしそこには、誰もいない。


「ふぁあ……何でもないじゃん。まだ外も真っ暗なんだし、お母さんも起きてないよ」

「違うんだよ! 部屋にもいないんだ。それに……これが」


 フウの肩を揺らし、スイは机に置いてあったものを突きつけた。


「……え」


 スイの手に握られていたのは数枚の便箋びんせん

 フウは眠気が急激に覚めていくのが分かった。それを目にした途端とたん、まるで霧が晴れていくかのように頭が冴えていくのを感じたのだ。

 そして──


「あぁ、そういうことか」


 悲しみに満ちた瞳を細めた。


「え?」

「やっと分かった気がする。お父さんとお母さんが私たちに、何を隠していたか」


 手紙の内容は大体予想できた。

 黙り込むスイの手から便箋を抜き取ると、フウはその一文字一文字を丁寧に追った。



スイ、フウへ


 あなた達に何も言わずに出ていってごめんなさい。

 お父さんとお母さんが帰ってくることは、もうないと思ってください。

 これまで、私達はあなた達にずっと黙っていたことがあります。早く言わなければと思い続け、気づけばこんなにも時が経ってしまいました。これはあなた達にとっても重要なことです。それを今からここに書き留めておきます。


 私達は『銀の民シロガネ』と呼ばれる一族の生き残りです。

 『銀の民』はその名の通り銀の髪を持ち、雷属性をあわせ持つ特殊な火術、炎術えんじゅつを扱える唯一の血族です。

 その希少さと能力の高さから『銀の民』は代々観賞用、戦闘用にと奴隷商人や人拐ひとさらい、そして国からも狙われてきました。それでも私達は各地を転々としながら『銀のなかま』と共に生き抜いてきたのです。


 けれども十五年前、『銀の民シロガネ』の居住先がリークされ帝国連合軍の奇襲きしゅうったのです。

 生かせば強力な戦力になり、売れば大金にもなる『銀の民』はかねてより各国から追われていました。それまでも様々な国から兵が幾度となく派遣されたのですが、国内だけで処理しようとしたゆえの小規模なものばかりだったため私達は同等に戦うことが出来たのです。

 でもその時は違った。

 グランベル大帝国が各国に呼びかけ師団を組織、『銀の民総狩り(シロガネそうがり)』計画と称した作戦を実行しました。

 その数は『銀の民』百五十に対して約三万。


 仲間達は勝算がないと判断するやいなや、協力し戦いながら子を持つ仲間達を必死に逃がしました。もちろん私達もその一組。

 だけれども、この十数年間で逃がされた者も追っ手やその後の人狩りで捕らえられていき、現在残っているのは私達四人だけとなってしまいました。

 でも大丈夫。あなた達二人のことは、まだどの国にも知られていない。

 だからどうか、二人で逃げてください。


 私達はあなた達を、大切な二人の我が子を側で守りきることが出来なかった。

 本当にごめんなさい。

 これからあなた達が生きる道は険しく、沢山の困難が待ち受けていると思います。けれど、私達はいつまでもあなた達の味方なのを忘れないで。

 ちょっと離れているかもしれないけれど、いつまでも応援し続けます。

 だから精一杯生きてください。

 幸せに、裕福に、とはいかないかもしれないけれど、それでも二人で支え合って生きていってほしいのです。


 最後まで一緒に生きられなくてごめんね。

 お父さんとお母さんはスイとフウが平穏に、幸せにこれからを過ごせることを心から願っています。

 今まで、本当にありがとう。

 愛しています。


  お母さんより



「……っ」


 フウの瞳から涙があふれる。

 内容の予想はしていたものの、こんなものが当たっても虚しいだけだった。

 便箋びんせんを机に置き、フウはこぼれた涙をぬぐう。

 今になるまで気づかなかったが、こちらを見つめるスイのまぶたは赤くれていた。


「…………お兄ちゃん。地図持ってきて」

「え?」

「早く!!」


 フウ自身でも驚く程に大きな声を出していた。心臓が早鐘を打つ。


(──早くしないと、間に合わなくなる)


