四十話 指針、責務は己の過去に問え

「私の話を聞いて下さいっ!!」


 フィアが叫んだ。


「――ッ!?」


 その声にフウは動きを止め、驚きに目を見開いた。しかしそれは彼女の言葉によるものではなく、フィアの声と同時に展開された二人を包む黄金の光へのものだった。

 フィアの瞳と同じ色をしたその光に、これが彼女の術によるものであるとさとる。


(やられたッ――)

「くッ――」


 まとった蒼炎と殺意がいつかのようにほどかれていく中、不快さをあらわにしたフウが力ずくで術を破るべく炎を空間にうならせた時――


 ぱぁんっ!


「!?」


 早足に歩み寄ってきたフィアがフウの頬をひっぱたいた。


「だから! 私の話を聞いて下さいと言っているじゃないですか! この分からず屋ああぁぁぁぁぁっ!!」


 そしてそう叫んだ。


「なっ……」


 この時にフウの中で何かが、言わば一種の緊張感のようなものが、ぷっちーんっと愉快な音と共に弾けてしまったようで。


「……はああああっ!? ちょ、何言って――」


 ところがどっこいフィアはそんなフウなど眼中にないのか、容赦なく台詞せりふに覆い被さってくる。


「いいですか!? 私はあなた方を捕らえるつもりはこれっぽっちもありませんっ! むしろ王宮ここから速やかに脱出してほしいんですっ!! だから私が『使徒しと』として出来る、あなた方を逃がす手助けをさせて頂きますと言っています! 分かりましたか!! 分かりましたね!? では行きますよ!!」


「いやいやいやいや?! 全く見事な程に何にも分かんないんだけどっ! ……え!? 『使徒』!? てか、今『使徒』って言った?」


 フィアの豹変ひょうへんぶりに引き気味だったフウが今度は弾かれたように詰め寄った。

 しまったと一瞬苦い顔をするフィアだったが、いずれ分かることであり隠す必要もないと腹をくくり、首を縦に振る。


「……そうです。私はグランベル大帝国より派遣された『使徒』です。詳しい事は話せませんが、私は……って今はそうじゃなくて! 勿論『使徒』としての立場上の理由や国交間の問題もありますが、それ以上に私はっ! あなた方を死なせたくないのです!」

「ん、んんんんっ!? え、ええ――」


 突然の告白とそれに伴う状況を整理すべくフウは口を開くものの、またしてもフィアがそれを許してはくれなかった。


かくっ! 時間がありません! あなたのお仲間が戦っている者はグランベル大帝国の軍人、つまりは私の身内です! 彼は余りにも危険です、そして事前に彼を止められなかった私にも責任があります。これ以上の犠牲を出さないためにも、私に協力して頂けませんか? あなたはこのままお仲間の所へ向かい、なるべく派手に術力をき散らしてあの生ける危険物が私の術力に気づかないよう、気をらしてくださるだけでいいのです」


「…………は、はあ!?」


 生ける危険物などというどこかで聞いたことのある台詞に気を取られかけたものの、その余りにも唐突な申し出にフウは驚きを隠せないでいた。

 彼女の表情と声音からして嘘をいているとは思えないし、悪意も感じない。渡りに船とはまさにこの事だろうが、ある事に引っかかるのもまた事実。

 フウが顔をしかめているとフィアが手を取り握ってきた。丁度、アグスティの宿で初めて会ったときと同じように。


「お願いします、どうか私に力をお貸しください! 私はこれ以上、誰かが傷つくのを傍観ぼうかんしているだけなのは嫌なのです……!」


 その言葉に淀みはなく、表情には切願の念が滲み出ている。だがフウは瞳を細めると容赦ようしゃなくその手を弾き、フィアの腹部へ遠心力を伴ったかかとを捻じ込んだ。

 心から憐れみの笑みを顔に貼り付けて。


「貴方さ、ほんっとうに馬鹿なんだね」

「……かはッ!? げほっ、う……」


 フウの蹴りを正面から食らい、庭園の大樹がえぐれる勢いで身体を打ちつけられたフィアの口から赤い液体がこぼれる。

 それを眺める碧眼からはただ単純な殺意のみが滲んでいる。


「帝国の差し金なら一層だよ。聖国の使徒ならまだしも、帝国から派遣された使徒ならば、私たちの敵だって自分から言っているようなもの。この協力の提案も帝国の指示なんでしょ? だったら私がやることはあなたの始末一択」

「ど、どうしてそんな……」


 抑揚のない声で紡がれる推測。向けられたこともない本物の殺意に、フィアはひたすら混乱していた。

 誤解が生まれてしまっているのは確かなのに、どうすればいいのか分からない。一度疑われてしまえば、生か死か二つに一つの道に生きるこのタイプの人種が耳を貸すことはないのは身をもって知っている。だからこその絶望感と焦る気持ちにフィアの意識は今にも潰されてしまいそうだった。


「……どうしてですか。このまま私を殺せば、あなた方お二人は絶対に助かりません……彼はそれだけの実力を持っています。私を今ここで殺せば、あなた方は必ず彼の手で死ぬことになるのですよッ!?」

「なに? もしかして脅してるつもり?」


「違います……そんなことっ! 私は彼の能力、実力、そして経歴と職種を知っているからです! 勿論あなたを脅すつもりもありません。ただ純粋に、これ以上帝国の思い通りにさせてはいけない。私自身、何も出来ないままというのに耐えることが出来ないだけですッ!」