 スイが慌てながら持ってきた地図を机いっぱいに広げたフウは記された地名を目で追っていく。


「フウ……!? 何するつもり? まさか……」

「そのまさかに決まってる」


 地図上のある地点でフウの手が止まる。


「お父さんとお母さんを、助けに行く」


 怒りと決意に染められた蒼穹そうきゅう双眸そうぼうが、静かに燃え上がった。



***



ここから王都までは竜馬りゅうばでも二日はかかる筈だよね。でもお父さんが先に行ってから、お母さんが直接王宮に召喚される可能性は低いと思うんだけど……どう思う?」


 手の上で回していた旗付きのこまをフウが差し出すと、一息おいてスイが口を開いた。


「あの勅命ちょくめいには母さんのことは書いていなかったから、僕もそう思う。でも母さんの手紙からすると、もしかしたら……」

「追って参上を命じられたか、時間かせぎの可能性?」


 広げられた地図を囲むようにして意見を出し合うフウとスイ。


「うん、その辺りだと思うんだ」


 青の瞳と銀の瞳が交差する。


「と言うことはやっぱり一番可能性が高いのは──王都」


 フウが王都に駒を置こうとすると、その傍らでスイが幾つかの駒を図上に並べ始めた。


「もしくはその手前、道中のどこかで既に包囲網が敷かれてたとしたら、そこで何かをするつもりなのかも知れないし……だから念のため僕たちは公道と最短経路は避けて行かないと……」

「ぐぇっ!? 確かにそうだけど、これは流石に遠回り過ぎじゃ……」


 スイが提示したのは一般的なルートを大回りしたもので、山中と岩場の多い高地を主に通る経路だった。

 フウはぐに付近の地図を出して目を通す。


「確かにこれなら起伏が激しくて険しい地帯だから見つからないとは思うけど……馬車でこのベスカ高地は越えられない。ああー竜馬だったら行けるのにっ!」

「う……辺りを見ながら行けるから遠回りの中では良い経路だと思ったんだけど……」


 二人は地図を覗き込み思考を巡らせ、二、三討論をしたが、やがてフウが諦めたように言った。


「こればっかりは致し方ない……今のうちには竜馬どころか馬もいないんだ……」

「やっぱり途中途中で馬車を使って行くしかないね」

「ぐぅ、背に腹はかえられぬってやつかぁ」


 場に合わない腑抜ふぬけた声音で項垂うなだれるフウは机へひれ伏す。


「はいはい、ぐでらない。二人で力を合わせれば、この案でも十分出来る筈だ」

「……そうだね。あっちは多分竜馬だから、急がないとだしね」


 突っ伏し状態からガバリと起き上がり、フウは表情を引き締める。


「うん、やると決めたからには絶対に助け出そう。準備が整い次第しだいぐに出よう」

「了解。……お兄ちゃん、ありがとう」


 力強い笑みを交わすと二人はそれぞれの部屋へ散った。


「…………」


 自室に戻ったフウ。一人になった途端とたん、急に涙がこみ上げてきた。

 こらえようと上を向いてもあふれ出てくるそれは、なかなか止まってはくれない。


「……まだだ」


 両手を握り、歯を食い縛る。

 ──泣いている場合ではない。

 まだ、泣くときではない。


「大丈夫。お父さんとお母さんは、生きてる。……だからこそ、私たちが助けに行くんだ」


 その言葉は、まるで自分に言い聞かせるように。

 しかし強く握り締めた筈の両手は情けないことに震えていた。


(絶対に助ける。殺させるものか)


「……本当に泣くのは、みんなでこのここに帰ってきた時」


 このまま逃げて、後悔なんて絶対にしたくなかった。必ず、四人で戻って来る。

 嗚咽おえつみ込みフウは口を固く結ぶ。

 涙を拭ったその瞳に、もう迷いはなかった。

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