「そんな涙まで流せるなんて神とやらに仕える使徒さまは、かの帝国に酷く御執心なようだね」


 フウは鼻で笑いその発言を一蹴する。

 一方のフィアはというと、腰が抜け座り込んだまま震える身体に、裏返った声と頬を涙でぐしゃぐしゃに濡らす有様。確かに帝国をも敵に回す覚悟のあるフウにとっては、馬鹿げたお芝居のように見えてしまうのかもしれない。


 でもこれはそんなものではない。そんな強い人がやれるような演技も忠誠も覚悟も度胸も正義さえも、フィアには何一つなかった。  

 自分はそんなもののために己を投げ打って何かが出来るような、素晴らしい人間などではない。己の弱さと醜さに歯を食いしばり、それでいてただ己の意志を伝えるために。どんなに惨めであろうと、フィアは全力を尽くすことを決める。


「……確かに私は、本来は帝国に逆らうことを禁じられている身。ですが帝国の行ってきたこと、行おうとしていることは、許されていいものではありません。いえ、私は……私という個人は恐れながら、あのようなことが許されるとはとても思えないのです。ですからこれは帝国や聖国の意図とは何も関係のない、私個人の我がままであり、身勝手な贖罪しょくざいです……もし私が行動しても、あなた方を死なせてしまうようなことになれば、無論私も一人の人間としてこの命を絶つ覚悟があります。それでもここで私を殺すと言うのでしたら、あなたが手を下すより先に自ら首を切らせて頂きます。ですからどうか、どうか私にお力添えをさせてください!! お願いします、どうかッ……」


 そうくずおれながら訴える姿は明らかに許しを乞うようであり、これまで彼女が帝国で経験した『何か』の苦しみと後悔をフウに察させるには十分すぎるものだった。

 そしてその『何か』が『銀の民シロガネ』に関係しているだろうことも。


「……ちッ」

「……っ」


 フウから放たれた舌打ちといらつきに、フィアの黄金の瞳はまたしても大きく揺らぐ。

 ただ、フウ本人はそういうつもりではなく帝国単体へ向けた感情だったのだが、混乱にも近い状態まで追い詰められていたフィアは己へ向けられたものと解釈してしまったようだった。


「すみませんっ……本当に、本当にすみませんッ!! こんなことで許されるなんて到底思っていません……私は、私はそれだけのこ──むぶッ!?」

「あーもう分かったから! それやめてよ五月蠅うっさいなあ!? そもそも私は生きてるし、貴方や帝国にまだ直接は何もされてない!! だから謝るのやめてくんないかな調子狂うなぁ!!」


 フィアの口を無理矢理に塞ぎ、明らかに苛立ってるようにいったフウ。

 思えばスイ以外で年齢の近い他人とまともに話すのは初めてのことで、本人としてもどうにも掴めない調子に戸惑ってしまっていた。


「あー……ほらもう泣かないで顔上げて。言いたいことは分かったから、呼吸整えて」


 過呼吸気味になっていたフィアを支え、背を撫でたフウは眉を下げながらそっとため息をつく。 自分でも分からなかったこの行動の理由──先程のフィアの目つきが、己の中の確かな敵意を自ら解くことになった原因だと理解した。

 言うなれば死を覚悟した目。フウに贖罪しょくざいを求めたフィアは、自分たちを庇って死んだ両親の目と全く同じわり方をしていたのだ。

 そんな彼女に、炎に焼かれるメドウとレナリアの姿を重ねてしまった。

 ──両親を二度も殺すようなことは、今のフウには出来なかった。


「私たちをあの氷野郎から逃がすんでしょ、だったらしゃんとして。貴方個人の意思で決めたなら、拒絶されたら死ぬとかそうじゃなくて、意地でいつくばってでもやり抜いて見せなよ。別に私は貴方を責めてる訳でも、貴方個人を嫌ってる訳でもないんだからさ」

「ひっ、う……」


 フウの言葉に何度も頷き、涙を拭きながら呼吸を整えるフィア。

 少しの後にフウがその顔をのぞき込むと、フィアは震えが残る手でフウの肩を押し返した。


「……お願いします、行って下さい……」


 最初に声をかけたとき、フウが時間を気にしていたことは流石にフィアも気づいていた。提案を受け入れられた安堵あんどと共に、これ以上時間を取らせる訳にはいかないという思いで立ち上がるとフウの肩をもう一度押す。


「どうか一刻も早く今は行って下さい、お願いします! 私もぐに向かいますからっ……!」


 そんな状態で本当に大丈夫なのかと疑いたくなる様子だったが、どこか吹っ切れた表情を見れば選択は容易だった。


「分かった分かったから! 待ってだの許してだの行けだの、落ち着きのない使徒さまだよ全く! さっき言ってた通りにはやるけど、そこまで言っておいて終わった後に来るとかはなしにして。一応は私もかなりの危険生物なんだから」

「はい、勿論です……! どうかご無事で、あなた方に神のご加護があらんことを……!!」


「……」


 フウが地を蹴り上げると同時に後方から紡がれた祈りの言葉。

 ある個人的な理由で神などというものを全く信じていない──むしろそんなものがいるのなら喜んで殺してやりたいと思っている──フウは一瞬喉を引きつらせたものの、強気に笑顔を作ると空中でフィアへ手をひらつかせた。

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